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【コラムエッセイ】会食恐怖症の着眼点

私は会食恐怖症(かもしれない)。
うーん、だったかもしれない。
いや、今もそうかもしれない。

はっきりしない書き出しで申し訳ない。

というのも【会食恐怖症】について書くのはこれがはじめてなのだが、はっきりしないのはそもそも私を会食恐怖症にあてはめて(枠に囲んで)いいのか正直わからない(自信がない)からだ。

この会食恐怖症という言葉を知ったのもぼんやりとした過去の記憶で、あえて深堀りせずきたくらいだ。なので間違えて「外食恐怖症」だと思っていた。そんなレベルということだ。

が、今シーズン、第二弾となる夜ドラ続編『作りたい女と食べたい女』に新たに登場してきた南雲という人物がこの会食恐怖症という設定だということに自分のそれと重ねてしまいとにかくこの不便さ(辛さ)に悩む人がいることをその内のひとり(かもしれない)私の思うことも書いてみようとなったわけだ。

会食恐怖症についての専門的(医学的)解説や説明はググっていただいた方が正確でもあり、前述した「自分があてはめていいのか自信がない」こともあり私は私のケースを書くことで比較してもらったり、天秤にかけて参考にしてもらえたらそれでいいかなと。

まず、このドラマに出てくる南雲は主人公たちのマンションに引っ越してきた「食べたくない女」というポジションを担っている。

夜ドラ「作りたい女と食べたい女」season2
人物相関図

作りたい女こと野本と食べたい女こと春日がお近づきの印にと南雲を食事に誘う。
が、なんとか理由をつけて誘いを断る南雲。
この時点では人付き合いが苦手な人なのかなー程度の印象なのだが後に南雲が春日に折角誘ってもらったのに申し訳なかったと謝罪する。
そこで南雲は「実は…」と自らが会食恐怖症だと告げるのだ。

春日はとても自然に今出そうとしていた飲み物は辛くないかと尋ねる。
その春日の対応に南雲はいい意味での思いもよらなかった反応をしたようにみえた。
きっとそんなふうに接してくれた人がいなかったのだろう。

私もこのシーンで「あっ」と思った。
春日が南雲にかけた「飲み物なら辛くないか」という配慮はとてもかけてもらいたい言葉だからだ。
え?何それ?と、変に困らせたくないから春日の驚きもしなかった反応が一番嬉しいのかもしれない。

南雲は小学生の頃に給食を残さず食べることが苦痛だったこと。少食ということもあって食べきれず食べきるまで掃除の時間になろうが食べさせられた経験がトラウマになりそれが積み重なって「食べること」に対して恐怖心や食べている自分を見る周りの目や意識が怖くなった結果、人前では食べ物が喉を通らなくなってしまった。
家庭でももっと食べなさいと急かされる。
食べなきゃいけない。食べねばならない。
食べることがプレッシャーになる。
その縛りが南雲を益々追い詰めていった。

この過去の告白に、私の同じ経験を重ねた。
全く同じだった。

私は今でも覚えている。
小学校に入学してはじめての給食のメニューを。
カレーライスだった。
その時の目の前に座っていた女子生徒の後ろ姿も名前も覚えている。その時の風景、光景、教室の騒がしさ、匂い、全てを覚えている。

はじめての給食に緊張していた私のスプーンは全然すすまなかった。
ちょっとずつ掬ってはちびちびと口に運んだ。
力みながら飲み込んだ。
完食は出来なかった。
しかも牛乳が苦手だった私は毎食出る小さな紙パックの牛乳がどうしても飲むことが出来なかった。
私は給食の時間が嫌いになっていった。
4限目が終わるのが億劫だった。
その時間が迫ってくるのが怖かった。

だからいつも給食の時間が終わり昼休みや掃除で机や椅子を後ろに寄せて移動させる時、私だけがまだ残って食べさせられていた。

あぁ、邪魔だと思われているだろうな…と。

どんなに時間をかけたって食べられないのもわかっているのに意味もなく箸で魚をほぐしたり、食べてるふりをした。
目の前では同級生たちが楽しそうに遊んでいるのに…。

その内困ったもんだという顔をした先生がやって来てもういいからと呆れた感じで声をかける。

食べきれなかったそれらが乗った傷だらけのへこんだ銀のお盆を一階の給食室まで運んだ。

給食室には給食のおばちゃんがいてもうすっかり私は常連の顔なじみで、それでもおばちゃんは明るく大きな声で「そうかー、また残しちゃったかー」と責めなかった。むしろ受け入れてくれた。
それでも残った食べ物をバケツに捨てる時、牛乳パックを押し潰しながらビシャーと牛乳をシンクに流す時、言いしれぬ罪悪感に苛まれた。

