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そろそろ「自信ない」をやめたい

以前、いろんな場面で「あなたのちょっとした欠点はなんですか?」と聞かれたときに、私はだいたい「ちょっと自信がないです」と答えていた。
(一回バイトの面接で「沸点が低いです」と言ったら、店長が爆笑されて、そのまま採用になったこともあったけど。笑)

たしかに、自信があまりなかった。自分をそのまま素直に信じることができなかった。でもどこかで、私は謙虚で控えめの人間です、の雰囲気をアピールして、これは美徳だと思う気持ちもあったと思う。

でも徐々に、なんで自分はそんなに自信がないんだ?と思うようになって、別にめちゃくちゃ失敗していないし、周りからもいろんな褒め言葉をいただいているのに、すぐに「いえいえそんな〜」と表でも実は裏でもマジで嬉しく思えなくて、「マジでそんなことがないから」の気持ちだったのはなぜ?
なんで勝手に自分のことを信じられなくなっていた?

もう一つ連鎖していることとして、私はそんな簡単に人を褒めない。
自信がない、褒められても信じられない、だから褒め言葉なんていらない。私はあまり人のことを褒めていないんじゃ?と気づいて、心の中では尊敬していて、素晴らしいと思っていても、あまり口に出さない。そんなの寂しいなぁと思ってしまった。私は、そんな寂しい人になりたくない。

そこから、人からの褒め言葉をしっかり聞いて、「これは社交辞令かも」と思っていても、せめて口に出しているので、私よりすごいじゃん!と思って、どんな褒め言葉でも、素直に受け入れるように頑張ってみた。

つい最近退職したことで、職場の方々から、面接の会社から、転職エージェントの方から、友人から、沢山の温かい褒め言葉をいただいて、気づいたら、純粋な気持ちで心の底から、「嬉しい!」「ありがとう!」と言えるようになった。

その褒め言葉、評価されていたことが、自分の中ではどんな事実になっているかを確認する。
「理解力が高くて、仕事の取り組みが上手人だ」
→どれくらい高いかわからないけど、仕事はちゃんと真面目に向き合っているから、ありがとう!
「日本語が異常に上手だよね」
→私より上手な人はいくらでもいるけど、せめて悪くないから、ありがとう!
「いろんな才能を持っていて、なんでもできそう」
→たしかにいろんなことをやってきたから、ポテンシャルはあるかも、ありがとう!

自信は、ただの外側からの評価ではなく、自分の中での、自分認識ができているか次第だと思った。実際はどうなのかも考えせず、ただひたすら「いえいえそんな〜」というだけでは、いつまでも自信を持たない人間だし、自己理解ができないままになってしまいそう。


今の段階では、まだ「自信を持つ」まではいかないかもしれないけど、せめて「自信がない」との一言だけで片付けるのをもうやめようと思った。


こんな文書でも読んでいただき、いつもありがとうございます!