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たゆたえども沈まず

表題は、パリの紋章に刻まれている標語だ。帆いっぱいに風を受ける船が描かれ、ラテン語でFluctuat nec mergiturと記されている。これを訳して、たゆたえども沈まずという。ここでの「たゆたう」は漂うことを指す。
フランスは運河の国、と聞いたことがある。吹き荒れる風に晒され、揺らぎ、漂うばかりであっても決して沈みはしない。そんな船乗り達の心意気もあるだろうし、かの国の歴史を思えばなるほどと思う標語だ。調べてみると由来はフランス革命より古く、16世紀からという。
この言葉を教えてくれはのは、当時10代だった息子である。今いちばん好きな言葉なんだ、と言っていたのを思い出す。以来私にとっても好きな言葉の一つで、折に触れて思い出している。

果たしてここまで沈まずにこられたか、というとそうでもない。何度も沈んだと思う。もうどうしようもない、と考えたこともあった。それでもこうして浮上し、ゆらゆらと怪しくもなんとか生きているのだから、人生わからないものなのだ。それとも、実はまだ本当の底を見ていないだけなのか。

私は決して器用な泳者ではない。つねに危なっかしく、水面で息も絶え絶えになることだってある。船になぞらえるなら、帆を張ることは得手ではないし方向音痴だ。それでも今日も生きているのだから、案外しぶといのかもしれない。いや、そうではなく、共に船に乗ってくれる人達のおかげだ。

近頃どうも元気がなく、ふと表題を思い出した。
これを書いている今も心がざわつき、水面でたゆたっている。この標語を教えてくれたあの日の息子の顔を思い出す。息子も沈んだかもしれないが、自らの力で浮上して今日も自分の人生を歩いている。その横顔が、手を差し伸べてくれていると思う。

人生や、世の中そのものを船に見立てるなら、数多くがそれぞれの速さで走っている。形状や大きさ、素材、吹いてくる風すら、船ごとに違う。今年も既に5ヶ月目が近い。これからどんな風が吹くのか。願わくばよい風でありますように。


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