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タジキスタン・パミール再訪記12 〜ホログ2日目〜

2023年4月26日水曜日。ホログ2日目は、中央アジア大学を再訪する予定である。また、ホログの町も散策してみようと思う。


ホログ散策

午前中はホログ市内を散策することにした。

宿を出てまずはジャマーアト・ハーナを目指し、そこからチョールボーグを通り、橋を渡ってグント川の南側に行き、ぐるっと回って宿まで戻る予定である。

前回ホログに来た時も概ね同じようなルートを歩いたが、今回は宿からジャマーアト・ハーナまで行く途中、今まで歩いたことのない川沿いの道を歩いてみた。

ホログ散策。宿から東方面に歩く。
グント川沿いの道を歩いていると、小さな水車のようなものを見かけた。

ジャマーアト・ハーナの前から伸びる道の、チョールボーグの西側の入口の前にある建物は、前回来た時はアーガー・ハーン財団関係の建物のはずだったが、今回は別の看板が掲げられていた。この建物を含むいくつかの施設が当局に接収された、という話を見ていたので、実際にそうなってしまっていたのか、と思った。

本を購入

チョールボーグを散策し、前回も行ったお土産センターに立ち寄った。本がいくつかあったのでパラパラと見てみて、以下の3冊を購入した。

  • 6つの言語によるパミールの物語

  • パミールに関するタジク語の詩集

  • シュグニー語・タジク語併記の絵本

「6つの言語によるパミールの物語」は、パミールの2つの物語がシュグニー語、タジク語、ロシア語、英語、キルギス語、アラビア文字表記のペルシア語の6つで書かれている本である。後に少し読んでみたところ、最後のアラビア文字表記のペルシア語版は、タジク語版とは単語やフレーズの異なる部分が少なからずある(例えばОилаがخانوادهになっている等)。アラビア文字表記のタジク・ペルシア語ではなくイランのペルシア語かもしれない。また、単語だけでなくフレーズレベルでも割と違いがあるので、オリジナル版(シュグニー語版?)から別個に訳されたのかもしれない。

チョールボーグを歩く
チョールボーグからジャマーアト・ハーナを望む
チョールボーグの木々
本日購入した本

グント川南岸

グント川の南岸に渡って西方面に歩きり、昨年も歩いた少し高い位置の道路を歩き、ホログの町や対岸のジャマーアト・ハーナを望める小高い場所に着いた。ホログの街中で気軽に行けるビューポイントとしては、多分一番良い場所だろう。ここから眺めるジャマーアト・ハーナの構図はネット上でもしばしば目にする。

グント川とホログの街を望む
ジャマーアト・ハーナを望む

アフガニスタンの山々を正面に望みつつ道を歩いていると、子供たちに話しかけられ、英語、シュグニー語、ロシア語を交えつつ話をした。

基本的に英語が通じないとされるタジキスタンにおいて、パミールでは若年層を中心に英語を話せる人が多いとされる。私はホログではなるべくシュグニー語を話そうとしているので、パミールで英語がどの程度通じるのかはあまり把握できていないが、この子供たちも、会話がある程度成り立つレベルの英語を話すことができていた。

子供たちはサッカーに詳しく、日本のサッカー選手の活躍について話をしてきたが、私のほうがサッカーに全然詳しくなく、その方面での話を続けられなかった。子供たちよ、申し訳ない……。最初に「お茶を飲みに家に来て」的なことも言われていたが、結局行かないまま子供たちに別れを告げた。

正面にアフガニスタンの山を眺めながらグント川南側の道を歩く。屋根付きのバス停があったが、グント川北側には高頻度でバス(タンゲン=マルシュルートカ)が走っているのに対し、こちら側は本数は少ない。見たことが1度あったかどうか…?
上記写真のバス停。バス停名は「ホログ国立大学」となっていた。ホログ国立大学はグント川北側の町の中心部の少し東寄りにあるが、このバス停の所在地はグント川南側のだいぶ西の方である。何故ここにこの名前のバス停?
サッカーに詳しい子供たちと。

町のはずれが近づき、グント川方面に下る最後の道が右側に別れる三叉路にたどり着いた。前回来た時はここを右に進み、今回も最終的には同じ道を通るのだが、まずは前回は行っていない左側に行ってみることにした。この道の先に、イシュカシムの町やワハーン谷がある。

道をしばらく進むと、進行方向左側の展望が少し良くなり、ホログの町の西端と、パンジ川の対岸のアフガニスタン側が広々と広がっているのが見えた。ホログで見てみたい光景のひとつだった。

イシュカシム方面への案内のある看板。今回はイシュカシムにも行く予定である。
タジキスタン、ドイツ、アフガニスタンの国旗の書いてある看板があった。ドイツ政府の出資の下、アーガー・ハーン財団やタジキスタン政府が実施するタジキスタン・アフガニスタン双方向けのエネルギー(電力?)提供プロジェクトの模様。
イシュカシム方面への道。
パンジ川に面するホログの町の西端と対岸のアフガニスタンの山々。ホログで見てみたかった(前回は見損ねた)光景のひとつ。

