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【詩小説】純白の花

アンテナを窓側に伸ばしたラジカセから
フォークソングが流れていた
六月 
朝 

姉さんはいつも以上に早くから台所へ立ち
味噌汁と甘い卵焼きに
大皿いっぱいのおにぎりをこしらえていた
あの日
寝ぼけて
運動会でもあったかしらと
わたしは
外の雨の音と交互に
姉さんの後ろ姿を目を擦りながら眺めてた

叔母さんの割烹着を脱ぎながら
姉さんは仏間へ向かった
お鈴を鳴らし合掌し
ひとつ軽いため息をはいて
仏壇に向かって何かを話しかけていた
襖の隙間からわたしは
ずっとみていた
何を話していたのか
わからなかった
ただ
姉さんの背中は
寂しそうだった

立ち上がろうとする姉さんに
気付かれないよう
わたしは
布団へ戻り潜り込んだ

姉さんの足音が近付いてくる
スリッパを擦る涼しげな音と
床板が小動物の鳴き声みたいに軋む音
平日は憂鬱な音だった

襖をそっと開ける音がした
姉さんはわたしの寝姿を覗いていた
わたしは目を瞑ったまま
まるでさっきまでのことなんて知らないふりをした

襖が閉まった

わたしは薄い掛け布団から顔を出すと
額に汗が滲んでいることに気が付いた

カーテンをひらいて窓をあけた

湿気た梅雨の匂いが
いつもより甘く感じた
布団を被っていたのに
あの時の姉さんの目が想像できたのは
この湿った風が
部屋に残っていた寂しさと
張りつめた空気を
連れ去ってくれたからかもしれない

雨の音をずっときいていた

トタン屋根に落ちる雨

郵便配達のバイクのエンジンにかき消され
停止した後にひょこっと顔を出しては
濡れた道路を
タイヤに巻き込まれ
跳ねる雨

雨樋を流れる雨

庭の植物たちが雨に降られていた

そこに
白い紫陽花を見つけた

弾けんばかりの白い水風船

朝の空に打ち上がった白い花火

紫陽花なんていつの間に咲いたのだろう
わたしは今
雨に寄り添おうとしている
だから
昨日見えていなかったものも見える

姉さんが白い紫陽花と重なったのは
そんな心境のせいだろうか

白い紫陽花が
妖怪辞典で読んだ狐の嫁入りにみえた
その挿し絵は
明るい陽の光の下
長い狐の行列が
田んぼの畦道を進む
先頭の白無垢姿の狐の花嫁は俯いていた

雨に濡れぬように
大きな和傘をさしてもらって


自分で起きられたの、偉いね


横を向くと白い半袖のブラウスの姉さんが立っていた
姉さんから風呂上がりの石鹸の匂いがした

姉さん、
どこか出かけるの

姉さん、
遠くへいっちゃうの

姉さん、
今日でお別れなの


わたしは甘い卵焼きを黙々と食べながら
少ししょっぱいなと思った

黒い服装のおばさんたちや大人たち
今日は学校が休みのはずなのに
わたしは制服を着ていた

もっと何か話してくれないとわけがわかんないや

姉さんがどんどん他人に思えてきた
忙しないその日の
慌ただしさでも隙間は生まれる

姉さん


わたしは姉さんに近寄れなかった

輝く白い花嫁衣裳の姉さんが眩くて
ゆっくり
ゆっくり
遠ざかっていく

大きな和傘がくるりと揺れた

白い紫陽花はあの日の姉さん
嫁いでいったわたしの姉さん

雨に濡れて
花弁は
純白に潤む

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