旅談#00 | もうひとつの東京・小笠原諸島・戦争と環境問題
数々の出張、旅行で45都道府県を制覇中、海外はちらほら、なわたしがゴリ押しする東京都の離島「小笠原諸島」
旅行シリーズ第一弾は価値観ぶっ飛ばされた「父島」をご紹介。13年前の旅を振り返ります。
1.アクセス
竹芝桟橋から小笠原丸という船に乗って26時間の船旅。
一般客の交通手段はこれのみ。水曜日運行、戻ってくるのは火曜日なので強制的に6日以上の旅となる、これを1航海と数える。緊急の病人や役人、自衛隊はヘリなどつかうらしい(3時間くらい)
東京湾を海側から。名前ぜんぜんわからないけどかっこいい何かしら。
レインボーブリッジをくぐったり羽田から出る飛行機を間近で見れたりと、はしゃいでたのはものの2時間。揺れで本なんか読めないのでひたすら無。
船なので電波もない、けれど三宅島や八丈島みたいな大きな島の近くを過ぎるときに微弱な電波が入るのでアナウンスがはいる。変な体験
どんな最強の人でも酔い止めは必須、黒潮なめたらあかん。
2.シュノーケルでサメに会う
長い船旅の末たどり着いた小笠原諸島の父島、別名ボニンアイランド(無人島の意)この底抜けの海の青さをボニンブルーと呼ぶ。
乗客と一緒に食料品も届くので、島民は船が来るとスーパーへ。わたしは26時間乗り物乗っても日本語通じる、けど全然観光客を当てにしてない、沖縄みたいな場所なのにフレンドリーじゃないこの場所の違和感にウキウキして散策してたらご飯を逃す。スーパーの食料は買い尽くされてる、コンビニなんかないぞ。
離島でランチタイム逃したらご飯は食べれないと思え、とひとつ賢くなりバイクを借りてシュノーケルへ。
まずは製氷海岸、眼下いっぱい枝サンゴの群生。
当時水中カメラそんなにいいものを持ってなかった(こっち系の機材はちょー高い)のもあり写真はこの程度だけど、地球か?って思ったのを覚えてる。
枝珊瑚の惑星。
続いて境浦海岸。沈没船があり波打際から数十mなので近くまで行ける。
上手く撮れなかったけど魚もたくさんいた。小笠原の海はとにかく青い、真っ青。魚達は他で見るよりひとまわり大きかった気がする。
ここでサメに遭遇してパニックになる。人間は海中ではかくも非力でノロマで、わたしの死体がどうしたらなるべく残るかを咄嗟に考えた。
聞くところによるとここで出会ったサメは昼間はおとなしいらしい。
この一件以来、海は1人で入ってない。またひとつ賢くなった。
3.夕暮れと失われた文化
そして父島絶景スポットのひとつ、三日月山へちょい登山。
太平洋の水平線に沈む夕日を堪能することができる。船はホエールウォッチング帰りだそうな。わたしは大抵1人なのでいろんな人が話しかけてきて教えてくれる。
夕飯は軽く済ませ、祭りが行われているという広場へ。
この年は小笠原返還40周年だったのでこういったイベントが多かったそう。
降り立ったときに感じた違和感をここで知る。流行の音楽をながし、常夏っぽい服を着てごちゃごちゃいしてる、そう特定の文化がない。本来なら日本とミクロネシア文化、日本語と英語が混じった土着的ななにかがあったのだろうけれど、40年にわたる強制疎開によりそこには何もなかった。
文化は何百年もかけて成熟されるけれど、壊すのは一瞬なんだと知る。
けれど何者でもないということは何者にでもなれるという、お祭りそっちのけで大量発生しちゃった羽蟻を追いかけ回す子供たちを見ておもう。
宿は忘れたけど相部屋で二段ベットの上。
下のおばあさんは明日母島に行くと言っていた。東京の離島をめぐっているという、素敵な趣味だ。屋根裏のヤモリの足音がすごかった。どったばった
4.戦争の爪痕
2日目は戦跡めぐりのツアーへ。
予備知識として硫黄島関連、その当時の手記など読んでいた。硫黄島は沖縄と同じく本土防衛の最重要拠点。その目と鼻の先の父島。
(「硫黄島からの手紙」で有名なので”イオウジマ”と呼ばれるけど正式には”イオウトウ”)
ガイドさんに島に残る砲台や墜落機、防空壕を案内してもらう。
ガイドさんは話をするときかならず「兵隊さん」と言っていた。ジャングルを歩いているとそこらじゅうにお墓がある。日本のものから十字架まで。
この日から戦争の話は大きく捉えないようにしている。ひとりひとりの身に起きたこととして考えないと、偏見が多過ぎてよく分からなくなってしまう。
わたしは祖父が特攻隊(飛ぶ前に終戦)だったので、あとちょっとなにかが違っていれば存在していない。わたしが生まれてすぐ死んでしまったので性格は知らないけど、真面目な人だったと聞いている。16歳の少年が特攻隊に志願した、そういう国だった。
日本とアメリカどちらかが悪かったんじゃない。
正義はどこにもなかったし、ただいまの人達と同じように家族を愛してる人達が精一杯生きた話だと思って戦跡を巡っている。この後、知覧、ベルリン、パラオに行くけどその話はいずれ。
