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【詩小説】煌めいてる

次の停車駅は「小三、小三、小学校三年生です」

車掌さんのアナウンスが蒸気機関車内に響き渡った。
私は徐々に減速していく車窓の景色を眺めていた。

「なお、車内清掃及び機器等のメンテナンスの為当駅での停車時間は6時間とさせていただきます。ご理解の程よろしくお願い申し上げます」

妙に眠たいのはいつの間にか車内の空調が暖房に切り替わっていたからだった。
曇った車窓を手で大雑把に拭くとまだ日は落ちていないはずなのに駅名の書かれた看板に照明が点っていた。
達筆な明朝体で書かれた「小学校三年生」
その看板の下を行き交う人たちはコートを着て首を竦めていた。
吐く息は白かった。今にも雪が散らついてきそうな薄暗い空。
「冬か…」
ダウンジャケットをトランクボックスから取り出し袖を通した私は時間を潰しに外へ出た。


よう子という名前のクラスメイトがいた。
三つ編みのおさげ髪が揺れると肩を化粧筆で払っているようだった。
縁のない丸眼鏡がとても知的な印象を与えていて、実際模範的で欠点の見当たらない優秀な生徒だった。
よう子はピアノの演奏も上手だった。
合唱コンクールでもよう子はピアノ伴奏だった。
よう子は物静かで笑う時も口元に手をやってクスクスと俯いて上品だった。
よう子のまわりだけぼんやりと音の鳴らない光の風鈴が煌めいて見えた。

給食後の昼の長い休み時間になるとよう子は教室のオルガンを弾いていた。

「三年一組」

教室の札の前で私は立っていた。
休み時間で廊下は大勢の生徒たちで賑わっていた。誰ひとりとして私と目が合うことはない。彼らには私の、正確には大人の今の私の姿は見えていないのだ。だが、私という意識はその場に存在していた。
教室からオルガンの音がしていた。
よう子の演奏だとすぐにわかった。
私は教室のドアをすり抜けて黒板横のオルガンに向かって体を揺らしているよう子の後ろ姿を見つめていた。

「あのぉ……」

私をすり抜けて一人の男子がよう子に近づいていく。
小学校三年生の私だった。

よう子は演奏の手を止めて体を斜めに振り返った。
小学校三年生の私は顔を真っ赤にして言葉につまっていた。
よう子は眼鏡を外して指の関節で両目を交互に押して再び眼鏡をかけ直した。

「あ、あの…、今月の…朝の歌のさ…」
「……、銀河鉄道999?」
「うん!それをさ…弾いてほしいんだ」
「え?」
「僕も弾けるようになりたくて…練習してるんだ」
「…うん」
「あ、これ、楽譜」

小学校三年生の私は四つ折りの光沢紙を慌てて開いてよう子に渡した。

当時、一時間目の授業前に朝礼で歌を歌うのが決まりとしてあった。それは今月の歌として、クラスによって違っていて毎月学級会で何を歌いたいかを決める話し合いが行われていた。
その月の課題曲はささきいさおの「銀河鉄道999」だった。
小学校三年生の私はそのアニメも知らなかったが先生がカセットテープで聴かせてくれた「銀河鉄道999」をとても気に入った。疾走感溢れる前奏に胸をときめかせた。それは銀河鉄道という名前に相応しく宇宙に流れる星々の雨が頭の中で降り注いでいたのを今でも鮮明に覚えている。

楽譜もまともに読めない小学校三年生の私はドレミファソラシドと音符と歌詞の間に鉛筆で書いて人差し指一本で順番を覚えていた。

よう子は背中を向けると姿勢を正して滑らかに体を揺らし「銀河鉄道999」を弾き始めた。
同じ歳の指とは思えない器用で複雑な動きで鍵盤の上を踊っていた。
その指の動きと強弱のついた演奏に目を輝かせてよう子の隣で立ち尽くしていた。



「はい。これでいい?」

いつの間にか演奏が終わっていた。
「あ、ありがとう!やっぱりよう子ちゃんはすごいね。めちゃくちゃ上手だよ」
「そんなことないよ」
よう子は照れくさそうに俯きがちで四つ折りのプリントを返した。
「僕この歌が大好きで…今弾けるようになりたいんだ」
「この曲難しいよ」
「よう子ちゃんでも?」
「特にこの前奏、五本の指を素早く動かさなきゃいけないし、勢いがないと全然良さが出なくなっちゃう」
「……あのさ…僕に…教えてほしいんだ…」

小学校三年生の私の初めての告白に近い勇気の要るお願いだった。
よう子は決して乗り気ではなかったが、少しだけならと了承してくれた。

それから誰もいなくなった放課後はひとりで教室のオルガンで練習をした。
終礼の後は先生がストーブを消して職員室へ戻ってしまうから2月の放課後の教室はとても寒かった。
指を何度も擦って温めてジャンパーを着てマフラーをぐるぐるに巻いて暗くなるまで練習をした。
2月は日がすぐ沈むから教室は5時前にはもうすっかり闇に包まれていた。

