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【不妊治療】第1章『不妊症』の宣告【長い夜の始まり 1】


長い夜の始まり 1


平成7年2月1日

何から書き出せば良いだろうか・・・今日も、病院の帰りだ。

まっすぐ家に帰る気がしなくて、立ち寄った喫茶店。
今日も仕事を休み、T病院へ午前中いっぱいかけて、通院してきた。
T病院へ通院を始めてもう何年になるだろうか。

しかし、不妊を要因とした通院はまだ半年ほどか。
結婚して約1年と4ヶ月・・・まさか我が身に『不妊』という2文字がつきつけられるとは思わなかった。

平成6年、夏が近づいてきた頃だっただろうか『子供をそろそろ作ってもいいかな』という私と主人の気持ちから、避妊をやめ、通常の夫婦生活を始めた。6月、7月、8月と・・・子供は望めばいつでもできるものとばかり思っていた。 

この頃のガッカリする気持ちは、単に『あ~ぁ、今月もダメだったねぇ~』なんて言う簡単で安易な落胆に過ぎなかった。
それでも、市販の『妊娠判定薬』をいくつも買った。毎月、毎月。


そして、子供は避妊をせず、排卵日に夫婦生活をすれば自然に出来るものだと信じて疑わなかった。

そうこうしているうちに、ふと私が幼い頃手術をした『虫垂炎』いわゆる『盲腸』の傷あとが気になった。
盲腸を患った際、腹膜炎をおこし、かなり傷が腹部に癒着している為、「もしこのまま妊娠して、大きなお腹を抱える妊婦さんになったとき、この傷は果たしてどうなるのだろう?!」と、ふと思ったのだ。「それより、右側の卵管や、卵巣に癒着していて、排卵に支障があるのかもしれない。」とも、考えた。

気になって、以前から『生理不順』などで通院していたT病院の婦人科へ行く事にした。

今までは、単純に生理不順などの治療のため、時々通院していたが、M医師のお話では『妊娠しても、盲腸の傷はお腹が大きくなるにつれ、少しづつ剥がれていく。
いっぺんにボーンって大きくなる訳じゃないからね。たとえ癒着があっても大丈夫。多少の出血や痛みはあるかもしれないが、問題はないよ』と言われた。

だが、最後に付け加えるようにおっしゃった、次の一言で私達夫婦は『不妊症』という世界に踏み込むことになったのだ。
婦人科のM医師の、お話はこう続けられた。『それより、妊娠するかどうかを心配しなさい』と。
『もし本当に盲腸の傷が卵管に癒着していたらその卵管からの正常な排卵は望めないから・・・やはり、妊娠する確立は減るよ。』と、言う事だった。

それから、私の担当医は、不妊治療専門のS医師に代わった。
結婚して2年以上たっても、まして通常の夫婦生活をしているにもかかわらず、子供ができない夫婦を『不妊症』と言うらしい。

れっきとした病気なのだそうだ。その頃すでに結婚して1年を過ぎようとしていた私達は、ゆっくりと『不妊症』と言う領域にはまろうとしていた。


京都

次回・・・長い夜のはじまり 2 ・・・ をお届けします。


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