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「すき」の気持ちは量れない。

ここ数年、自分自身に「本当に書くことが好きなんだろうか?」と尋ね続けていた。

noteに書くのは初めてかもしれない。他のSNSにだって、書いたことがあっただろうか。仲良しのあの子にも話したことはなかったかもしれない。「書くことが好き」だとアイデンティティのように宣い続けてきたくせに。こんなこと、誰にも言えるはずがないのだ。


初めて小説を書いたのは、小学二年生の頃だ。それから意欲の赴くままに書き続けて、高校生のときには「文芸創作の勉強がしたい!」などと考えるようになる。第一志望には受からなかったが、大学では直木賞作家の教授のもとで、創作についてしごかれるなどした。

社会人になってからは、ブラック企業に入社してしまったためにうっかり二年半ほど執筆から離れた。けれど、「それではいけない!」とnoteに登録し、つらつらと小説やら自分語りやらを綴りながら、現在に至ってる。

「それではいけない!」と思ったのはどうしてなんだろう。社会人になりたての私は、希望していたクリエイティブ職にはつけなくて、事務の仕事に全く楽しさを見いだせていなかった。そのせいなのだ。「書くことを仕事にしたら、人生を楽しめるようになるかも」と淡い期待を抱くようになったのは。

書くことをすれば、幸せになれる。特別な存在になれる。だって今までずっと書いてきたんだもん。書いているときがいちばん幸せだったんだから。書くことがきっと、最も私に向いていることなんだ。――……でも、今思えば、「書くことしかない」という決めつけ、は純粋な「好き」という気持ちよりも、十年以上続けてきた執筆への「執着」だったのかもしれない。


「執着」だと疑うようになったのは、「書きたいことなんて一つもない」と気づいてしまったからだ。

「何を書いていきたいの?」

その質問にいつも答えられなかった。これまで書いてきたことは、ほとんどそのときの「思いつき」だ。記事の一つ一ひとつに伝えたいことはあれど、すべての記事に一貫する強いメッセージはない。「こんな場面を書きたい」「あの出来事を聞いてほしい」。そんな気持ちでパソコンやスマホのキーボードを打ち鳴らしてきた。それは、まさに「自分語り」と称するのにぴったりな行為だった。

明確な「書きたいもの」を見つけることが創作活動を続けていくうえで重要なのだと、もちろん理解している。でも、私には見つからないのだ。書き続けていればきっと見つかると信じていたけれど、いまだそんなお宝とは出会えていない。だから、思うようになったのだ。

「書きたいことのない私は、書くことが好きじゃないんじゃないか?」


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先日、お世話になっている編集者さんと久しぶりに食事の席をご一緒した。彼は私の文章を読んでくれていたし、私が漠然と「作家になりたい」と考えているのを知って応援してくれていた。

「いまいち創作活動がうまくいっていない」と言ったせいかもしれない。彼は、担当著者の50万相当の自己啓発講座を「玄川の活動に役立つから」と何度も勧めてきた。私が煮え切らない返事をするたびに、彼の語気は強まっていく。思い返せば、地獄のようなディナーだった。それなりに高級なメニューだったはずだけど、不思議とおいしく感じない。

「今がんばらなかったら、五年後もこのままだよ」

彼はそう説得した。そんなこと、私がいちばんよくわかっている。ここ数年こんな感じなんだから、何かを変えなければ停滞か現状維持の道しかないだろう。

「そうでしょうね。でも、前にも言いましたけど、私、別に書きたいことなんてないんですよ」

彼には、出会った頃にこの話をしていた。そのときも、彼は私に「何を書いていきたいの?」と尋ねた。「玄川のSNSを見ても、何が書きたいのか全然わからない」と付け加える。「ジャンルを絞ったほうがいいよ」「小説と自分語り、どっちがやりたいの?」とも言った。そして私は、「書きたいことなんてない」と正直に打ち明けたのだった。彼と出会って数年経った今も、依然として「書きたいもの」を見つけられていなかった。

彼はシャンパンの入ったグラスを呷いだ。一呼吸置いて口を開く。

「残念だな。玄川はもっと『書きたいタイプ』の人だと思ったけど」

のある言い方に聞こえた。ナイフでステーキを切る手に力をこめる。悟られないように、苛立ちをゆっくりナイフに流し込んでいく。

「講座、どうする?」

「書きたいことがない」のは本当だけれど、そう言えば――……つまり、活動に対して後ろ向きだとわかれば、勧誘を諦めると思ったのに。彼は食い下がらなかった。SNS上では明るく振舞い、別の著者のオンラインサロンに課金している私の反応がこんなにも悪いだなんて、誤算だったんだろう。

「あー、お金ないんで、厳しいですね」
「分割もできるけど、もっと稼いだほうがいいよ。派遣なんかじゃ全然稼げないでしょ。会社の仕事なんて、やりがいあるの?

