見出し画像

【エッセイ】20代なんて大嫌いです

「22歳なんて大嫌いです」

中森明菜さんが22歳の誕生日にそう答えたそうです。
『夜のヒットスタジオ』で「難破船」を歌う前に楽曲提供者の加藤登紀子さんとのトークでのこと。
明菜さんがテレビかなんかで言っていたのよと加藤さん。
20代のはがゆさや葛藤は後になってみて輝いて思えるものだとも。
うんうん、そうねそうねと司会の古舘伊知郎さんと芳村真理さんが頷きながら時間は過ぎていく。
そんな立ち話を明菜さんは間で時折俯きどこか申し訳無さそうに、それでも凛と咲く一輪の紫のフリージアのように画面に存在していた。

新年度、新学期、新入社員…
世の中は一斉に口を揃えてそんなことばかり言っている。毎年こんなに新年度を強調していただろうか。こんなに節目に背中を押されたろうか。新年度の異様な特別扱いに立ち止まってしまった。

新年度 一日経ったら 旧年度(んなわけないが)

なんてくだらない戯言を…恥ずべきである。
決して余裕があるわけではない。むしろ悶々としている。やけっぱちの発想がネズミ花火の成れの果てになっているのだ。


私の20代は今振り返っても当時の感覚と変わらず暗鬱として苦しい10年間だった。
あと半年もない猶予が容赦なく近づいている。
私はもう39歳。30代すらもう通過してしまう。新年度に胸は違った意味で高鳴っている。これは動悸か。心穏やかでない鼓動。瀬戸際のフリーランス。

私の20代に何があったかなんて誰も興味もないだろうし、羅列するほど惨めなものはない。馬鹿丁寧に書くこともない。
ただ、戻りたいとは思わない。
やり直したいとか思わない。
あんな苦しい日々は二度と御免だ。
(一体何があったというのか…ねぇ)

それでもあの頃から何かしら「書く」ことはしていた。
主に映像シナリオに重きをおいて書いていた。
どんな悲惨な20代であっても書くことで生き延びていた。夢の火は絶やさずここまできたことを思い出している。どんな状況でも書いていたっけ。でも、それは自分だけで完結していたなぁ。誰にみてもらうわけでもなかったし。
年に一度のシナリオコンクールに何度か何ヶ所かへ応募したことはあったが…。
胸の奥の奥で静かに燃える情熱の青い篝火。
どこを照らせばいいのかなんて頭もまわらず、書いた先には何もなかった。それでも私は書いていた。

ねぇ、何で書いてたの?

私は私に尋ねてみたくなった。
でもあの時の自分はもういない。
思い出してそれらしい答えを繕うこともできよう。だが、それは似た何かであって別のもの。もう、あの時の心境は永遠にわからない。誰にも。

あと10年したら20代を輝かしいものだと思えるだろうか。
そんな皮算用に乾いた息を吐く。
明日のこと…今日のこともままならないのに何を10年先に馳せてるんだ。たそがれてる場合か。

22歳なんて大嫌いですと言っていた明菜さん。
やっぱり私も20代なんて大嫌いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?