見出し画像

オシャレな喪服はNGですか?

9月27日に行われた安倍晋三元首相の国葬について、どこに行っても大きな話題になった一週間でした。国論を二分したといいますが、そうした政治的な話しについてここで取り上げるつもりはありません。

私が気になったのは、国葬参列者のドレスコード。佳子さまの喪服姿がとても魅力的だという報道もありましたが、そうした前向きなトピックは微笑ましくてよいと思います。

一方で、皇室とは次元が異なる話題ですが、参列した国際政治学者の三浦瑠麗さんの喪服があまりに派手ということで、一部のメディアから批判されました。三浦さんは、胸元と腕がかなり大きくシースルーになった喪服姿だったといいます。

喪服には、もちろんさまざまなマナーがあります。結論からいえば、暑い季節にシースルータイプの喪服を着用することは、ドレスコードとして認められています。喪服のカラーは深い黒色が基本、袖は真夏でも七分袖以上、スカートやワンピースの裾は膝下5cmからくるぶし丈とされています。

市販の喪服でも夏向きのものは部分的にシースルーを使用したものも少なくなく、女性のドレスコードとして冠婚葬祭などの正装や略式装のドレスにシースルーを用いることは決して失礼にあたるものではないと考えられます。それよりも、全体の色合い、袖や裾の長さが優先されるのが一般的です。

ただ、とはいっても、暑くない季節の喪服に明らかなシースルーを用いたり、そうでなくても極端に肌が露出するような薄いシースルー素材を着用することは、当然のことながらタブーとされています。

今回の三浦さんが具体的にどのような喪服であったかは、イラスト入りの報道記事で公開されていますが、直接映像や写真で確認しないと分からないとはいえ、かなり派手めの喪服としてギリギリОKの水準ではないかと思います。

既成のブランド物なのか、オーダーして作られたか分かりませんが、いずれにしても喪服として着用することを前提としたものである以上は、提供する側もプロとして最低限の意識を持っているはずであり、タブーに触れるものを仕上げることは考えにくいでしょう。



それよりも、何かの大きな式典やイベントが開催されるたびに、なぜか女性の参列者ばかりドレスコードが注目して報道され、それが必ずしも好意的な記事ばかりとはかぎらず、どちらかといえば誹謗中傷にも通じたものがあることに、私は疑問があります。

社会通念の中で常識とされるマナーやルールの中で、人がそれぞれ個性を発揮して自分らしさを表現することは決して悪いことではなく、むしろドレスコードを含めた表現が持つ前向きなメッセージを秘めているという意味では、好感をもって受け止められるべきものだと思います。

それが、こうも批判的に評価され、ときに非難の声にまで高まってしまうのはなぜか。それは、やはり男性社会こそが世の中のスタンダーであり、オーソドックスであり、ドレスコードにおいてもど真ん中の基準に位置しているとするポリシーに由来しているように思います。

男性の喪服が、問題とされることはまずありません。それは、男性たちが紳士で格式高いからというよりは、すでに均質化されたドレスコードが確立されているからだと思います。もちろん、そのことは素晴らしいことでもありますが、くまなく観察すると盲点も小さくないのではないでしょうか。

儀式や一定の格式が求められる場だからといって、みんなが金太郎飴のようにまったく同じ格好でいることが唯一の理想とはかぎらず、その場で許される許容の範囲内で、オシャレをしたり自己表現することは、むしろ敬意や謝意の表れになることもあるのではないでしょうか。

日本には四季があります。今年の残暑も厳しく、9月末はとても暑い日々でした。夏のような陽気であれば、それに合わせたオシャレな喪服姿で参列することは決して許されないことではなく、それどころか自己表現としてのメッセージ性を持つこともありうると思います。

すべてが男性中心の均質化が当たり前のドレスコードやマナーで染め尽くすのではなく、日本人らしく色彩の違いや季節感を込めた個の表現としてのドレスコード。男性もある意味女性の感性や表現から学び、取り入れる部分があっても良いのではないでしょうか。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。