中央アジア大学再訪

中央アジア大学での約束があるので、いったん宿に戻り、タンゲンでホログ東部へと向かった。

大学ではIさんに再会し、昨日に続いて食堂で昼食をいただいた。しかし、今回も取りすぎて食べ残してしまった。非常に申し訳ない……

中央アジア大学ホログキャンパスの建物群。なお、設計は日本人建築家の磯崎新氏で、日本とも縁があるとも言える。
食にて昼食。この日も取りすぎてしまった……
食堂にて

昨日会いそこねたLさんとの待ち合わせまでには少し時間があったので、Iさんが大学の図書室等を案内してくれた。昨日偶々遭遇したGさんとも再度偶々遭遇し、昨日よりもう少し長く言葉を交わした。

待ち合わせの時間になり、Lさんが友人2人と一緒に来た。大学の建物の外に出て、4人で写真を撮ったりした。Lさんはこの後用事があるが、その後でポルシネフにあるナーセル・ホスローの泉を案内してもらえることになった。私のほうはいったん宿に戻り、後でLさんと再会することになった。

パミールの山を背景に
大学の回廊的なところで

ポルシネフ

夕方、Lさんのお兄さんの車でポルシネフのナーセル・ホスローの泉(チャシュマイ・ノースィリ・フスラウ)へと向かった。

1番系統のバス(宿の前でのLさん待ち中に撮影)。前回来た時はホログの公共交通機関はタンゲン(マルシュルートカ)しか見かけなかったが、今回来るまでの8ヶ月間に大型のバスも導入されたようである。「中国の支援による」的な言葉が車体に書かれていた気がする(ホログではなくドゥシャンベだったかもしれないが)。

ポルシネフはホログからグント川沿いを少し北(ドゥシャンベ側)に行ったところにある集落で、パミールにイスマーイール派をもたらしたペルシア語詩人ナーセル・ホスロー(ノースィレ・フスラウ)にまつわる泉がある。イスマーイール派とペルシア詩に興味のある人間としては、ぜひ訪れてみたい場所だった。

後に知った物語によると、ナーセル・ホスローはポルシネフ滞在中に熱病に冒されたが、この泉が湧き出てきたことにより一命を取り留めたという。

ナーセル・ホスローの泉

車はポルシネフの集落に入ると、メインのパミール・ハイウェイから右に分岐した道に入り、坂を少し登ってナーセル・ホスローの泉に到着した。日はだいぶ傾いていて、小雨も時折ぱらつき、少々肌寒かった。

泉の上にはナーセル・ホスローの像があり、像の前にはコーラン台のようなモニュメントがあった。見てみると、アラビア文字で何かが書かれていたが、一部消えかけていたこともあり、何と書かれているのかよくわからなかった。

泉に隣接して、すぐ横にナーセル・ホスローに関する資料館があったが、資料館のほうは閉館時間になっていた。開館時間にまた来なければならない、と思った。

ポルシネフにて、ナーセル・ホスロー像と。本校執筆中に気付いたが、台座に「1000 сол(1000年)」という単語と「04-09-2004」という日付が書かれている。2004年のナーセル・ホスロー生誕1000周年に建てられたもののようである。
ナーセル・ホスローの泉全景。泉の由来がタジク語と英語で書いてある(当時は気付かなかったような、気付いたけど読んでなかったような……)。以下、英語の拙訳。「人々が語るところによると、ナーセル・ホスローはポルシネフ滞在中に高熱に冒され、非常に喉の乾きをおぼえたが、どこにも水を見つけることができなかった。ナーセル・ホスローが杖を地面に刺すと、神の慈悲により清らかな水があらわれた。それ以降、この場所は神聖なものとされ、ナーセル・ホスローの泉と呼ばれている。」
像の前のコーラン台的なものに書かれていた言葉。ナスタアリーク体っぽいアラビア文字で書かれているが、恐らくはナスタアリークやアラビア文字に関して当時得られる知識が限られていたためであろう、なかなか難解な文字になっている(単に私の手書きアラビア文字読解力が低いだけ、という面も大きいだろうが)。本稿執筆中に改めて解読を試みたところ、前半(右側)はナーセル・ホスロー詩集のカシーダ(ganjoor版18番)の以下の対句のようである。

نامدار و مفتخر شد بقعت یمگان به من
چون به فضل مصطفی شد مفتخر دشت عرب

「ユムガーンの地(ナーセル・ホスローが晩年を過ごした場所で、アフガニスタン側バダフシャーン州の山中にある)は我により名声と栄光に浴した
アラブの砂漠がムスタファー(預言者ムハンマド)の卓越性により栄光に浴したように」

また、後半(左側)はカシーダ(ganjoor版223番)の以下の対句のようである。

شعر حجت را بخوان و سوی دانش راه جوی
گر همی خواهی که جان و دل به دین مرهون کنی

「証明(フッジャト)の詩を読め、知の方へ道を求めよ
もしもそなたが魂と心を信仰に誓わせたいのであれば」

夕食

ホログに戻った後は、Lさん、お兄さんとレストランに行った。私はシュルボー、Lさんはピザを注文した。

食事中、私の語学力、コミュニケーション力不足もあり、Lさんとはあまり話をすることができなかった。Lさんからは何度も「ナクレ・ケ(話して)」と言われたが、なかなか言葉が出てこなかった。非常に申し訳ない……

ホログに戻って夕食。やや改善した気もするが相変わらず食欲不振。シュルボー+パンとした。

(続き)

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