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君には人生経験が足りない、と絡まれたときには


妻と散歩がてら、ふらっと立ち寄った食堂で夕食をとった。テラス席からは雲間から明るい満月が見えた。
思えば、この店に来たのは半年前の花見以来だ。あの夜は散りかけた夜桜を見て夕食をとった。

あれから半年か、と遠い目になる。
あのころはまだ付き合いたてで、お互いのことも判るような判らないような間柄だった。
それでも、ぼくは「ずっとこの人を待っていた」という確信があった。たぶん彼女もそう思ってくれていた。お互いに準備ができていた。だから急展開で入籍に至った。

夜風に吹かれながら、ふと結婚前の日々を思い出す。

たとえば、妊活や子育てははるかに縁遠い話だったため、そうした人びとにいまひとつ共感できなかった。婚活・結婚という2段階も先の話だったので、致し方ないとも思う。
すでに“結婚できている”人びとがその上さらに何を欲しがるのか、強欲で節操がないと感じた。
(同じようなことは仕事に就く前の学生時代にも思っていた。好きなことを仕事にできた時点で大成功なのに、さらにお金についてとやかく言うなどもってのほかだと思っていた)
足るを知れ。
節度を知れ。
恥を知れ。
迂闊に口外はしないものの、火種はいつも燻っていた。

しかし、時が流れ、運よく就職して結婚も遂げてみると、現実が眼前に迫ってくる。
いくら好きな仕事に就けても生活苦に陥るようであれば、それはやりがい搾取に他ならないし、結婚しても子どもをあえて拒むのなら、入籍の必然性も薄くなるようにも感じられた。
仮に「強欲」と誹られようとも「よりよい幸せを追い求めることの何がいけないの?」と逆に訊きたくなる。


君には人生経験が足りない、とバーで初対面の中年男に絡まれたこともある。
たしかに「結婚」という経験値が足りない弱みを突かれたようで、その場で言い返せなかった。(今なら「あなたには初対面の他者への配慮が足りない」と切り返したい)

思い起こすほどに、結婚前の自分はやはり拗らせていたようだと、今になって素直に認められる。(当時でさえ半ば認めていたとは思うけれど)
どうしても肩肘を張って、虚勢を張って、ちっぽけな自尊心を守らなければ、途端になし崩しになるかのような恐怖心が人知れずあった。でも、今はそんな自分もどこか愛おしく、足許で大事な地層になっていることを感じる。

たとえ就職しても、結婚しても、子育てしても、たぶん人生経験は十全とはならないと、今は思う。
だからバーの酔客には「あなたも人生経験は足りていない。みんな足りない」と返しておくのが、最も適切かもしれないと思っている。


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