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仕送り金額0円だけど。

ネットニュースを流し見していた時のこと。
「20代後半の仕送り金額」
というものがあり、少し気になってアクセスしてみた。
この年代の人たちの2割が2〜4万円の仕送りを両親にしているとのこと。
その現実に衝撃を受けた。
類は友を呼ぶという言葉通りなのか、
私の周りには30にしてまだ実家暮らしの子もちらほらいる上、
一人暮らししていて親に仕送りをもらうという子も少なくない。
おまけに結婚している友人も少なく、
自分の人生を謳歌している人間が多い。
更に上をいく私といえば、実家に戻り、
ニートになってしまった挙句
ことあるごとに両親に金銭的援助を受ける日々だ。
毎度申し訳ないと思う反面、
働けないというのも事実で、
体が治れば両親に楽をさせてあげたい。
そんな気持ちはあるものの一向に良くなる気配はない。
60代半ばの両親の老いを感じるたびに申し訳なく感じ、
残り少ない時間できっちり親孝行せねば。
そう思うけれど現実的に厳しい。
親孝行をしたいと思ったからといってお金が増えるわけではない。
そんなことを思いながらも、その記事が心に引っかかり、
なんとか少しでも親孝行をしたいと考えていたところに母が帰宅した。

幼稚園で働く母は肉体労働の為、日々疲労との戦いだ。
本人は「幸せな疲労」というけれど、
疲れていることには変わりはない。
その日は運動会ということで、
いつも以上に疲れが溜まっていたようで、
「マッサージしてくれへん?」
と、私の前に寝転がった。
親孝行暴走モードに入っていた私は二つ返事で母の側へ行き、マッサージを行なった。
父はそういった類のことを嫌う人で絶対にやってはくれない。
だからこそ私に頼んだのだろう。
硬くなった母の足を揉みながらふと考えた。
"これって私にしか出来ないことだよね"
プロにマッサージをお願いするとそれこそ馬鹿みたいにお金がかかる。
けれど他人にお願いできるのは肩揉みぐらいで、
脚のマッサージなんかはお願いするにはハードルが高すぎる。
けれど人の手には敵わないものがある。
そう考えると、家族である私が気持ち程度マッサージするだけでも、
母にとってはかなりありがたいものなのではないだろうか。
むしろこれこそ私にしか出来ない親孝行なのではないだろうか。

その日疲れ切っていた母はもう今日は料理を作れないといった。
しかし、父は料理が出来ない。
更に言えば添加物を嫌う母は外食を嫌う。
そこで私の出番だ。
寝ている母、パソコンに向かい合う父に背を向け台所に立つ。
ご飯を炊き、冷蔵庫の中身を確認し、作れそうなものを考える。
唐揚げとサラダと具沢山味噌汁。
少し質素な気はするが、まあこんなものだろう。
テーブルに料理を並べ両親を呼ぶと、
「あぁ、人が作ってくれるものは美味しいわ」
そういって喜んでくれた。
そんなことを言われると私だってもちろん嬉しい。

これだってそうだ。
ご飯が作れないからといって家事代行を呼ぶほどではない。
そして父はどう頑張ったって料理はできっこない。
ならば私が作って仕舞えばいいのだ。
全てが解決するのだ。
したいけど出来ないことを誰かがしてくれる。
してほしくないことを盛大にしてくれるよりも、
相手からすればずっとありがたい。

私は残念ながら仕送りは出来ない。
自分の生活ですら面倒を見れないのに。
けれど両親はありがたいことにお金を自分たちで稼ぐことは出来る。
だからこそ、お金ではない部分で喜ばせるということもまた親孝行なのだ。
これは親孝行に限った話ではない。
誰かを喜ばせたい時、
何かを成し遂げたい時、
他の人は当たり前に出来ていて、
自分には出来ないことがあるかもしれない。
けれど、そこに嘆くのではなく、
視点を変えて、自分にしか出来ないことを見つけてみてはいかがだろうか。

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