断る理由として「お金がない」は常套句だろうに。真に受けているのもどうかと思うし、「もっと稼げ」と言われるのも、仕事を馬鹿にしてくる感じも癪に障る。「私が稼いでも、そのお金を講座に使うかどうかはわからないですけどね」と喉まで出かかったが、シャンパンで胃の奥のほうに追いやった。

「職場の方もいい人ですし、楽しいですよ。それに週四勤務で安定的に執筆できるようになったんで、私としては今が――」

「あのさ、本当に書きたい人はね、書きたいことがきちんとあるし、どんなに忙しくても書いてるもんだよ。週五で働いても、夜遅くまで寝る間を惜しんで書いてる人はたくさんいる。それが本当に好きってことだよ。玄川、やる気あるの?」

「……そうですね。私は、好きじゃないのかもしれませんね」

ナイフで切っていたのは、ステーキじゃなかったのかもしれない。私の柔らかい心臓からは、真っ赤な血液が静かにあふれ出ていた。

たぶん、生まれて初めて、「書くことが好きじゃない」と言った。


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どうにかこうにか帰宅し、彼の言葉を反芻する。腹の底が熱く、熱く煮えくり返ってきた。夫に愚痴ると泣きそうだったので、途中まで話してお風呂へ逃げた。

どうして、あの人に、書くことが好きかそうじゃないのかをジャッジされなきゃいけないんだろう。私のことなんて何も知らないくせに。今までどんな気持ちで文章を書いてきたのか知らないくせに。創作と仕事を両立することに、どれだけ試行錯誤してきたことか。何一つ知らないでしょう。どうしてあんなにも軽々しく、気持ちを否定するような言葉が吐けるのか。いや、まあ、そうか。知らないから、吐けるのか。

週五で働き、睡眠時間を削って行動することが、好きって証拠なの? それができなかったら、私は「好きじゃない」ってことになるの? 「好き」や「本気」って、そうやって量るものなの? 

もちろん、週五で働けば自己投資に割ける金額も増えるでしょう。睡眠時間を削って創作すれば、更新頻度も上がるでしょう。場合によっては早く夢が叶うかもしれない。だけど、それができなかったら、そこまで賭けられなかったら、私は「好きじゃない」ってことになるの? 夢を叶えたくないってことになるの?

「書くことが好きじゃない」と口にしたとき、悔しくてたまらなかった。本当は泣きたくてたまらなかった。あの場で言い返してやりたくてしょうがなかった。お前が、私の気持ちを勝手に量るなよ。どうして何も知らない人に、「好きじゃない」とか「やる気がない」とか言われなきゃなんないのか。

ああ、私、やっぱり書くことが好きだったんだ。「馬鹿にされて怒れる」ってことは、まだそれだけ好きだってことなんじゃないの?


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こんなにブチギレといて弁明するのもどうかと思うけど、彼は私に「発破をかけたかった」だけなんだろう。発破をかけて私の負けず嫌いな一面を引きずり出せば、講座を受講する可能性があると考えたのかもしれない。

悪く書きすぎてしまったけれど、応援してくれているのもわかっている。よかれと思って講座を勧めてくれたのも、承知している。彼の言っていることだって一理あるし、なんなら正論だとも思う。

あまりにも私が乗り気にならないから、彼だって腹が立ったのだ。私がもっと好意的な反応をすれば、彼だって心無いことを言わなかったはずだ。ああ言えば、こう言うしかない。私がもっと大人な対応をすればよかっただけ。……なんて、私、優しすぎ?

彼の勧めてきた高額講座を受講するつもりはないけれど、あのディナーで「発破をかけられた」のはよかったのかもしれない。依然として書きたいことは定まらないけれど、「書くことが好きだ」と、もう一度迷いなく思えるようになったから。

そのせいか、以前よりも執筆に打ち込めている気がする。noteもこれまであまり更新できなかったけど、転職して時間ができたこともあって(職場の先輩が「仕事が早く終わって浮いた時間は創作に充ててもいい」と言ってくれている。在宅勤務も多いので、通勤時間を執筆に使えるようになった)、「もっと書きたい!」という気持ちが芽生えてきた。追い込まれるより心に余裕があったほうが、私は執筆が進む。この生活が、今の私にとってベストだ。


「書きたいことがない=書くことが好きじゃない」と考えるのは、あまりにも短絡的だったなと思う。その方程式は成立しない。今の私が証明している。書きたいことがなくても、私は書くことが好きだ。それでいいじゃない。どうして誰かが決めた型に――知らない間に自分が信じこんでしまった型ともいえる――に、ハマろうとしていたんだろう。

「好き」という気持ちを何かで量ること自体が、ナンセンスだ。書きたいことがないから好きじゃないとか、睡眠時間を削っていないからやる気がないとか、自己投資をしてないから本気じゃないとか。誰かの尺度で気持ちを量るなんて馬鹿げてる。向き合い方は人それぞれだし、仮にその人の型にハマらなかったとしても、好きじゃないということには、ならない。自分の気持ちは、自分がいちばん知っているはずだ。


書きたいことは、見つからない。これから先も見つからないかもしれない。こうやって、そのときそのときで書きたいことを見つけ、書いていくんだと思う。書くことを見つけるために毎日を生きるのは、矛盾しているだろうか。その方法では夢に近づけないかもしれない。それでもいい。

一般的な成功法則からかけ離れても、私は私の成功法則を見つけていく。



📚11月3日(文化の日)本日、31歳になりました。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」なんだそうです。そんな日に生まれ、創作をする人生を歩んでいることに運命を感じずにはいられません。

長編小説『0組の机にポエム書いてるの私です!』、読んでね!


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