時々昼休みになるとよう子に具体的な箇所を決め集中的に指の動きを教えてもらった。
そんな時間が楽しくて仕方なかった。

はじめは人差し指だけでしか弾けなかった小学校三年生の私はよう子の速さまでには到底及ばないがたどたどしくとも五本の指でなぞるように体に覚えさせていった。

2月も終わろうとしてる頃、昼休みにいつものようにオルガンを弾いていたよう子に「聴いて欲しいんだ」と声をかけた。

よう子の気配を背中で感じながら小学校三年生の私は「銀河鉄道999」をオルガンで演奏した。
それはお世辞にもよく弾けたねとも言えないたどたどしくて所々で鍵盤を間違え音を外し、宇宙の流れる星々とは程遠い消えかけの蛍光灯の点滅の煌めきだった。

「……まぁ、もっと時間をかけてこれからも練習しないとね。でも、よかったと思うよ」
よう子からはじめて微笑んでもらえた。


私は相変わらず楽譜も読めずピアノも弾けないが「銀河鉄道999」だけは指が覚えている。
あれからずっとこの曲だけは練習した。


私はダウンジャケットのポケットから懐中時計を取り出した。
列車の発車時刻まで残り数分だった。
私は慌てて教室を飛び出して校庭を走った。
校門の外へ出るとそこは列車のホームだった。

現実と幻のあわいに。

なんとか間に合った。
久々に全速力で走ったら息がきれて心臓がバクバク鳴っている。
膝に手を置いて肩で息をしていた。
呼吸を整えねば…と
その時首筋にひやりと冷たいものが。
ふと顔を上げるとゆっくりと雪が落ちていた。


「ながらくお待たせしました。当列車は間もなく発車いたします。次の停車駅はAmbitious Pleasure……アンビシャスプレジャー……良い旅を」

車掌さんのアナウンスの後に汽笛が鳴った。
列車がゆっくりと動き出した。
長い
長いホームが続く。
まだ目で人の口元の動きも読み取れる速度だ。
私はまた曇っていた車窓を手で拭き、遠ざかる「小学校三年生」と書かれた駅名の看板を見つめていた。

看板が見えなくなると進行方向へ顔を戻した。

長い駅のホームに佇む一人の大人の女性。
どこか見覚えのある後ろ姿だった。
三つ編みの…おさげ髪…。

よう子?

その女性はすぐ側に置かれた赤い自動販売機と比べると身長は160弱といったところだった。
その女性は三つ編みを縛っていた水色のゴム紐を解いて腰まで伸びた金髪を手でクシャクシャっとした。
そして振り向いた。
間違いなくよう子だった。
眼鏡はかけていなかったが当時目頭を押す時に外した素顔の面影は残っていた。
自動販売機で色の違う2本の缶コーヒーを大柄な男が買ってよう子の前にやって来てどちらが飲みたいかを選ばせていた。
二人とも上下グレーのスウェットに猫のマスコットキャラクターの健康サンダルを履いていた。
雪も先程より大粒で風が吹けば一瞬視界が白く遮られるまでになっていた。
寒くないわけがない。
よう子は熊のような男にもたれかかり身を寄せ合い暖を取っていた。両手に缶コーヒーを握りしめ…。
私は車窓に両手をついてよう子を凝視した。
私は心の中でよう子…と、囁いた。
すると大人になったよう子がこちらに顔を向けた。
しばらく私とよう子の目があった。
そして小さく口を動かして何か言葉を発していた。

(ワ、ラ、エ、ヨ…)

笑えよ?

よう子は今まで見せたことのない口を大きく開けた大袈裟な笑顔をしてみせた。

速度を上げた列車はそんなよう子たちをあっという間に小さくした。

車窓からは雪が真横に線を引いていた。
長い長い駅のホームがやっと途切れた。

レールとのつなぎ目が一定の感覚でガタンゴトンと音をたてていた。
景色はずっと白いままであった。
私はずっと子供のままにしておいたよう子に申し訳なくなった。
真っ白な車窓に情けない顔をした私が写った。

(ワ、ラ、エ、ヨ)

とても幸せそうだった大人になったよう子の優しさはあの頃と何も変わっていなかった。

私は真っ白な車窓の鏡に出来る限りの良い笑顔を作ってみせた。

車内のスピーカーからオルガンの「銀河鉄道999」が流れてきた。
雪の結晶が宇宙の星々になっていった。

あの時よう子が弾いてくれた幻想的で眩い私の憧れていた前奏が、これからの明るい旅を予感させた。










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