語学#00 | ランガージュの檻・言語を身につける理由
学習法にいく前にやる気スイッチはいるかもしらんお話をひとつ。
「わたしたちはなぜ他言語を学ぶのか?」
仕事のため テストのため 友達を増やすため等々...
なんていう答えは言語を扱うことによる副次的な報酬だそうな。
私たちは外国語を学ぶことによって世界への理解の解像度をあげることができます。新しい価値観を獲得することができます。
わたしは30超えて、好奇心一つで中国語学習という奇行に走ったわけですが、いまおもうのが早くも遅くもなかったなぁと。
中華文明はアジアに脈々と繋がっていて、そことの差異で見えてくる輪郭は純粋な日本という本質であるからだと思うからです。
ひとは生まれてはじめに扱う言語を『母語』呼び、その母語によって思考が固定されるという概念を
「ランガージュ(言語活動)の檻」と呼びます。
日本語を母語とする人は日本語の檻から世界を見ます。バイアス、偏見、メガネともいえる。英語を母語とする人は英語のバイアスがかかったメガネを通して世界を見ることになります。(1)
例えば「医者に診てもらう」は
【英】see a doctor(直訳:医者を見る)
【中】看醫生(直訳:医者を見る)
日本語だと立ってるポジションがちょっと違うなぁということがわかると思います(2)
フランス語では蝶々と蛾が同じ単語だったり、「立場」という日本語はposition、situation、 status...おいおいどれだよ、中国語の「沒辦法」便利すぎかよ、crazyにハマる日本語ってなんかしっくりこないなどなど。
これが檻のちがいです。
世界はそもそも言語という記号でできていないのでこの乖離が現れます
なので学ぶ言語の構造を理解し 差異を 境界を 知ること
母語の常識を離れ 別言語のルールに従うことが別言語を話すということ
いまや第二言語を扱うは当たり前となってきました
しかし世界共通語だから、ビジネスに活かせるからと
そのような理由で上滑りで言葉を扱うのはもったいない
"knowledge of the oppressor
this is the oppressor's language
yet I need it to talk to you"
[The Burning of Paper Instead of Children] by Adrienne Rich
圧政者の知識 これは圧政者の言語 けれどこれがないとあなたと話せない
売れる言語を獲得するとことで 圧政者のモノマネをするのであれば
競争システムを肯定し 記号によって弱者に暴力を振るうことに他ならない
外国語を学ぶとは じぶんの母語の檻から出ていこうとする努力そのもの
「どういう人間でありたいか」という問いに そのときどきの答えを提唱してゆくこと
世界を多面的に見れるようになり、解像度が上がる。つまり自分自身の定義が変わっていくのを受け入れていくという行為。そして世界は言語ではできていない、記号ではできていないということを忘れずに、話されていない言葉を聴くこと、書かれていない言葉を読むこと。それこそがコミュニケーションの本質だと知ること。
そうしてじぶんが再構築されていく過程をも 楽しみながら
あなたはランガージュの檻から出ていくときに
武器を持っていくだろうか? 鎧を着込んでいくだろうか?
わたしはいくつになっても丸裸ででていきたい所存。
まっぱ!!
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以下注釈
(1)人種は関係ない。チェチェン人でもキルギス人でも最初に扱う言葉が英語なら母語が英語が母語になる。
(2)日本語が母語の人は音を全て左脳で処理している。自然界が出す音もすべて「声」として聴いている、だからオノマトペが多いそうな。
アミニズムが当然として日本の生活にはあり「いただきます・ごちそうさま等」。自我と世界があるのではなく、世界のなかに自我があるということを昔の日本人は知っていて日本語は形だけ残った虚しいシステムなのかもしれない。病気の目線からお医者さんにタスケテーって話しているのかしらかわいいというかこれも面白そうなテーマなので日本語脳の話はもっとシラベマス。
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余談
手塚治虫せんせいが最後に残した「グリンゴ」(スペイン語でよそものの意)という作品は「日本人とはなんだ?」という問いだったと思います。急逝してしまうので未完のまま、、、
漫画のかみさまが膨大な作品のなかで問い続けた
「人間とは、信仰とは、命とはなにか?」
その最後のテーマが日本人というところになにかを感じずにはいられないのです。おわり
老荘思想、中国哲学の研究費、作品制作にあてさせていただきます!よろしくおねがいいたします◎