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死とはなにか?(私の考え)【前半】

今回は、「人の死」について私が考えていることを述べさせて頂きたいと思います。

なお、もしかすると今回の内容に宗教的な印象を受ける方もいらっしゃるかも知れません。
ただ、私は一切の信仰やそれに類する思想につきましては否定も肯定もしない立場であり、今回の内容はいわゆる宗教とは関連のない考えです。

また、専門外の分野について理解不足の部分があるかも知れませんが、どうぞご容赦ください。

なぜ人は生まれ、死んでいくのか


今でこそ在宅医療に関わる医師として、多くの方の最期を看取って参りましたが、急性期病院から在宅医療に移った時、今までにないお看取りの多さに一時うつ状態になりかけたことがありました。

いくら全力を尽くしても、簡単に患者さんが亡くなってしまう現実に無力感でいっぱいでした。

この時に感じた疑問が、
「人はだれでも必ず死んでしまう。では、なぜ人は生まれ、死んでいくのだろうか?人が生きて、死ぬことに何の意味があるのだろうか?」
ということでした。

その答えを求めて、様々な本を読んだり、色々な人の話を伺ったり、ブッダの教えをかじってみたりもしました。
しかし、悶々と気持ちが晴れない日々が続きました。

原始生物には寿命がない→寿命は進化で獲得

そんな時、たまたま本屋さんで、「生き物の死にざま」(草思社)という本を見つけ、何となく興味をひかれて読んでみました。

そこに書いてあったのは、命をかけて子孫を残そうとする壮絶な生き物たちの生き様でした。

成虫になってから一夏しか生きられないセミ、卵を産むためだけに過酷な旅をするイエティクラブというカニ、自らの体を子の食料として捧げるハサミムシなど。

まさに、R・ドーキンスの「利己的な遺伝子」に書かれているように、遺伝子を残すことが生物の役割であるかのようです(注:個体レベルではなく、あくまで種としてのお話です)。

そして、特に印象的であったのが、「原始の生物にはテロメアがない」というお話でした。

私たち生物の染色体には、テロメアという仕組みがあり、染色体が分裂するたびにこのテロメアは短くなることが分かっています。
簡単に言うと細胞分裂の回数券のようなもので、細胞が分裂できる回数は決まっており、細胞は分裂ができなくなると最終的に死滅するのです。

ここでは詳しくは割愛させて頂きますが、これが生物に老化や寿命がある理由になります。

つまり、原始の生物には寿命がなかったのですが、進化の過程で老化や寿命ができた、ということなのです。

なぜわざわざそんな仕組みを作ったのか。

老化や寿命は、自分たちの遺伝子を残すために生物が作り上げた、「古いものを壊し、新しいものを創り上げる」ための、効率的なシステムということなのではないでしょうか。

「生き物の死にざま」を読んで、生命の役割は次世代に遺伝子を残し続けることであり、そのために人を含め生物はわざわざ寿命を作り出したのだ、と理解しました。

そしてそれが、続々と新しいものを創り上げることにつながり、地球に多様性を生み出すことになったのです。

まだまだ続きますが、長くなってしまいそうなのでいったんここで筆を置き、後半に続けたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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