見出し画像

さめた真夜中の街

友人が「海辺の朝日を見に行く旅をしよう」と言ってから数か月たった。
ついに、それを遂行するときが来た。

秋の入口、少し肌寒くなった10月の金曜日。
私と、友人と、同級生(男)で朝日を見に行こうと約束した。
終電で出かけ、電車に揺られて歩き始める駅を目指した。
金曜日の夜ということもあり、酔っぱらっている人が多く乗っていた。
私は大学生活の中で飲み会というものを体験したことが無かったので、
金曜日の夜を謳歌している自由な大人たちがうらやましいと思った。

途中の駅で友人と合流したら、同級生は音信不通になっていた。
事故にでもあっていないかと心配しながら目的の駅に着いた。
とりあえずご飯を食べて、銭湯に行った。
銭湯は貸し切り状態だった。

歩き始めると少し肌寒く、上着を着こんできて正解だと思った。
銭湯で温まった体に冷たい風が心地良かった。頬はすっかり冷えていた。
同級生からの連絡はない。
真夜中の静けさ。人が寝静まった街。
夜中に出歩くことは初めてだけれど、この人々が各々の帰る場所に帰って、明日への準備をしている時間の街の冷たさがなんだか好きだ。
大きい道路沿いをひたすら歩き、道すがらほぼすべてのコンビニに寄った。
エネルギー補給をして、休みながら私たちの旅は続く。

ついに片瀬江ノ島駅に着いた。3時間歩いた。歩数にしておよそ26000歩。
浜辺の階段に腰かけて、コンビニで買った熱いスープをすすった。
朝日が昇ってきた。
ついにこの瞬間。小さな夢がかなう瞬間。
目の前の朝日は雲に反射し、赤く輝いていた。海風が私たちをなでた。
夜から朝までの間、私はどこか人を渇望していた。
さめた真夜中の街が再びあたたまる朝を待っていた。
朝日が昇る中サーフィンや散歩をしている人々の生活を知る由もない。
でも、巡り巡って今私の目の前に存在している。
昨日から今日、また明日へと生活は続くけれど、この一瞬を共有している。
他人の人生にまで踏み込むのはおせっかいというかする必要のないことだろうが、この瞬間を共有している人々の明日が平穏であってほしいのだ。

ちなみにこの後私たちは江島神社でお参りをした後帰路につき、帰宅後すぐにベットに入って寝た。
起きたら、ちょうど同級生から電話がきた。
「家で10分休もうと思ったら、いつのまにか朝になっていた」と。
怒る気にはなれなかった。
社会人の金曜日は疲労がカンストしているものだと思っている。
またご飯行こうよ、なんてむにゃむにゃ言って電話を切った。

充実した旅。
私は昔から自分が人間嫌いだと思ってきたけど、少しは人好きなのだ。
小さな夢はまだたくさんあるけど、いっぺんに叶えたくない。
1つ1つ叶えて生きる糧にしようと思うのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?