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吉野家常務の「問題発言」にみる女性蔑視思想

「生娘をシャブ漬け戦略」などと表現した吉野家の常務の「問題発言」への強い批判や批難の声が瞬く間に全国を駆け巡り、即日深夜に臨時取締役会が開催されて解任される騒ぎとなりました。

大学における学生を前にした講義でのこのような発言はまったく擁護の余地がないと思いますが、あらためてこの発言の問題の本質はどこにあったのでしょうか。

まず、「生娘」「シャブ漬け」といった言葉は、現代のビジネスシーンでおいてはまず用いられることのない俗語であり、一般的な用語でないだけでなく通常人の感覚からすれば著しく品位を欠く表現と認識されます。

「生娘」とは、文字通りの字義からすれば、「うぶな娘。男性と性体験のない娘」のことを指します。もちろん、文学的な表現においては隠喩的に多義に用いられる可能性もありますが、まず一般人が日常の生活や仕事の中で前向きに用いる用語でありません。

「ジャブ漬け」とは、「シャブ(=覚せい剤)を大量に摂取して中毒症状になるいこと」をいいます。このような表現自体、通常は社会人がビジネスで用いることはありえず、品位がない言葉であるのはもちろん人格自体が疑われかねない発言だといえます。



このように言葉遣い自体に不用意や不作法を超えてある種の暴力性が感じられるのが今回の発言ですが、さらに問題なのはこのような卑劣な表現の奥底に女性蔑視思想がどっしりと居座っている点です。

元常務の発言は吉野家の店舗に若い女性の顧客層が少ないことから、新たなマーケティングを講じることで呼び水としたいという趣旨だったと説明されますが、あえて「生娘」「シャブ漬け」などという表現を用いたことで、単純に若い女性たちに商品やサービスを訴求したいという意図を超えたメッセージを植え付けることになりました。

それは、女性は(男性とは違って)若い方が価値がある、女性は(主体性が弱いから)男性に影響されて行動する、女性は(判断能力が低いから)単純な誘導に従って追随する。あえて誇張を恐れずに表現すれば、彼の言葉からはこのような仮説を読み取ることができます。

これらはすべてジェンダーバイアスに過ぎないのであり、現実的には男性と女性の差が属性として思考や行動の質を左右することはありえませんが、意識してか無意識のうちかはともかく、男性を優位におき女性を劣後したものと位置づけた形跡をみることができます。



ひるがえって、ある商品なりサービスなりに男性の顧客層への偏りがみられ、多くの女性には受容されていないような状況にあるとき、その原因を顧客層の無知や偏った判断にあると考えるのはあまりにも非礼で横暴な態度だといえ、真摯なビジネスマンであればまず自社の取り組みの欠点や盲点を自戒することからスタートするはずです。

うがった見方をするなら、奥底にしみ渡ったある種の女性蔑視思想の存在そのものが、彼らの商品やサービスが多くの女性から支持されない現実をもたらしていたのであり、責めるべきは自社の行き過ぎた男性偏重思想ともいうべき風土にあると考えるべきでしょう。

「生娘」にせよ「ジャブ漬け」にせよ、そもそもの品位を疑う表現であることはもちろん、新たにターゲットすべき顧客層に対しての敬意や尊重などは微塵も感じられず、また自己の見識や価値観などに基づいて積極的・主体的に購買行動を起こす主体だという見立てすら完全に欠如しています。



すべての男性が男性中心の思考をするとは限らず、男性の中にも肯定的な意味で女性的な思考をめぐらす人も存在します。しかし現実の男性中心のビジネス社会の弊害が指摘される時代にあって、会社を代表する立場にある男性が発信する場合には、女性に対する敬意や尊重の姿勢が求められることは常識だといえます。

解任された元役員個人の資質であるとか、今回の問題が表面化した一企業の出来事とばかりに考えるのではなく、少なくとも目にみえない風土としてはこうした蔑視思想や差別的な気質が色濃く残っている可能性があることに目配せしながら、これからの時代に向かっていく必要があると思います。

女性の顧客層が少ない企業の取り組みであればこそ、まさに女性たちがイキイキと商品やサービスを手にすることで満足感や幸せ感を満喫できるようなリアルな姿を描いていってほしいものです。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。