もったいない…。

なんで私はみんなと同じように魚のフニャフニャになった皮も、ゴクゴク一気飲みする牛乳も、全部きれいに食べられないのだろう…と、出来ないことがわかっていながら答えの出ないことばかり考えていた。

そしてとうとうある日、制服のポケットに先生や周りの目を盗んで魚の餡掛け煮を隠し入れた。
が、先生はしっかり見ていた。
先生が近づいてきて私はその数秒が永遠とも思えるほど長く観念して固まっていた。そしてざわつき周りが続々と私の方に体を向けた。

「山羊くん、今ポケットに入れたものを出しなさい」
先生がそう言うと私はぐちゃぐちゃになった魚の餡掛け煮を出して見せた。

ポケットの中は醤油の甘ったるさと魚の生臭さ、そして餡掛けの餡でドロドロになっていた。

先生から食べ物を粗末にしてはいけないと叱られた(もちろん叱られて当然のことをした)
そしてこっそり隠そうとしたことを咎められた。
そこが一番大きいのかもしれない。
私は卑怯なことをしてしまったのだから。
食べたくないばかりに浅はかなことをして、結局制服を汚し、周りからは針でさすような視線を向けられ、先生からは真っ当な説教をされたということしか残らなかった。

振り返ると当時の私は給食が本当に嫌だったんだなと気づいた。
だから南雲の回想シーンは痛すぎるくらい胸に突き刺さった。

家でも、あれを食べなさい、これも食べなさい、もっと食べなさい、食べないとダメ、なんで食べないの?おかしな子やね……

おかしいのは自分が一番よくわかっていた。
周りと同じ普通のことが出来ない。おかしいんだ。でもどうしてもなおらない。わかってた。

食事(食べること)が辛かった。
楽しくなかった。
食べたいから食べるというより食べなきゃいけないから食べていた。
だから今でもあまり食に対して執着がない。
旅の目的にグルメを掲げる人の心理がわからないのもそうなのだろう。
どこそこのあれを食べたいとか思わないのだ。これはとても悲しいことだと思う。

中学、高校になると友達とマックへ行ったりしなければいけない場面が増えた。
(しなければという時点でもう既に楽しめていないのだが)
そこで飲み物だけ頼みたいのだがそうすると必ず周りから「何でハンバーガー頼まんの?」「具合悪いん?」と信じられない、理解できないといった反応をされる。
心配されたくなかった。
なんで?と思われたくなかった。
なので最低限の注文はした。
もうすっかり食べたふりをしてごまかすのがうまくなっていた。飲み物だけテーブルに残してさりげなく包み紙で潰して先に片付けていた。
その度、小学校の給食室のおばちゃんに感じた罪悪感が蘇っていた。
いつも誰かとどこかで食べる時それはつきまとった。

ドラマでもあったがひとりになるとさっき感じるべきだった腹減ったの感覚が戻っていた。
そう、南雲同様ひとりになると食べられるのだ。

そして、そんなことを繰り返しているうちに気づいたことがあった。

あれ?なんでこいつとだったら食べられるんだろう?

心を許せる友人となら食べられることに気がついたのだった。

私が誰かとものを食べられるというのはその人との関係性が現れるようだ。
そして、大人になるにつれ、なんとかほんの少しだがつまめる程度の無理は出来るようにもなった。が、それもコンディション次第ではあるが。

私は【会食恐怖症】なのか…
ないわけではないだろう。
でも、パニック障害と付き合ってわかることはなんでも病名でくくらないこと。だ。
程度はあれどみんなそれなりになにかしらの【症】があるはずだ。

ただ、今回、ドラマで会食恐怖症を扱ったことになんというかよくぞ取り上げてくださった!と、ちょっと嬉しく、そしてなぜ今まで取り上げてこられなかったのだろうと。(自分が気づいてなかっただけかもしれないが)

これから南雲は作りたい女と食べたい女と関係を深めることで心に変化が起きるのかもしれない。
それは現実にもあることだし、そんな自分と会話できるようになれば少しでも生きやすくなるはずだ。

私もそんなトレーニングを繰り返して、旅行の楽しみにグルメが仲間入りしてくれる日をぼんやり待っている。

続編の夜ドラ。とても問題提起として一石を投じる意味のあるドラマだと思う。


余談だが、小学校の先生のおかげで牛乳が飲めるようになったことは今でも感謝している。
厳しかったけどそれが私の為になったことは記しておきたい。






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