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最終回

 さてさて、今回で「文明生活へのソフトランディング」を終わりにしようと思います。

 すっかり日常のペースに取り込まれ、外食を含め街に溶け込んでしまったからです。そして季節は冬です。
日常のペースとは主に仕事の予定や決められた勤務シフト、そして出勤してから出会う方々の会話やホウレンソウ、不満や提案、求められるスピード。別に望んでいないのに周りからこれらのものが降ってきます。自然にそれらを受け止めます、当然。そして気がつけば意識を占めるのは仕事の段取りとか仕事前後の準備や報告書作り。
忙しいですよねー。

 そんな感じの日常が7月までの私の生活でした。
今また、その容器にすっぽり入ってます。
嫌だとか、都会は疲れるわ とかは一切思いません。人はそういう表現を、よかれとしてくれるけど、それには違和感だわね。

 都会と自然。自然に触れると癒されるわぁ と伸びをしながら言う光景をよく見ます。定型文です。
でもね、あまりその境界線は感じないのです。休日は山に登ってリフレッシュされているのね! はい、とは返事するけどちょっと違う。
都会と自然は対比させる概念なのか? 違うんだよなー
都会の雑踏の中でも通勤電車の中でも、家にいて前をぼーっと見ているときでも、私の中にのんびりできる一角があるから場所に依っていない。
自然は自然で、山の中で足場を定めて、気を抜かずに歩いている瞬間は決してのどかなものではない。息が上がってきてあとどのくらい登りが続くのか?と思っている瞬間は癒しな訳ないし。

 なんだか屁理屈のように感じるかもしれないけれど、場所じゃないんだよなぁ。緊張・スリリング、重圧と弛緩、傷つけられた気持ち、攻撃する棘、ほっと嬉しい瞬間。刺激が多いかそうでないか、そんなことかな?

 一つ自分の拠り所に帰れる方法として、視線を遠くにもっていくのはどうだろう。 刺激の多い、画面が目の前の場所においても「遠い目をする」
きっと気持ちがざわつかない自分の一角にアクセスできるに違いない。


※ 2か月半、山の中で暮らして視力が異様によくなりました。0.3が0.8になったのです。約3倍です。 きっと向こうの山の稜線を見ている時間が長かったからでしょう。
あなたの遠い目の向こうは何でしょうか

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