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連載エッセイ「弱い自分」第9回「放送作家になれなかった人間②」

放送作家事務所に所属して最初に配属した番組は今も放送している某ゴールデン番組。
毎回、1つのテーマについてトークする番組で仕事内容としてはそのテーマについてのリサーチ。そして企画の提案だった。

企画の提案とはわかりやすく言えば番組内容1本分を作るということ。テーマを決めてそのテーマに詳しい人を探したり、テーマの最新情報、歴史などを順序よく資料にまとめるというもの。
事務所の先輩曰く、放送作家として鍛えられる番組はないという。

だが、この企画提案が本当にキツかった。
どうキツかったかというと、

テーマを箇条書きで10〜20個考えてグループラインに提出

運良くテーマが1つ採用したらテーマの項目を5つぐらい考えると同時になぜ今このテーマをやるのかを考える

考えたものを資料にまとめる

この資料を5つぐらい作って上司に提出

またテーマを考える

この作業を休みなく毎週続く。
最初は作家として勉強になるし、こんなに大変なんだと思うが毎週やっていくと本当にキツい。
テーマを考えてグループラインに提出してもすぐに採用されるわけもなく、1つも採用されなかったらまたテーマを考える。
これが3時間に1回あるから本当に辛い。最悪の時は最終提出数時間前までやることもあった。
その結果、事務所に行って徹夜してメンバー同士でネタを考え、朝まで資料を作成した。
そして全ての資料を完成してもメンバー同士でネタを考え続け、3日ぐらい事務所で生活したこともあった。

この番組で自分の中にある放送作家の楽しさを徐々に無くなっていった。特に辛かったので班長的な人による当たりだ。
どういう人間かというと、メンバー同士飲みにいった時に自分が人と話すのが苦手ということを話した際、その人が言ったのが「それなら風俗に行けよ」という適当な答えだった。
なので自分の心の中で呼んでいたあだ名はおっさんだった。

自分は人と話すにが苦手に対しておっさんはどんどん質問しまくる人だった。
ある時、事務所でおっさんと2人だけの状態でいつも通りテーマを考えていた時のこと。
自分が考えたテーマをグループラインで提出。
するとおっさんは「なんてこのテーマを考えたんだ!」と質問された。
自分は頭の中で何を言えばいいか考える人間なのでただ黙って考えていたらおっさんはキレて、
「さっさと言えよ。俺はすぐに返事できないやつは嫌いなんだよ!」
自分はすぐに謝った。
正直自分とは相性が悪い人間だった。

その後もおっさんの自分に対する当たりが強く、ラインの文面で説教の連続。
気に入らないテーマを提出すると「こんなテーマ出すなよ」と怒られ、資料のフォーマットを作れと言われ作ったものを見て「この番組やって何ヶ月だよ。こんなフォーマットダメに決まってんだろ」と怒られ、文章に対しても怒られ、今考えると愛のある説教だと思うが、入りたての頃の自分にとってはその思いが届かず、怒りとやる気が減っていった。

その結果、テレビ番組そのものが嫌いになっていき、放送作家なのにテレビを見なくなってしまった。
そして社長に自分の胸の内を話し、わずか半年足らずで番組を降りたのであった。

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