かえりに「あなたのような若い人が、戦跡に興味を持ってくれて嬉しい」と言われる。戦争の話は思想が違ってめんどうくさい話しになるか、無知で話しにならないかが多いので喋らないまま大人になった。
こんな風に誰かが喜んでくれるのは嬉しい。
5.ウミガメと強制疎開
この日の夕飯は街にある居酒屋でウミガメ料理。ウミガメ刺しと郷土料理の島寿司を頼む。爬虫類なので淡白、カエルとにてる。
飲んでると隣のおじいさんに話しかけられる、父島出身だけれど強制疎開にあい、返還とともに帰島したとのこと。
「15歳以上に見える男は全員つれてかれた、おれは背が小さかったから疎開の船に乗れた。戦争が終わって帰ってきたけど、なにも残ってなかった」
教科書に載らない歴史。私たちは知り続け、伝えていかなければならない。
そんな風にしんみりしてると扉が突然開き
「ウミガメレンジャーが現れました!」と叫ぶ人
ウミガメレンジャーとはウミガメの産卵に駆けつけるためパトロールしている部隊で、彼らが現れると100%産卵シーンがみられるらしい。
海岸にはすでに数人の人と海から這い上がって産卵場所をさがしているウミガメ。
産む前は神経質になってるので刺激しないで、とのこと。
けれどいざ産卵がはじまると涙を見ようと顔に懐中電灯当てられるわ、フラッシュで写真撮られるわ、産み落とす端から人間に拾われていくわ、、、
いたたまれない気持ちになる。
ウミガメの赤ちゃんは生存率がめちゃくちゃ低く、産んだ先から拾って施設で保護するそう。自然に卵から孵ると月明かりを頼りに海を目指して進む習性なのだけど、街明かりの方が明るいのでそっちを海と勘違いして車道で轢かれてしまうそう、、、
いたたまれない気持ちになる。
海岸を散歩して別のお店で飲み直してると今度は2人の島民と出会う。小笠原で働くには技術者か公務員とのこと、それ以外は内地から派遣でたまに呼ばれるくらいで仕事の種類がないんだそうな。
あと派遣で小笠原に来た娼婦が、父島でプロポーズされ母島でプロポーズされ、それが実は親父と息子だったという落語みたいな話を聞く。
6.南島と兄島
最終日は自然系のアクティビティに申し込む。
小笠原はガイドブックに「絶滅危惧種!」と書いてある動植物が、そこらじゅうにいるので東洋のガラパゴスの異名を持つ。
なかでも南島は沈水カルスト地形といって特に貴重な成り立ちらしい。入島規制も厳しいので計画的に、入れない時期がある。
扇池、絵本の挿絵みたい。泳いで上陸の場合ここから入ってくるそう。
わたしは山道から行ったような、うろ覚え。
陰陽池。淡水と海水の混ざった湖。渡り鳥が運んだ水草が茂ってる。
ヒロベソカタマイマイという約1000年前に絶滅したマイマイ。
動いているのもたまにいるけど中身はヤドカリ。自然の摂理ィ。
それにしてもなんでこんな光景になるんだろう。
お次は父島と兄島の間でシュノーケル。
見た目こんなに近く見えるけれど、中間に激流があるらしく泳いで渡ろうとすると生存率0%とのこと。
小笠原へのアクセスを良くするために飛行場を作るならこの兄島らしいけど、それにより絶滅する種類が万にも及ぶらしい。
わたしが行った2008年、小笠原はまだ世界遺産ではなかった。
補助金も出るし飛行場もできるかもしれない、生活を便利にしたい島民と、自然を守りたいという移民の意見で世界遺産登録は是か非か争っていると聞いた。
自然を守ろう!っていってる人が案外移民だったりする時に感じる気持ちに似てる。なにごとも両方の意見があるというのを常に意識しなければならない。
7.別れの言葉と環境問題
ここで船旅最大の魅力を知る。
出航と同時に何隻もの船が小笠原丸についてきて、島民達がデッキから回転ジャンプで海に飛び込み別れを彩ってくれる。
見送りの言葉は「さようなら」ではなく「いってらっしゃい」
いつか「ただいま」と帰らないといけないといけないではないか、と心が温まりすぎて号泣。いや、そんなに海上のアクティビティーに参加してないので全然知らない船たちなのだけど、涙もろいので。
飛行機では絶対に味わえない船旅の余韻。これだけでもここに来る価値があると思う。
帰りに甲板でビール飲みながらこのたった3泊4日(前後1日は船上)の濃厚な時間を振り返る。すると空にはウミネコ、海にはイルカが泳いでてしばらく並走する。
環境問題について考えるとき、いつもこの光景を思い出す。
生き物は生まれたからにはとにかく前に進むしかない。過去は変わらない。
たとえ未来にどちらかの消失があったとしても、ぶつからないように、緩やかに舵を取り、共生の道を探ってく。
それが知恵を持った人間だからできることだと思う。
今度は2航海くらいで母島も巡ってみたいナァと思うけれど、もう愛が深すぎて小笠原が存在しているだけでいいレベルまで行っちゃってるので落ち着くまではいけないなぁ。
百聞は一見に如かず。戦争、文化、環境問題を肌で体感した旅になりました。もうひとつの東京、小笠原、コロナあけたら是非。
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