在り方を"疑う"ことの威力

昨日、ブログでイメージとかメンタルモデルとかの話をした。
執筆の中で浮上した考えがあるので、ここにまとめておく。

テーマは「疑うこと」についてだ。

"1マイル4分の壁"を疑う

記事の中で「1マイル4分の壁」を取り上げた。
これは陸上における逸話のひとつで、不可能だと思われていた記録を1人が出した途端、他の人も同様の記録をあげられるようになったというものだ。
つまり無意識に限界を決めてしまっているという話である。

最初に記録を打ち立てたロジャー・バニスターは、おそらく「1マイル4分の壁」を疑ったのだろう。疑い、トレーニングを改良し、最後には陸上界の常識を塗り替えた。

思えば人類は「疑い」によって発展してきた。

「天動説」を疑ったコペルニクスに、「空を飛べない人」を疑ったライト兄弟。科学はいつも「疑い」を持った人が変えてきた。
芸術の世界でも「疑い」はよく見られるだろう。以前の様式を疑い、新たな表現方法が編み出され続けている。

これらは世界的に大きな変革であるが、もっとマイナーな個人的な変革も「疑い」によってもたらされる。

自分でも試してみた。

"マンガ"を疑う

例えば今、noteではコミックエッセイを募集している。

初めてこれを見た時、「自分にはムリだ」と思った。
もちろん頑張ればマンガを描けるようにはなるだろうが(人は学習によってあらゆることを可能としうる)、そのために払うコストは高い。

マンガはリソースを大きく費やすものだ。
今の自分にはそれほど余剰リソースは存在しない。
実際、週間マンガ家は僕的ハードワークTOP10入りを果たしている。

しかし本当にそうだろうか?

というわけで「マンガ」の在り方を疑ってみる。
(ここからはコミックエッセイとは関係なく、マンガというものを総括して考えていく)

マンガと言われて最初にイメージするのはジャンプやマガジンなどで連載されているソレだ。ハードワークTOP10の神々である。

次に考えてみるのはかっぴーさんの「左利きのエレン」。非常に面白い作品で、いつも刺激されている。原作の方では第二部も始まっており、毎週楽しみにしている。

原作版のエレンは、雑誌に載っているようなマンガに比べると絵は”稚拙”である。(あくまで” ”付きの稚拙だ。ツッコまないでほしい)

これなら少しハードルが下がるかもしれない。
とはいっても、まだまだ今の自分がマンガを描いているイメージは湧かない。変わらず高いリソースを払う必要はあるように思う。

ここで考えてみる。

キャラクターが全て、棒人間であればどうであろう?
少なくとも商業誌において、僕はそんなマンガは見たことがないが、これはマンガではないといえるだろうか?

コマ割りや構図が難しいのであれば、4コマのようなスタイルを採用すればいい。
背景はいっそ、文字と△や□などの簡単な図形で表現してみよう。
絵もデジタルにする必要はない。紙に鉛筆で描けばいい。

これで十分マンガとなるのではないだろうか?

なおストーリーについては、小説を書いたりしていることもあり、他要素に比べるとハードルが低い。桃太郎など既存の物語をベースに展開してもいいだろう。

あとは棒人間をいかに魅力的に書くかだけだ。

三上(馬上・枕上・厠上)で考えれば、正味作業時間は1時間もいかずに1話描けるところまでイメージできた。

マンガ家やマンガ家を目指す人からしたら噴飯モノの思考かもしれない。

が、重要なのは「自分はマンガが描けない」から「描けるかもしれない」への変革である。

やったのは「マンガ」の在り方を疑っただけ。
これには非常に価値がある。

疑いの焦点

事例はここまでにしておいて、少し理論チックにまとめていこう。

まず「疑いの焦点」についてである。

疑うのは現実に存在するものではない。
そんな哲学的な話はしていない。

疑うのは自分のイメージ、メンタルモデル。
すなわち、「対象が自分の中でどう在るか」。

そのものの「在り方」を疑うのだ。

元々持っていたマンガの在り方を疑った結果、新たなマンガの在り方を再構築し直し、意識を変革することに成功した。

現実を疑っていては嫌に批判的になる危険性がある。
やりたいのはそういうことではない。

環境ではなく、自分の中にあるものを疑う「内なる眼」を持つのだ。

疑うための「明確化」

think out of the box

このフレーズを知っているだろうか。

「既存の枠組みにとらわれず、創意工夫に富んだ発想をする」みたいな意味だ。

「疑い」もこれに当たるのだが、1つコツというか原則みたいなものがある。

左利きのエレンにて、あるキャラクターが言っていたことだ。

「箱の外」を考えるためにはまず「箱」を明確にする必要がある
*表現は変えた

自身の持つイメージ、メンタルモデルを疑って変革を生むためにはまず、現在どのようなイメージ、メンタルモデルを持っているのかを明らかにしなければならない。

ともすれば高度なメタ認知能力が必要となる工程である。
だが、重要な工程だ。

"在り方を疑う"人になる

私たちは物事を規定しながらこの世界を生きている。

「これはこういうもの、それはそういうもの」と、暫定的に決めつけて物事を認識しているのだ。

しかし時たま、その在り方を強烈に疑う人々がいる。

彼らはそれぞれの手段(表現や研究)でその疑いを深め、世界に変革をもたらす。

在り方に支配されるのか、疑うのか。

僕は後者の人種でありたいと思う。


学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。