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どこでも住めるとしたら

…と言うのをハッシュタグで何か募集しているらしい。最近ここに書いていないのと、本日は募集要領がわからないめんどくさがり屋なので何となく書いてみよう。ツイッターにつぶやいて時間をやり過ごし、長文を書くのは課題の為だけになっている。

第一条件。
言葉が通じること、その言葉が愛せる言葉であること。

第二条件
住処は狭くてもいいが、収納がたくさんほしい。

第三条件 自然環境
空気がきれいで、風がふき、雪が降り、寒くなる。

第四条件
人が少ない。

このあたりから、「要するにフィンランド」になってしまう。
他にも北欧はあるが、言葉が違う。スウェーデン語で歌いはすれど、話せるというわけではない。英語はあまりうまくないし、言葉はその地の文化を反映するとかたくなに信じているので、その国の言葉を話すことは私にとっては大事だ。もし日本の中で違う所に住むとしたら、言葉に違和感があまりないから、と言う理由になるかもしれない。

英語は便利だが、母国語やよく知った国の習慣も見え隠れする。英語でフィンランドへ留学している学生は、英語が不得意ではないので、よく話す。ただ、そんな中にも、「相手が理解してくれているかどうかはかまわず」自分が話す、と言う人もいるように思う。こっちもだまっているからなのか、話が終わらないタイプの学生には、数人出会った。息してないと思えるくらいには。母国語の音も聞こえるので、理解が難しいこともある。それは自分も英語を話さなくなると途端に違う音になるので気にしないように心がけているが、「わからない」事には変わりない。

フィンランド語を共通言語としていても、母国文化が見え隠れする。やけに「En」が聞こえる人は、ソマリ出身者だった。先生の指摘だった。Enはフィンランド語では 「私はノー」と、大一人称で使う否定形だ。ソマリ語ではグ-グルによると、「&」と出てくるが、もしかしたらえー、とか、あのー、の類かも知れない。英語圏の人が、フィンランド語を話しながらWell…と言うようなものだろうか。
また、やけにKiitos を言う人がいた。使いすぎかもしれない。でも、その国ではもしかしたら、最後にありがとう、をつけて話すのが普通かもしれないのだ。

以前に書いたかもしれないが、「初対面の相手の名前を呼ぶ」のも、あまりお勧めではないらしい。アメリカなどならそのほうがフレンドリーでよさげだけど、フィンランドは、「仲良くなってから」なのは本当のようだ。私は今は先生の名前を呼ぶけれど、呼び捨てなので○○先生、というのりではない。本当に、ちょっと、ちゃんと聞いて!と言う時くらいだから滅多に言わない。
他国からの学生が、少しずつフィンランド語を学んで、ハイ、○○、と先生の名前を呼ぶようになったときに私は違和感を覚えていた、と威張るような話ではないものの、こういうときに指摘するフィンランド人は、語学の先生くらいしかいないので、知らずに通過することも多いと思われる。私も人の事には口を挟まない。

第五条件
として、人の世話を不用意にやかない「スルーのスキル」

でもあげておこうか。
国にもよるのだろうけれど、人の世話を焼く人に、フィランドで滅多に会ったことがない。向こうからつかつか、と近づいてくる人は滅多にいない。
私自身が近づいていきたいタイプなので、注意している。せめて微笑むくらいにしておこう。
たとえばベビーカーの子がかわいいな、と思っても遠くから見るだけ。覗き込まない。赤ちゃん連れの母親を見て、声をかけて抱っこさせて、なんて、トンデモナイ。触ったり頭をなぜたりも、とんでもない。

つまりフィンランド人は、他人との距離の取り方が上手な気がしている。例外が見えていないだけかもしれないから、一般的な印象だ。

フィンランド語話せない、英語も下手、という頃からフィンランドに旅行し、友達(同じファン仲間)にその都度会ってきた。下手な英語ながらも声をかけがちなのは私だったが、言葉が下手な初対面の印象はたぶん残るのだろう、今でもそんなにお喋りできる仲ではない。

それでも逆に、助けて、とかわからない、と言えば、手伝ってくれる。そんな印象がある。だから「質問して邪魔ではないだろうか」「迷惑なのではないだろうか」とちら、と顔をのぞかせる心の自分を、必死に「あんたは寝てなさい」と押さえつけながら、慣れるように努力してきた。心配する必要もないし、卑下する必要もない。うっかりモノだから、またやっちまった、的なところは気を付けるべきなのだけど!

以前、フランスの人間と「日本の米」とフランスのコメの比較をしたことがる。日本の炊いた米は、くっつく。フランスのコメはくっつかない。これが人間も一緒で、日本はくっついていて、フランスはくっつかない。フランスは、なにかと批判が好きで、うるさい面もある。くっつかないが常にしゃべっている。

寿司ブームから寿司も普通の食べ物となって有難い限りなんだけど、フィンランドもそんなにくっついていない気がする。フィンランドにだっておかゆはあるし、カレリアンピーラッカというのはお米を包んだパイでもある(おいものもある)のだが・・・おにぎりのようにぎゅっと固めることができるのは、単に米の種類の違いなのだろうが、それでも、米がつく、つかない、と言う例えは、今でも覚えている。

スルーのスキル、というか、世話を焼かない、と言うか(舅姑は、この限りではないし、婚姻生活の中では別かもしれないが)この国のソーシャルディスタンスは、昔からさほど変わらないように思っている。

条件はいくつかでそろった。というより、どんどん話がずれて行った。本当はきっともっとたくさんあると思うが、「静かさ」を最後にあげて、今日の書きなぐりは終了としよう。

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