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ブラックムーンリリス

ブラックムーンリリスと言う、空のポイントがある。

月がその軌道上で、1番地球から離れるポイントを指す。楕円の軌道上で最も地球に近づくのが近地点、離れるのが遠地点。その近遠の軸は毎年40度ほどズレる。ポイントはチャート上を8年10ヶ月ほどで一巡りする。

リリスは、古代メソポタポタやヘブライの神話に出てくる女性。アダムの最初の妻で、神は彼女をアダムと同じように泥から作ったそうだ。そして、リリスは、アダムに従い、そのリクエストに応じて食事とセックスを提供しているだけ、がイヤで、アダムを捨てエデンの園を去ったらしい。あるいは、拒否したため追放されたらしい。そのため神は、アダムの肋骨の一本をとって、アダムに対し忠実な妻となるイブを作ったらしい。

リリスは、飛んで、羽ばたいて、遥か遠くまで去ったと言われる。

私が私でいることを尊重する。
私が、私の自由意思を使って生きることを尊重する。
そうしない他者とは、付き合わない。

私の意思で、選択で、私のすることを決める。
自分の為以外のことはしたくない、のではない。
他者のためだけにすることでも、私がしたいからする、と言う点を尊重するのだ。強制されて、やらされることは拒否する。

自分の自由を、自由意志を使うことを優先する。
自分が感じること、自分の奥深くで感じる感覚を優先する。
自分の外の世界から、どんな刺激や圧力があろうと、自分の内にある躍動を優先する。それがどんなものなのか、最初は自分でもわからないかもしれない。とんでもないことをしでかすかもしれない。それでも、その内にある衝動、躍動を掴んで、自分としての創造していく。

そして他者の自由も、自由意志で生きることも同時に尊重する。
私がやりたいことでも、相手がイヤと言ったらやらない。
他者は他者として、その人の創造をしていけば良い。
そのような、ごく当たり前の、対等な関係を持っていたい。
誰が相手であろうと。

月に象徴されるエネルギーと神話の意図を汲みとると、そんな言葉が浮かんできた。

神話でアダムを捨てたリリスのありようを、ブラックと呼び、反抗的な、闇の存在、悪魔の母とまで言い伝える意図は何だろう。

人間は自分がわからないことを黒と認識するらしい。
自分が『まだ』わからない、知らないだけなのだが、それは闇で恐ろしいものだとレッテルを貼り、遠ざける。そんなことをしていたら世界はほぼ闇である。小さな人間一人が理解し知ることができることなんて微小もいいところだろう。さらに闇のレッテルを貼って遠ざけるものをドンドン増やしてしまえばその闇が晴れることがない。そんなことを続けていたら、人間は闇ばっかりの世界を恐れ続けるしかない。

そのパターンに乗じて、自分の意に反する者や事柄、人々を怖がらせて近づけたくない『何か』、人々が慕ったり、賛同したり、味方をして欲しくない『誰か』に黒や闇のレッテルを貼り付ける人々がいる。その人々がパワーポジションにいればいるほど、とても効果がある。それをそのまま信じれば、彼らの手の内でそれこそ暗黒の部屋に閉じ込められている状態になる。自分の目で見ることがないからだ。

わからないこと、知らないことを闇にしなくてもいいんじゃないか。黒、暗黒、闇とか、恐いイメージをわざわざつけなくてもいいんじゃないか。むしろ、闇を晴らしたら、どうか?

怖がっていたら、見えるものも見えなくなる。

見れば、見えるのだから、闇では無くなる。

知れば、もう知っているものなのだから、闇では無くなる。怖がる理由は消える。

『見える』のは、光があるからだ。
光が照らされている状態になれば、闇は消える。
それが何だったのか、見える。わかる。
だから光を当ててしまえばいい。
見て、知って、理解する。
その過程で、自ずと闇は消えている。
消そうなんて頑張らなくても。

ブラックムーンリリスのエネルギーは、あまり直面したくない、抑圧された重い感情、内なる闇を払拭するサポートをする。自分でも忘れていた古い痛み、怒り、恨み、被害者意識、孤立感。それらを浮かび上がらせて、明るみに出し、消えていくのを可能にする。出てきた時は感情的につらいだろう。それでも、消えてゆく。

その抑圧された闇は、男性優位社会の中で生きる全ての女性がひっそりと感じていながら決して表現されず、女性たち自身の内でも、そのように感じたり思ったり考えたりすることはいけないと抑え込んできたものすべてをさす。個人としての体験がなくとも、数千年にわたって、集合意識の中に蓄積されてきた虐げられた『女性性』の怒りと恨みにもつながり、共鳴する。

もし神話の中で、対等につくられたアダムとリリスのうち、アダムの方が従わなければならない立場に置かれて奉仕させられて、それを拒否してエデンを去ったのだったら、現代では『男性性』の方が抑圧された闇を抱えていたかもしれない。どちらがその時、より力を持ったか、その力を使って他を征服したか、というだけのことだったのかもしれない。あるいは、そのエネルギーの性質として仕方のなかったことなのかもしれない。求める何かに向かって直線的に進んでいくパワーである男性性のエネルギーが利己的に働くと、そうならざるを得ないのかもしれない。

全ての人に、男性性女性性のエネルギーがある。人によったり、その時のその人の状態によって、バランスが違うだけ。どちらの肉体も転生のたびに行き来している。
今女性の肉体の人は、容易に抑圧された闇を実感して、解放しようとするかもしれない。あるいは、自由を求めるより現状を維持した方が安全と思って黙するかもしれない。
今男性の肉体の人は、自分の内の女性性でその闇を理解し、女性が自由になることに賛同するかもしれない。あるいは、男性の社会的優位性を守りたくて邪魔するかもしれない。すべては、個人がどう生きたいかの選択に依る。あるいは選択しているように見えてもパターンに囚われたままの無意識状態で行動する。

社会が、他の人たちがどうであれ、自分は自分として生きる。自分として選び、行動する。その強さ、勇気、自由を求める意思をリリスは持ち、飛び立った。神話の世界で、全能の神に逆らってまで。そのエネルギーを放っている。ただ自分でいるためには、他の人から見たらラディカルだと思われるような行動も厭わない。妥協はしない。権威から見たら反抗的だろう。それは、力を振るう権威がある社会システムそのものがおかしいだけだとリリスは言うだろう。ネイタルチャートで、ブラックムーンリリスがいる場所を見ることで、自分がどんなふうに自由を掴もうとするか、ルールを破ろうとするかが見える。

ブラックムーンリリスは、物体ではなく、空間のあるポイントを指しているだけだ。決まった形を目指すのではない。常にのびのびとした自分でいる。行きたいところまで自由に飛んで行く。その固定されない、軽やかさが鍵かもしれない。

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