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【山羊日記#36】学園祭にたそがれて

小学生の頃、私は絵画教室に通っていた。
絵を描くことが好きだったので小学校を卒業するまで続けられた習い事だった。

低学年は水彩画を。
学年が上がるにつれクロッキー帳にデッサンを。
円柱、三角錐、四角、球体などの白い石膏の静物を描いた。

影のつけ方がめちゃくちゃなのは基本を理解していなかったからだった。
その頃あたりから私は教室の他の生徒からはみ出ていったように思う。

油絵も色を重ねて削ったりせず、ベターっとパレットで混ぜ合わせた油絵の具を塗るだけだった。
色のグラデーションで花の茎の緑の陰影を表現するものを緑一色をベタ塗り。
挙句の果てには黒い絵の具で線を縁取る始末。
それは描き写す描写からかけ離れた行為だった。
でも私は黒く縁取らないと気がすまなかったようで、先生も段々触れなくなっていった。
描き写すことよりキャンバスに漫画を描きたかった。私の頭の中の賑やかな色や形を描きたかったのだ。

中学へ行くと部活も始まり習い事は辞めることになった。
それでも絵を描くのは好きだったので漫画は描き続けていた。


私は絵画教室の油絵の部屋の匂いが好きだった。
体に染み付かせてずっと持ち運びたい匂いだった。

漠然と高校を卒業したら美大、芸大へ行けるのかなぁなんてあの頃は思っていた。
知らないって罪なことでもあり、ある意味最強でもある。
現実はほうきで一掻きであった。
枯れ葉掃除で袋にぎゅうぎゅう詰めにされてポイであった。

あんな超常現象が起こっているデッサンや、見たままを描写しなさいと言われているのに黒い輪郭線を付け足す奴である。
美大、芸大の憧れは消えないまでも私の人生からは縁のないものとしてフェイドアウトしていった。


それから何年も月日が流れた。
なんやかんやで絵画鑑賞とは全く縁がなくなったわけでもなく、時々そういう機会は巡ってきていて、美術館やギャラリーでの展覧会でなんかよくわかんないけどいいな〜程度の楽しみ方をしていた。
美大、芸大とは次元が違うが美術とは縁がずっとあったのだ。

詩集の装丁や挿絵の構想でもそれらは切っても切れない存在でもある。
私は感覚で好きな絵を探す。
その機会は決して多くはない。
ましてや美大生の描くものと出会うことはもっと少ない。
ギャラリーなどで開催される卒業展くらいしか触れ合ったことがなかった。
私は美大生の描く絵と私の書く詩で詩集とまではいかなくても紙の媒体でひとつ何かを作ってみたいと考えていた。(いる)←現在進行形

アートに詳しい方に相談すると学園祭の時なんかは大学構内、校舎に一般の人でも入ることが可能だと教わった。
早速調べてみると裏で話を合わせたかのような偶然に遭遇。
なんと2週間もない先に地元の美大で学園祭が!

私はその日に照準を合わせることにした。


初めての金沢美術工芸大学


知らなかったが、金沢美術工芸大学(通称、金美(かなび))は『サマーウォーズ』などで有名な細田守監督の母校だった。

あらま…超すごいとこじゃないですか。
にもかかわらず地元にいながらそんなことも知らなかったなんて…

そして私は初めて金美を訪れた。

厳かな風格の煉瓦が歴史を物語っている。

学生時代の細田守監督もこの正門を何年も通ったのだな…
と、感慨に耽っていると校舎の方から賑やかな声や物音がする。飲食ブースの白いテントが軒を連ねていた。様々な料理の出店では肉を焼く音や煙、少し焦げ臭い匂いが晩秋の澄んだ風とあいまって祭り感を相乗させていた。
私は奥へと進んだ。

美味しいですよー。
いかがですかー。

仮装ではなく私服が奇抜なThe!美大生!の若き学生さんたちの弾む声と活気におされつつ、営業スマイルに遠慮がちな会釈をこぼし素通りし、お目当ての作品展示されている本館校舎を目指す。
だが、とてつもない方向音痴の私はだだっ広い運動場に出てしまった。
またやっちまってるよ…ここはどこ?
あっちか?
いや、違う。
どこが本館?
また来た道を引き返したらゴスロリの衣装の店番の子らに睨まれそうで怖い…。
部外者も今日は堂々と歩いていい日なのに…
そして、スマイルフルスロットルの出店の学生の前を通らなければいけない。気まずい。

