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50代になって

久々に書きたくなりました

二年前、五十歳になった。さすがに人生の後半戦であると感じることが増えた。脂っこい食事はしんどくなり、腕や肩が痛みはじめた。そりゃそうだよなあと思っていたある日、これまでになくしげしげと自分の顔を鏡に映して眺めてみた。そうしてなんとも新鮮な気持ちになったのだから、のんきというべきか。

「おお……」
皺がある。染みがある。この年齢であればなんの不思議もない状態に、改めて気付いたような気分だったのだ。 眉は左右非対称で整えるのに失敗しているし、唇は荒れ気味だ。

思い返せば、昔から自分の顔が好きではなかった。まずほくろが多い。最大のものは二十年ほど前に除去したが、うっすらと痕になっている。それを別にしても、今なお五つのほくろが私の顔には鎮座している。どれもみな、黒々として一ミリ以上の大きさを持つ。子供時代からの変わらぬコンプレックスである。

もう一つは一重まぶた。憧れというなら、ほくろのない顔以上に二重まぶたに対する思いの方が強かった。特に十代の頃は、ぱっちりとした二重まぶたになりたくてそれ用のテープだの糊だのを試しもした。けれど私は不器用で、うまく形作ることができなかった。そのうえまぶたの皮膚を傷めて赤く腫れ上がってしまい、二重になるのは諦めた。

そういったこともあったのだろう、あまり化粧というものに関心を抱けなかった。最低限やっておけばいいかな、という気持ちの方が強かった。心の奥で「私なんかが化粧しても」と拗ねていたのだろう。

それが、である。五十になって唐突に思ったのである。
「これでもいいわ」
この「整わなさ」を楽しめばいいのではないか、と思い立ったのだ。もちろん、今でもほくろのない顔や二重まぶたには憧れがある。けれどもそうなれないなら、なれないなりに化粧を楽しんでみよう、と。

今は便利でありがたい時代だ。YouTubeで検索すれば、最重要であるスキンケア、厚塗りにならないベースメイクの方法、眉の整え方など実にたくさんの「化粧の先輩」方が培ってきた知恵や技を披露してくれている。私の年代のためのチャンネルも見つけた。それらを見ていると、もうそれだけで楽しくなる。当然の流れで自分もやってみたくなった。

これまで関心のなかったコンシーラーを塗り、ほくろの痕が目立たなくなったことに驚愕し、クッションファンデーションの使い方を調べ、これまで以上に時間をかけて眉を描く。うまく描ければその日一日よい気分になれる。理想の美女に変身とはいかないが、楽しいのだから構わない。

かつてお世話になった着付け教室の先生の言葉が甦る。
「私達、年齢を重ねたらどんどん装わなくちゃもったいないわよ」
いつもカラリと明るく、晴れやかな人柄の先生だった。先生の言われるとおりなんだな、と鏡に向かいつつ思ったりする。これまで縁のなかった色味の服でも着ている自分を想像したりもしている。

こんな風に自分の気持ちが変わるなど、まさしく想定外のことだった。けれど、わくわくしながら鏡を見るという人生初の経験が愉快でならない。叶うならこの気持ちのまま還暦を迎えたいし、いつか孫娘に「そのリップいい色だね!」なんて言ってみたい。その日を想像すると、年齢を重ねる楽しみというものがあると気付かされる。

生きていれば色々なことがあり、実際のところ、心悩ます問題を抱えてもいる。病気もある。けれど、確かに私には楽しみが──それも新たな楽しみがあり、日々を支えてくれている。五十になるのも悪くないなあ、とそんなふうに思うこの頃なのだ。


 


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