ジュディ・バドニッツ 『元気で大きいアメリカの赤ちゃん』

★★★★★

 2005年発表の三作目となる短篇集。翻訳版は2015年刊行。訳者は岸本佐知子。
 なんとも奇妙な味わいのする小説で、岸本佐知子が好きそうです、実に。

 絵本を思わせる寓意性に富んだ話、夢のように奇妙な状況、その反面、現実に準拠した展開と、独自の世界観をもった作家です。
 不穏な空気が漂いつつも恐怖というわかりやすい形には決して着地しない、寓話的ではあるけれど、寓話ではない(教訓を見いだしにくい)といった具合に、絶妙な配合で小説世界を形づくっています。どこかカフカの短篇を思わせる匂いもします。

 それには文体が大きく関係しています。
 基本的にいつの時代の、どこの国の話かが特定されていません。登場人物の名前はきちんと固有名詞として出てきますが、その他の点は明示されません。説明があったり仄めかされていたりはするのですが、決して書かれないのです。

 タイトルになっている「元気で大きいアメリカの赤ちゃん」というフレーズの出てくる『わたしたちの来たところ』にしても、いったいどこからアメリカに行こうとしているのかは語られません。アメリカと国境を跨いでいる国であることはわかるので推測はできますが、固有名としては出てきません。そういった書き方がどこか絵本のようです。

 どこでもありうるけれど、どこでもない、いつの時代かわからないけれど、遠い昔のことというわけでもない。
 その抽象性と具象性の配分や、語ることと語られないことのバランスが、ジュディ・バドニッツの小説世界の特徴なのでしょう。

 そして、一篇に必ず何か異質な要素が含まれています。その異質な要素は非常に捉えがたい異質性です。言うなれば、夢の掴みどころのなさです。悪夢のようでもありますが、もっと中立的でシュールレアリスティックな印象を受けます。善悪といった二項対立の図式でははかれません。

 いやはや、けっこうすごいです。
 カフカの現代版というとまとめすぎかもしれませんが、手触りが近い気がします。
 すべてが少しずつずれている写真とか、ほんの少しだけ歪んでる鏡を見ているような据わりの悪さがあります。恐怖や不安という単純にネガティヴな感情を喚起するのではなく、ただただ落ちつかないのです。絶対に安易には着地できないところは、エドワード・ゴーリーを思い出します。

 人間の内部や社会の暗部といった暗い側面を、おとぎ話風のテイストに落とし込み、教訓やメッセージ性を排すという、安易に噛み砕いて呑み込ませない重層的な物語。
 読む人を選ぶ類の小説ですが、掴まれてしまう人は内臓ごとがっちりと掴まれてしまうでしょう(もちろん僕もがっつり持っていかれました)。
 これくらい強烈な個性をもった作家もそうはいません。アメリカ文学の底の深さに感嘆します。

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