だが戻るしかない。

途中手に入れたパンフレットの地図を何度も回転させながらなんとか本館へたどり着いた。
すると受付の人に「受験希望ですか?」と聞かれる。
予想もしてなかった問いに「まぁ、興味は…」と、訳のわからない返答をしてしまう。

じゃあ、これどうぞと数枚の冊子を渡され、渡されるがままありがとうございますとお礼を言った。なんだったのか…。だが、受験する気があるようにみえたのなら悪い気はしなかった。

本館に入ると鼻腔を懐かしさがくすぐった。
ほのかにかつての絵画教室の絵の具や石膏の匂いがした。
マスク越しでもそれは体中を巡った。
天井が高い。
イートインのスペースが点在しつつ、見渡すが順路はわからない。
また、例のごとく学生の就職相談窓口みたいなとこへ来てしまった。

少し冷静になる。
何か落ち着く音がする。
波の音?
私は音がする方へ導かれた。

水環琴(みなわのこと)という擬音楽器。

一人の男子学生さんが竹を縦に砂時計のようにひっくり返したりして水の流れるような音を奏でていた。水環琴(みなわのこと)という擬音楽器が全部で4つあった。

その音は波音とも違うが切なくて壮大な調べで私をうっとりとさせた。
これが美大の学園祭ってやつなのだなとわからないけどそうこじつけて勝手に感動していた。

どうやら校舎の老朽化によって来年移転、取り壊しが決まっていて、この校舎はこれで見納めになる。
私は絶妙なタイミングで初めて金美を訪れることができたことに因縁めいたものを感じていた。
ここで芸術にどっぷり浸かり学生生活を送った人ならひとしおだろうと架空のOBにおもいをはせつつ、2階へ続く階段をのぼった。

2階からの眺め。これも芸術といわれれば芸術だ。

2階こそどこからどこまで進入していいのかわからない経路(方向音痴なだけ)で覗いては探り探り進んでいった。
明らかに真っ暗な廊下は関係ないってことでいいんだよね?と、自問自答し、時折聞こえる展示のプロジェクターの機械音でさえ敢えての芸術?アート?と、美大の学園祭ってだけで何でもそう思えてしまうなんにもわかってない自分に笑えてしまう。(笑わないが)

日本画の展示部屋、油絵の展示部屋と数はめちゃくちゃ多いわけでもなく、作者の名前もなかったりする作品もありつつ、それでも(あ、なんか好きな絵だな〜)と思える日本画にも出会えた。
訪ねる前の妄想では学園祭にも関わらず作品を制作している学生さんが数人いてお話なんか聞けちゃったりして繋がりが持てたり?なんて考えてたのだが、そうではなさそうだ。当たり前か。

欲を言えば作者さんと交流持てたらなぁなんてちょっぴり拍子抜けして、折角来たんだからキャンパスを散策していこうとふらふら彷徨っていた。

沢山色んな大きさの木が積んであったり、ウォーリーをさがせみたいになんでこんなところに石像が?みたいに作品が置かれていたり、なんかのびのびと時間は流れそんな空間に学生は思い思いに生きてる痕跡を垣間見たりしていた。

私は模擬店の賑やかさや仮装ではしゃぐ祭りの空気と裏腹にこの校舎が取り壊されることに胸を痛めていた。
外ではドンドコドンドコ太鼓かなんかの打楽器が鳴り始めた。遠い世界に意識をやっていた私は単純に音に驚いた。サンバのイベントがはじまったらしかった。
そのサンバに歓声があがる。
それがなお一層私の惜別感を浮き彫りにした。

「そうか……ここ、なくなっちゃうんだな……」

このスピーカーで幾つチャイムを鳴らしたろう。
放送で何人もの名前が呼ばれたろう。

絵の具が何年もかけて床に刻まれた。
その洗面台でこの世に一つしかない色の水を流したんだろう。
納得いくまで描けたろうか。そして、手を洗ったんだろうか。

金沢の冬。この教室をこのヒーター(スチーム)が暖めてきたのだろう。
何人もの厚着をした学生たちが暖をとってきたのだろう。
細田守監督もかじかむ両手を近づけたのだろうか。

季節によってこの景色も違って見えただろう。

冬は白く雪が積もって足跡が沢山穴を空けただろう。

私は何か詩と絵の創作の出来る学生さんとの出会いがあればなと訪ねてみたが、それとも違う貴重な節目に立ち会えている気がして、なんだか来られて良かったとしばらく喧騒のエリアから離れた場所で金美を肌で感じていた。

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