見出し画像

尊敬するダ・ヴィンチと、物語的学習体験【学習のアーティストの"手稿".1】

こんばんは、AKIです。
学習者をレベルアップさせるサイト「LearnTern」の運営をしたり、学習のアーティストを目指したりしています。

レオナルド・ダ・ヴィンチを尊敬しているのですが、彼は多くの手稿を残しています。三分の二は失われているらしく、のこり三分の一は非常に価値のあるものです。

僕もちょっと"手稿"とか書いておけばアーティストっぽいかなと思ったので、書きます。PCで書いているけど、そこは時代の変化ということで。

後半から有料になりますが、話題は変わります。だから財布の中身(残高?)を温存したい人は前半だけで。

前半(0円)→役に立つかもしれない、学習のアーティストの雑記。
後半(300円)→たぶん役に立つことはない、学習のアーティストの恥ずかしい話。

今回は記念すべき(?)一回目。この時点で何を書くか、まだ決めていません。マジで雑記です。雑です(←雑記ってそういう意味じゃない)。

学習のアーティストは、学習が好きなのか

LearnTern(サイトです。読んでみて)の記事とか、他のnoteを書くとき、僕はもっと考えてから書く。書く前の段階が8割。

今回は考えていない(嘘です。後半に何を書くかは20%くらい決めてあります。暴露話です)。

結果、「学習が好きなのか」なんて問いを見出しにしてしまった。僕(学習のアーティスト)にとっては少し深い問いかも。だから深い部分については、いつかの手稿の後半(有料部分!)で書きたいと思う。

ここではストレートに答えておこう。

「別に好きでも嫌いでもない」
「でも大事だと思っている」

「勉強は大事~、とかじゃなくて」

「人が、自分の物語を歩むために大事だと思っている」

好きでも嫌いでもないと言ったけど、ちょっと嫌い寄りかもしれない。
それは学校のイメージだ。たぶん勉強は好きじゃない。そんな人は多いと思う。あそこは勉強を嫌いにさせる場所だから。

僕は物語が好きだ。ファンタジーが好きだ。
主人公たちに憧れる。

彼らは皆、物語のなかで成長する。学習する。

学習というのは、自分を変化させることに他ならない。
それまで知らなかったことを知って、理解できなかったことを理解して、不可能を可能にして。そこにいるのは以前とは別の自分だ。

変化のない物語なんてなく。
物語なくして、僕は生きられない。

だから僕にとって学習は大事なものだ。

物語的な学習体験

これまでの学習を振り返ってみてほしい。

そこに「物語」はあっただろうか。

誰かを助けるためとか、見返すためとか。
それを学ばなければ死んでしまうとか、自分じゃなくなるとか。

別にエピックでヒロイックな物語じゃなくていい。
自分なりの、大事な物語はあっただろうか。

僕の学習者人生を振り返ってみるに、そういった物語は少ない。でも少ないけれど、あった。物語がくっついているからと言って、その学習体験の価値が必ずしも高いわけではない。

それでも、物語的な学習体験には意味がある。
時には、自分や人生を変えてしまうほどの意味がある。

僕は「誰かが主人公に変わる瞬間」を見たくて生きている。
だから物語的な学習体験を求めている。自分のではなく、誰かの。

学習のアーティストの作品

僕は現在、学習に役立つノウハウを発信している(@LearnTern)。
加えて、それらを体系化してファンタジーで味付けしたコンテンツも鋭意制作中だ。

C. LT. 体系

画像2

「学習者をレベルアップさせるコンテンツ」。

これが学習のアーティストとしての作品の一つだ。

加えて「物語的な学習体験」もコンテンツにしていきたいと考えている。それは僕のかもしれないし、誰か他の人のかもしれない。空想の人物かもしれない。

自己効力感(セルフ・エフィカシー)というものがある。
ざっくり言えば、「僕は〇〇ができる(ようになる)」という期待だ。

それは意欲に対して絶大な影響を持っている。

この自己効力感を左右する要因が5つぐらい挙げられているのだが、その一つに「代理経験」というものがある。

僕らは他人の成功や失敗をみて、自分ができるかどうかを考えてしまう。

陸上の世界で、ずっと越えられなかった記録が一人の選手に越えられたのち、他の選手も越えていくといった現象がある。

もちろん技術的要因、環境的要因もあるのだろうが、「代理経験」も関係していると思う。

プロのアーティストやアスリートを親に持つ子どもたちは、それぞれの競技において「基準」が違う。ほかの子供が「できない」と思っていることを「できて当然」と考えることがある。

才能の話ではない。彼らは膨大な努力によって「できて当然」を実行するのだから。

「物語的な学習体験」は、いまの日本人に必要な気がする。
「ああ、自分も」と拳を握りしめるために、必要な気がする。

だから僕は「物語的な学習体験」を作品として、人々に見てもらいたい。

足りないものだらけだけど

なんか思っていた以上に真面目な手稿になってしまった。
まあ最初だし。最初くらいは真面目にやっておこう。

現状、学習のアーティストとしての自分には足りないものだらけだ。
本当に足りない。なにもかもが足りない。

しかし幸いにも、「できない」とは思っていないのだ、これが。
「できない」と思ってしまったら終わりなので、ラッキーだ。

足りないものは手に入れればいい。
そのための学習だ。

レオナルド・ダ・ヴィンチは「天才」「万能人」ともてはやされるが、つまるところ学習に秀でていた。
学習能力が高い→天才とかそういう話じゃない。

興味を持ったものに熱意を注ぎ、自らフィードバックのサイクルを回して習熟していく。一つの所にとどまるのではなく、時機や環境に合わせて次々と移り変わっていく。

すでに巨匠となっていたダ・ヴィンチは、自分よりはるか年下の人間を師として仰いだこともあるのを知っているだろうか。

彼はどこまでも真摯な学習者だった。
数々の偉業は、その学習体験の途中で生み出された残像のようなものだ。

僕はレオナルド・ダ・ヴィンチを尊敬している。
ひたむきな学習者としての彼を、最高の主人公として尊敬している。

時の離れた隣人への敬意を記したところで、今回の手稿を終えよう。

――ここからは後半ね。

ここから先は

1,533字

¥ 300

学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。