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コンテストや公募の「篩」について思った、当たり前の話。

 仕事柄、数千枚の写真からスライドに使用するものを選定してレポートにまとめる、という作業をすることがある。大体の写真は自分で撮影したものだ。撮っている時からぼんやりではあるがテーマの目星を付けて、レポートに使用する写真についても「これは使おう」とある程度考えながら、撮りまくる。絞っていてもどうしても四桁単位になってしまうのは、定点観測用資料も兼ねているためなのだが。
 もしかして、と思う。多い時は四桁にもおよぶ応募作品があるテキストのコンテストや公募だって、同じような篩にかけられているのではないだろうか?

 長編小説のアイディアを温めつつ、何かに応募するのも悪くないかなと思い立って、様々な公募の募集要項に目を通している最中である。そしてそれらを探していてよく検索に引っかかるのが、入賞した方たちの覚書とか、ノウハウに関する記事だったりする。どれもこれも読んでみてなるほどなあと思いながら、そりゃあ、数千件の応募があるものに気軽に応募するには自分、ちょっとハードルが高いっすね、と思い始めていたところ。ふと、似たような作業の経験があるかもしれないと思い出したのが、先に述べた、私が写真レポートに取り組むときの「篩へのかけ方」の内容である。

  1. 数をこなすため、明確に「これが欲しい」という考えを持ってから取捨選択をする。

  2. 数が多いことや集中力の問題で、たまに「テーマ」に合致する写真選択を取りこぼす。

  3. 最終的には直感の「好き」を武器にレポートに取り組むのはあるある。レポートの正しさよりも、何を訴えたいかを大事にする。

 これは私の写真レポートの作り方をざっと書き出してみたものだが、もしかしてコンテストの審査も似たようなものなのではないだろうかと。
 公募の篩のヒントは応募要項にちゃんと書いてあることが多い。つまり「1」の部分。そこに書いてあることは鵜呑みにするべきなのだ。奇を衒うとしてもそれを説明する機会は、作品の中で書ききることでしかできない。しかも作品の冒頭部分で説明して納得させておかないと、さっさと足切りされてしまうはずだ。審査員や下読み部隊だって数をこなさないといけない。選考対象の数が多ければ当然、「2」だって起こり得るだろう。
「3」については「2」に対する超・救済措置に当たるだろうし、よっぽど審査員の誰かに刺さっていないと難しい。それに、少なくとも一次選考を突破出来ない限り、当てはまらないはずだ。下読み部隊ならなおさら足切りの基準は応募要項(あとは、若干意味合いが異なるレギュレーションというやつか)に沿っているだろうから。

  最近ちょうど、社内の就職フレッシュな人に対して口酸っぱく言っているのは、「昨日説明した基準はAなのになぜあなたはBを持って来た? 戦略があったり説明が出来るならば良いが、なんとなくの考えであれば顧客は納得してくれないよ」という内容だったりする。根拠のない提案は相手に「無駄な話を聞く」という労力をかけさせることになる。これは相手に嫌われやすいし当然ながらファンになってもらえない。ヒントが日常の中に転がっているとは思いもよらなかったし、私はちゃっかりそれを他者に求めていたという、今、お顔真っ青である。
 どうも私はカテゴリーエラーというものを起こしがちなきらいがあって、それは要するに人の話を聞いていないのに等しいのかもしれない。そんなことを思って反省をする、日曜日の午後であった。

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