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業務日誌、みたいなもの(2020/4/27〜5/3)

2020/04/27(月)
昼過ぎ、格闘家の青木真也さんの取材。
緊急事態下における持論を伺う。
常にアドレナリンを放出し続けている人のエネルギー量に圧倒される。

2020/04/28(火)
打ち合わせやアポ入れをいくつか。
担当した記事の掲載号やウェブの記事もいくつか更新される。
いつからか、
告知することまでがライターとしての仕事になっていると感じる。
ネタ出しをして、アポ入れをして取材して、文字起こしして、書いて、納品して、告知する。ライターの仕事において、「書く」なんて数ある行程の一部分にすぎない。

料理だってそう。
たとえば野菜炒めを作るとしたら材料を買って、保存して、下準備して、切って、余った具材はまた冷蔵庫に戻して。そしてやっと火を通す。
そうして盛り付けて、食べたら皿を洗って、また元の場所に戻す。
料理で「火を通すこと」とライティングで「書く」ことって
一番わかりやすいけれど、全行程の何分の1のパーツに過ぎないこと。

2020/04/29(水)
祝日。
コラム1本と撮影の準備。
よく晴れた日、大通りは人通りも多くて、食べ歩きをしている人もちらほら。そう思うと同時に、
いつしか自分の中にも自粛警察が棲んでいることに気づく。
自粛警察的には、スーパーも三密だった。
レジも1人が買い込む量が多いものだから、時間もかかる。
「この量が1日でなくなっちゃうんだから……」という台詞が前に並んでいた女性からため息まじりに聞こえる。相手は中学生とおぼしき娘さん。
「買い物にいくのは、1家族1人まで」なんてあの量の食材を前にしたら言えないよな。非常事態下の理想と現実。


2020/04/30(木)
次の日の撮影に向けて午前中からソワソワと準備を。
撮影やロケの前は、旅行前日に似ていると思う。

午後は「面白法人カヤック」CEOの柳澤さんの取材。
そして夜には新しい企画のオンラインMTGを1つ。

蓮舫の「学校を辞めたら高卒になる」発言やナイナイ岡村の風俗嬢発言、
自分が恵まれていることに無自覚な人の無邪気さや
言葉の端々ににじむ上から目線、差別意識。
これまでも当然、存在していたものだけれど、
今は、世の中がかつてないほどに敏感に察知している、そんな空気も感じる。
そして折しも、お世話になっている編集さんが担当した『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声』 (扶桑社新書)を拝読する。
最終章の吉川ばんびさんの自らの貧困経験の語りと、
世の中への怒りは鮮烈だった。貧困ポルノでも不幸自慢でもない痛烈な語りは、この人にしか書けないもものだと思った。

2020/05/01(金)
約1ヶ月ぶりぐらいに表参道へ。
ブランドショップは軒並みクローズで、年末年始のような人通りのなさ。
斜め格子のガラス張りのPRADAビルは、
低層階はまるで強盗にでも入られたかのように空っぽで、
その建築物としての華やかさだけがムダに際立っていた。
去年の今頃の慶祝ムードが遠く霞む。

この日は、進行中のダイエット本のレシピパートの撮影する。
数年前には、料理の撮影をするなんて思っていなかった。
非常事態宣言が発令されて、なにかと不自由な中だけど、
今できることを精一杯やったと思う。
ただ書店が軒並み閉まっている中で、
出版される部数はかなり下がるはずなので、
ここは「なんとしても売らないと」と身が引き締まる思いに。
生き残る。

2020/05/02(土)
パートナーの小4になる息子が面会交流日で泊まりにやってくる。
YouTubeやゲームを存分にできるのが一番嬉しいらしい。
なにより我が家のAIスピーカーが気に入ったようで、
ずーーっと「アレクサ」「アレクサ」と語りかけていた。
正直、ラーメンもカレーライスもおにぎりもあまり食べない生活が続いているので、子どもが好きそうな食べ物がわからない。
なんとか夕飯を済ませ、散歩がてらいまだ営業をしている近所の本屋へ。
「ちゃんと前、見て歩いて」「パパだってスマホ見てんじゃん」とかなんとか言いながら通りを歩く私たちは側から見ると「普通の家族」に見えるのだろう。とはいえ、私は彼にとって親でもない、親戚でもない、仕事もなにやってるか謎な大人。まぁ彼の人生に、こんな大人がひとりぐらいいてもいいのではないか。そういう意味では、最近読んだ花田菜々子さんの『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』は、他人事とは思えなかった。
普段接しない小学生と一緒に過ごすのは、未知の体験すぎて
エネルギーがいくらあっても足りなかった。

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