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タジキスタン・パミール再訪記8 〜ドゥシャンベ散策・後編 トロリーバスで行こう〜

今日の目的だった本屋での本の購入は無事済ませることができた(良い本を選べたかどうかは不明だが)。本はそれなりに重いが、まだ中途半端に時間があるので、ドゥシャンベ市内でどこかに軽く行ってみることにした。


トロリー不使用トロリーバス

本屋を後にしてからは、トロリーバスに乗ってどこか、ルーダキー公園まで行っていたらルーダキー公園に行くことにした。ルーダキー公園に行くのは、前回に続いて2回目である。

私は鉄道オタクなので、日本の法律上は鉄道(厳密には普通の鉄道ではなく路面電車と同じ「軌道」という扱い)であるトロリーバスには乗っておきたい。前回タジキスタンに来た時は乗る機会が持てなかった。

ルーダキー通り(のはず)。道路の中央分離帯的な場所がちょっとした公園状になっており、そこを歩く。

ルーダキー公園方面のトロリーバスがありそうな停留所に行くと、やがてトロリーバスがやって来るのが見えた……のだが、トロリーポールを上げずに走っているのが遠くからでも確認できた。蓄電技術の向上で、最近のトロリーバスはトロリーを使わなくてもかなりの距離を走れるようになった、ということだろう。

しかし、トロリーを使っていなくてはトロリーバスも単なる電気バスだ。せっかくなのでトロリーポールから電力を取っているのに乗ろう、と停留所に来て停まったそのトロリーバスはやり過ごすことにした。が、停車中に運転手さんが降りてきて、バスの後ろに回ると紐を操ってトロリーポールを上げ、トロリーバスはトロリー電力で停留所を去っていった。トロリーポールを上げるの忘れてここまで走っていた、ということだろうか?

停車中にトロリーポールを上げるトロリーバス。
トロリーポールを上げてバス停から走り去るトロリーバス。改めて見てみるとナンバープレートを付けておらず、法律上は日本と同様に軌道(路面電車)扱いであるものと思われる。タジキスタンで路面電車が自動車扱いか軌道扱いかは前々から気になっていたはずだが、ドゥシャンベ滞在中にトロリーバスにナンバープレートが無いことに気付いた記憶が何故か無い。

貴重な場面を見ることができた、と思いつつも、そのトロリーバスには結局乗らずじまいになった。

普通のバスをいくらか見送って、その後来たトロリーポールを上げているトロリーバスに乗車。タジキスタンでのトロリーバス初乗車を果たした。トロリーバスはルーダキー公園前まで行ったので、そこで下車した。

トロリーバス車内より、ルーダキー公園前のイスモイル・ソモニ(イスマーイール・サーマーニー)像。
ルーダキー公園前でトロリーバス(写真右)を降りる。ちょうど向かい側には、例によってトロリーポールを下ろしたままのトロリーバスが来ていた。

ルーダキー公園散策

トロリーバスを降りてからは、まずは道路を渡ってイスモイル・ソモニ像を間近に見物し、それから公園の中に入った。

イスモイル・ソモニ像。間近で写真を撮ったのはこれ1枚だけだった。

お金を無心される その4

公園を少し散策していると、色黒のお兄さんが話しかけてきた。拙い私のタジク語で少しやりとりをしていると、お兄さんはクローブ(クリャーブ)から来たのだが、ドゥシャンベで仕事をしておらず帰るお金が無いので40ソモニ(約500円)欲しい、とのことだった。

なんだかよくわからない理由であり、今日はなんかいろいろお金を渡している気がしたので、お兄さんにはとりあえず10ソモニを渡し、残り30ソモニは他の人からもらってほしい、と言った。

お兄さんとはしばらく一緒に話しつつ歩いてその後別れた。なお、クローブは私も明日パミールに向かう途中に通過するのだが、私のタジク語力不足もあり、そのことには触れなかった。

ルーダキー像再び

ルーダキー公園では、去年も見たルーダキー像のところまで行き、ルーダキーの詩がどこかに書かれていないか改めて探してみたり(去年来た時は無さそうな雰囲気だったが、今回改めて見てみてもやはり無いようだった)、ルーダキー像の裏の噴水に虹ができているのを見たりした。

ルーダキー像。私がタジキスタンに興味を持っている理由のひとつは、ルーダキーの出身国だから、ということ(実際に活躍した場所は現在のウズベキスタンかもしれないが……)。
ルーダキー像の裏の噴水にできていた虹
ルーダキー像から正面方向を望む。奥の建物は国立図書館。

トイレに行きたくなったので、地図アプリで見つけた公園内のトイレに向かった。トイレの使用料は2ソモニ(約25円)だった。トイレの後は再度ルーダキー像のところに戻り、像の写真を撮ったり、近くの露店でペプシを買ったりした。かなり気温の高い日だったが、例によってペプシはぬるかった。

