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26時の静けさ 前編

大学1年生。華々しい人生の始まりとも思える時期に、私は鬱状態になった。外に出られず、もちろん大学にも行けずに一日中自宅のベッドで過ごした。不眠に悩み、でも何かしないと本当に社会から取り残されてしまうと思い、バイトには行っていた。バイトの終わり、帰宅時間は5分ほどだったが毎回泣いて帰っていた。鬱なので頭の中の整理が出来ず仕事の質はとても低かった。何もできなくなってしまった。無価値な人間になってしまったように思い込み、さらに仕事の質が下がった。寝たくても寝れず、朝4時に寝て6時半に出勤するのが日常になっていた。

そのうち、完全に家から出ることが出来なくなった。本も読めず、ゲームも疲れるので出来ずにひたすら横になっていた。ただ涙が出て、なにかショックなことがあったわけでもないのに生きる気力が湧かなくて。沢山LINEやメールが来て安否確認をされたけど、見られなかった。私のこのどうしようもない行き止まりのような状況を、知り合いや教員に理解してもらうことなんてとてもできないと思った。理解など得る必要はなかったのかもしれないが。心がコップのようなものだとしたら、当時私は欠けて破損していた。周囲の人の愛情が零れ落ちていく。もったいないと思った。こんな私に心配の言葉を貰うなんて。私でさえ私を愛することが出来ないのに、誰かが私を愛し慈しむなんて、もったいないと考えていた。

冬のある日、何故か元気が出た日があって、もうどうやっても単位が出ない科目(行く意味がない)の講義に参加した。体のだるさや希死念慮はあるものの、何故か家から出てどこかへ行こうとした結果、思いついたのは大学生活をやり直すことだった。私は「大学嫌い」という記事の中で綴ったように大学1年生の前期の時点で大学が苦手で嫌いな対象になってしまったのだが、それを克服したいと考えた。そして、この苦しい、どこに向かって歩んでいるのかもわからない暗いトンネルの中のを歩いているような日々に終止符を打ちたいと思っていたのだろう。もちろんいつも体を横にしていたので突然縦になるととてもしんどくて、でも途中で講義を抜ける気力なんてなく1コマ聴講した。プリントが配られるとき、前に座っていたのが同じ学科の知り合いとお互いに気が付いた。その知り合いは、簡単に言えば具合が悪そうな私を見て、怪訝な表情をしていた。「久しぶり」とも言った。私が大学を退学したという噂が学科内で流れていたのかは定かではないが、そういう感じの反応だった。まるで幽霊を見るような。帰り道、私の大学がある駅は各駅しか止まらないのでタイミングよく講義が終わらないと15分前後電車を待つ時間が生まれる。柱にもたれて電車を待っていると、線路から目が離せなくなってしまった。「この線路に落ちたら」と考えて、ふらりと一歩踏み出してしまった。その瞬間ホームに電車が来るアナウンスが響いた。はっとなり、また柱にもたれた。途端に涙が流れた。

当時の私にとって、死は救済だった。



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