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【side C】私達は、水の星にいる

「あの子は、小説家になるのかもしれないわね」

小学校六年生の時に、私は父親の再婚相手の母親にそう言われていたそうだ。

「あんた、全部わかっているのに、なんでここに来るの?」

小説のデビューの話が一度流れて悩んでいた時に相談しにいった占星術師は、開口一番、お客さんである私にそう言った。

「実は、本当は小説家になりたかった」

私が生まれる前に他界した祖父が残した講演集やインタビュー集には、そう書いてあった。

先日、20年前に初めて読んだ小説を再読した。吉本ばななの『アムリタ』だ。

共感を通り越して、渇望だし切望だった。自分との境目がわからなくなるぐらいに読み込んだ。

そう、私は本当は知っていたのだ。

こちらの世界が本当、こっちが本当だと。

『アムリタ』は妹が死に、頭を打って記憶をなくした主人公が、母、母の友人、いとこ、父親の違う弟という家族の中で暮らしながら、死んだ妹の恋人やその友人たちと出会い、過ごしていく物語だ。筋書としては、本当になんてことはない。

好きなシーンが無数にある。

例えば序章。

主人公・朔美の死んだ妹の恋人、竜一郎が旅に出て、ビクター犬の置物を送ってくるところ。熱を出してはしゃぐ弟が、「荷物が届いた!」と言って部屋に飛び込んでくるところから、『となりのトトロ』を観終わったあと、トイレに置いていたビクター犬の置物の前で泣くまで。

当時の私は中学生で、人の死を見たことはなかった。けれど、何かを失くすことは既に経験していた。

切に憧れたシーンがもうひとつある。

朔美の弟の由男が、『アムリタ』内の表現で言うところのチャネリング小僧になり、その状態を朔美に訴えかけたあとに朔美が言うセリフだ。

「わかったよ。応援する。でも、おぼえておいてよ。私の夢はね、歳の離れたおまえが高校生ぐらいになったとき、彼女のプレゼントを買うのにつき合って日比谷シャンテのレイジースーザンに行って、すこしお金をたしてものを選んでやって、そのあとセリーヌのティールームでお茶をしたりすることなのよ。細かいでしょう。でも、お前が生まれた雪の朝に、そういうことができるのか、いいなぁって思ったんだからね」

私も、いいなぁ、と思った。私もいつか、言いたいなあ、と思った。当時の私は、きょうだいと生き別れたばかりだった。

由男は、チャネリング小僧になったあとに「小説家になる」と言い出している。死んだ妹の恋人、竜一郎は数年前に本を出したきりの作家だ。死んではいないものの、私はきょうだいとは会えない。一生会えない可能性のほうが高かった。由男はその後、学校に行けなくなり、中学生の私も学校に行けなくなった。ネタばれになるけれど、母の友人が母の金を盗んだこともあり、その友人が語る「家の中のムードが飢えた狼の巣のようになる」状態もよくわかる。

わかり過ぎた。

小説の中では、物語は進んでいく。

タイトルの『アムリタ』は慈雨という意味だ。

小説の中で、登場人物たちは慈雨を見る。

切に思った。

ねえ、この人たち、どうして私の側にいないの?

20年ぶりに再読をして、驚いた。

登場人物の一人ひとりに心当たりがあった。

あの人は主人公の朔美やきしめんに似てる。

あの人は弟の由男やメスマに似てる。

死んだ妹の恋人だった竜一郎と朔美が、サイパンに行くシーンがある。そこで、させ子とコズミくんというカップルと時間を過ごす。させ子というのは本名で、そんな名前を親につけられるぐらいにどうしようもない人生を歩んできて、今は南の島にいる登場人物だ。

させ子が出てくるシーンを読み、思った。

私、今、南の島にいる。私、させ子だ。

中学生当時の私は南の島に行ったことなどない。

再読する前にはさせ子が登場する南の島のシーンより、ほかの部分をよく覚えていた。弟の由男と行く高知旅行のシーンでの夕焼け。ひょんなことから出会うきしめんという登場人物の白い花のようなイメージ。サイパンでのシーンは筋書としては覚えていたが、印象としては完全に忘れていた。

けれど、させ子が出てくるサイパンでのシーンは、現在住む加計呂麻島の情景とそっくりだった。

「だって、いつもいつも『ここから出たい、このからだから出たい』と思ってたんだもの」

させ子が話すシーンがある。

わかり過ぎた。この人生に、私は全く納得がいっていなかった。

こんなの、全部、嘘。みんな、嘘だ。

嘘だと思うのは、これが本当じゃない、と、どこかで知っているからだ。

そう、私は、本当は、知っていた。ここから、出られる、と。

再読して、もうひとつ気づいたことがある。

主人公の死んだ妹の恋人、竜一郎が数年前に本を出した作家だということだ。

驚いた。少し笑った。

夢が叶う、というのとも違う。願望が実現した、というのにも違和感がある。引き寄せた? 同調した? 若い頃に強烈に焼き付いたイメージを、無意識に実行した?

私にとっては現実より、この小説のほうが真実だっただけだ。

昨日、夢に出てきたからそろそろ会うと思っていた、とか、初対面だけど会ったことがあると思ったら、やはり10年以上前に会っていた、だとか、そんな話は今、無数にある。

「ここには時間も空間も生きてる人も死んだ人も、最近死んだ人も昔死んだ人も、日本人も外人も、みんないる。海も町もカラオケも、山も歌もサンドイッチもごちゃごちゃにあるの。夢なの。夢のなかでは、ケーキ食べたいな、と思ったらぽん、と出るでしょ。お母さんに会いたいな、と思ったらもう会ってるでしょ? それと一緒。そういう暮らし」

サイパンでの暮らしのことをさせ子が朔美に手紙で伝える。

何もかもが側にいて、溶けていることがよくわかる。

『アムリタ』はサンスクリット語で神々が飲む水という意味で、地球の表面の70%は水だ。

「生きていくことは、ごくごくと水を飲むようなこと」

私達は、水の星にいる。

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。