ルーダキー像の近くで買ったペプシ。ぬるかった。

ドゥシャンベ駅

ルーダキー公園を散策した後は、本も重いので宿に戻ることにした。ルーダキー公園前からドゥシャンベ駅方面と思しきトロリーバスに乗り、そのまま駅まで行った。

ドゥシャンベ駅前にはトロリーバスがたむろしていた。駅の中には人気がしなかったが、扉は開いていたので駅舎内に入ってみた。

ドゥシャンベ駅前にたむろするトロリーバス

誰もいない駅舎内は、列車本数が非常に少ない割には小綺麗で整備されていると思った。駅の上のほうに掲げられている時刻表に書かれている列車は、ドゥシャンベを通らないと思われるものも載っており、タジキスタン国内の全列車の案内のようだった。また、やたらとロシアのボルゴグラード行きの列車が多いように思われた。

程なくすると駅員さんが駅事務室?から出てきて、何をしているんだ的なことを聞いてきた。鉄道の撮影は禁止だという話を事前にどこかで見たことがあったが、駅員さんに見ているだけだと言うとOKとのことだった。しかし、時刻表を写真に撮っていると、そこも含めて撮影禁止とのことだった。

宿にて

ドゥシャンベ駅からは歩いて宿に戻った。宿の部屋では、バングラデシュから中央アジア方面に観光に来ているというお兄ちゃんと、他に2人連れのお兄ちゃんが同室になっていた。やたらとお互いに親密な感じの2人連れのほうが何人なのかは不明で、彼らの話している言葉が何語か(タジク語かタジク語じゃないのか)も把握できなかった。バングラデシュのお兄ちゃんとは英語でいくらか話をした。

宿の隣のパミール行き乗合タクシー乗り場。明日はここからパミールへと向かう。

宿では、部屋の中には良いところにコンセントが無く、廊下のソファーに座ったりしつつスマホ等の充電を行った。

部屋にはシャワー兼トイレも付いていたが、同室の2人組のお兄ちゃんのうちの一人がトイレに行っている時、紙が無かったようで、私が日本から持ってきていたトイレットペーパーをいくらか使ってもらった。また、他の人がトイレ&シャワーを使っている時にトイレに行きたくなってしまい、なかなか使い終わる気配がなかったので宿の受付の人に他の部屋のトイレを使わせてもらったりもした。

夜食

夜になって、夜食の買い出しに行った。目的地は、宿から東に行き、空港からの通りをしばらく北に行き、大きな交差点に出たところにあるスーパーの一つである。

スーパーの中に入って、どういうものが売られているか見て回る。イランでも飲んだ乳酸系飲料のドゥーグもあり、買いたいと思ったが、「イランのドゥーグ」を意味する「ドゥーギ・エロニー」という名称のものと、タジキスタン版ドゥーグ(「ドゥーギ・トジキー」だったか「ドゥーギ・トジキストニ」だったかは忘れた)とがあり、どちらにしようかかなり迷った。後者にも興味があったが、イランのドゥーグが恋しくて結局前者を購入することにした。食べ物としては、大きなナン(パン)が2つセットで3ソモニ(約40円)というものがあり、同程度の値段でより量の少ないものは無かったのでこれを購入することにした。これらの他に水も購入し、値段はトータルで17.5ソモニ(約200円強)だったと思う。

スーパー近くの交差点
「イランのドゥーグ」を意味する「ドゥーギ・エーローニー(Дуғи эронӣ)」という名称のドゥーグを購入

宿に戻り、部屋のベッドの上でナンとドゥーグでの夜食とした。部屋の中には、トイレから微かな臭いが漂っていた。そこまで気にならない臭いだと思っていたが、ドゥーグの蓋を開けるとやたらと気になるようになり、なかなかドゥーグを飲み進められなかった。発酵系の臭いを脳が混同しているのだろうか?

ベッドの上でもなるべく窓に近い場所に座り、ナンを1枚の半分弱ほど食べつつ、どうにかドゥーグを飲み干すことができた。ドゥーグを飲む時は極力トイレから離れた場所で飲むべし、という何の役に立つかわからない教訓を得た。

宿にて、買ってきた本をパラパラとめくってみる。これはそのうちの1冊の序文。内容は本校執筆時点でまだ読めていない(汗)
序文末尾。「アブドゥルガニー・ミールゾーエフ」という人が書いた模様。姓がロシア語風語尾になっているので、この文章は(ソ連人の書いた)アラビア文字表記のタジク語とみなせるだろうと思っている。

夜は、同室のお兄ちゃんたちが3人とも夜遅くまでスマホで音を出しながら動画を見ていて、眠りそうな気配が無かった。明日の朝は早い予定なので寝ようと思ったが、部屋の電気がついたままではなかなか眠れなかった。自分から他人に意見を言うのが苦手な典型的日本人な私だが、午前1時を過ぎた頃に、電気を消して良いかと3人に言い、消灯して寝た。

(続き)

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