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人生100年時代の男と女。

人生100年といいます。
まだ日本人の平均寿命は100歳には到達していませんが、確実に100歳まで生きる人は増えつつあり、この傾向はさらに強まっていきそうです。

10年前、20年前には人生100年という発想はあまりリアルではなかったかもしれませんが、今は努力すれば誰でも手が届く可能性がある時代になりました。
平均寿命が延びて、人生を過ごす時間が長くなるのは誰の人生によっても豊かなことであり、基本的には私たちはその豊かさを享受して生きているといえるでしょう。



人生100年になると、確実に私たちのライフスタイルも変わります。
今までは60歳くらいで職業人生のピリオドを打つ働き方が一般的でしたが、もう65歳はもちろん、70歳くらいまで働くのが当たり前の時代です。

それは、還暦前後で職業人生を終えるにはあまりにも人生が長すぎるということもありますし、逆に年金だけを頼りに長くなった老後の人生を生き抜くことは困難になってきていることも意味します。

みんなが長生きできるようになって、今まで以上に人生の時間を長く過ごせるようになったのは、基本的には素晴らしいことだと思いますが、そのわりには「そんなに長生きしたくない」という、ある種の刹那主義的な雰囲気がみられるのは、健康上の心配もさることながら、経済的な不安が一番大きいといえるのではないでしょうか。

せっかくさまざまな努力の積み重ねによって、世界的にも長寿を誇る国になった日本なのに、なんとなくそれが本当の意味の魅力と受け止められずに重苦しい空気がただよっているとしたら、あまりにも残念な光景だといえますね。



私は、その背景として、男性は「男の人生」、女性は「女の人生」という、いわば昭和的な性別役割分担の発想が、もはや今の時代に対応しきれないことはほとんどの人たちが気づきつつも、さまざまな事情によって、本格的にはアップデートすることができていない点に、大きな理由があるように思っています。

そもそも、男性は仕事中心、女性は家庭中心という役割分担は、人生100年時代を念頭においたものではありません。

昭和の時代には、60歳どころか、50代後半でリタイアすることが前提とされており、さらには多くの女性は子育てや家事中心の生き方をすることが、なかば共通認識として据えられていたといえます。

もちろん、今では法律面の改正なども相次ぐことで、立て付けとしてはそのような考え方を表立って主張する人はあまりいませんが、内面においては男性と女性との明らかな役割分担を色濃く意識して生活している人もまだまだ多いといえるでしょう。



人生100年時代を迎えると、文字通り、私たちの生き方、働き方、暮らし方にさまざまな変化が訪れます。

まず、現役を引退してからの人生があまりにも長いので、よほど社会保障制度が充実していない限りは、計画的に老後の生活資金を貯蓄しておく必要があり、経済面で子育てや日々の日常生活をまかなえればよいといった発想では、現実的なライフスタイルが成り立たなくなります。

そうすると、夫は一家の大黒柱としてもっぱら稼得労働にたずさわり、妻は良妻賢母として子育てや家事のいっさいの役割に専念するといった、従来型の役割分担は、基本路線として成り立たなくなります。

しばしば、女性の社会進出のことを指して、最近の女性は男性なみに働きたがる人が増えてきたと表現する人がいますが、それは基本的にはずれた認識であって、根本的にはかつてのような役割分担では生きていけなくなった時代に一生懸命に対応しようとしているのが現実だといえるのかもしれません。



そして、老後の時間の過ごし方もとても大事なテーマです。

65歳で引退した人が、85歳まで生きるとすると、いわゆる老後は20年あります。平均寿命はこれからのじわじわ延びていく可能性がありますから、この期間はさらに長くなっていくかもしれません。

20年といえば、学校を卒業して定年までサラリーマンをつとめた人の職業人生の半分ほどの時間になります。現役をしりぞいた人の余暇とか趣味の時間と位置づけるには、あまりにも長すぎる期間が老後に待っているといえるでしょう。

これからは、老後は人生のメインのステージが終わったしばしの癒しの時間というよりは、セカンドステージ、サードステージとして、むしろ新たなチャレンジに取り組む意味での人生本番を迎える期間だと考えるべきかもしれません。



そこで懸念されるのは、いまだに男女の役割分担意識が強すぎることです。

男性は働いて家族を養うのが本分という発想が強すぎると、引退後は目的やモチベーションを失って、ただ余暇を過ごすしかなくなります。多くの元サラリーマンには、朝起きて自宅を出て、夕方自宅に帰るまでに、行くところもなければ、やることもないし、今さら新たなことにチャレンジする気力もない、といったあまりにも悲しい老後が待っているのです。

女性は家事や育児に専念するのが当然という発想が強すぎると、現実に子育てを終えて家事もひと息ついたタイミングで、同世代の男性たちと肩を並べて豊かな職業生活へと羽ばたいていくキャリアを磨くことが、著しく困難になってしまいます。結果、学生よりも安い時給の主婦パートとして働く道しかないという悲しい中年以降のパターンがあまりにも多いといえます。

これらの悲しすぎる構図は、けっして笑えない今の日本の縮図だといえます。



これからは、今までの「男らしさ」「女らしさ」に必要以上にこだわってはいけない時代。男性もどんどん子育てや家事のようなケア労働に従事し、女性もどんどんキャリアを積み重ねて男性たちに負けない社会的・経済的地位を築くべき。しばしば、このような意見が飛び交います。おおむね、まっとうな発想だと思います。

でも、こうした意見や見解や希望は、どちらかというと、男性であれ、女性であれ、若年層をターゲットとして意識していることが圧倒的に多いのではないでしょうか。今までの時代はこうだったけど、これからの時代を生きる若者は変わっていくだろうし、その必要があるだろう。きっと、こんな発想で語られる場面がほとんどなのです。

私は、中年世代、もっといえば老後を迎える世代の人たちこそが、率先して性別役割意識をアップデートしていく必要があると思いますし、またそういう志向性をもって日々の生活や仕事への向き合い方を意識することで、これからの人生のリアルな可能性をぐっと引き寄せることにもなるのではないかと思っています。



どんな時代も、新たな時代は若者が切りひらくといいます。でも、これだけ劇的な変化の中で人生100年時代を迎えた私たちは、「いずれ若者が新たな時代をつくっていくだろう」などと悠長なことをいっている暇があるとはいえないかもしれません。

そもそも、日本において専業主婦の存在は、戦後の数十年の歴史しかないことが知られます。戦前や江戸時代以前の日本の文化や風習や意識なども柔軟かつ幅広く示唆を得るという意味では、一定の人生経験を経て熟成された人たちが新たな時代への指針を引き寄せていった方が、より安定的で現実的な姿を描くことができるかもしれません。

人生100年時代の男と女。こんな時代だからこそ、真剣にこれからの時代について考え、必要なアップデートをかけていくべき時期なのではないでしょうか。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。