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【Vol.6】どうしてもDV男が好きな女:絵梨

 DV=ドメスティックヴァイオレンスという言葉が生まれて随分経つ。その被害者は増える一方だという。殴られても蹴られても、その男が好きな女は実際に多数いて、今、ちえりの目の前に座る絵梨も、ついこの前に些細なことが理由で男に携帯を二つに折られたばかりだ。けれど、絵梨は、その男と別れる気は毛頭ないと言う。

 私鉄沿線沿いの串揚げ屋で緑茶ハイを飲みながら、ちえりは、絵里が現在ダブルローンで支払っている真新しい携帯をいじりながら「この前、連絡遅れたから折られたからさ、ちょっとメールさせて」と言っているのを見ている。


A story about her: 絵梨

  絵梨は友人の紹介での飲み会で知り合った女で、家が近かったので時折、飲みにいくようになった。昼間はエステティシャンとして働き、夜は近場のスナックで週に二回ほどアルバイトをしているそうだ。

 絵梨の恋人はそのスナックで知り合った肉体労働をしている男だ。店で出会ってすぐさま付き合いだし、それから二年が経っている。

「でも、本当に普段は優しいんだよ。って、典型的DV男好きな女って感じの発言だよね」

 絵梨は、恋人のことをそんな風に言う。

「そこまで状況を冷静にわかってて、なんでその男と続けてるわけ?」

 殴る男なんて最低だ、止めておけ。そんな言葉など一通り言ってきたわたしは、半ば絵梨の話に興味を失いながらそう聞き返す。

「うーん、セックス?」

 あの人にはわたししかいないから、本当はいい人で怒らせちゃうのはわたしのせいだから。そんなありがちな言葉が返ってくると思っていたら、予想外の答えだった。

 わたしは思わず、「え、そこなの?」と聞き返した。

「そう、そこなんだよ。これが不思議なことにDV男はもれなくセックスが上手いの。統計を取ったら絶対、そういう結果が出ると思う」

 そんな統計を誰が必要とするのか、そもそも、そんなに絵梨は今までDV男とばかり付き合ってきたのか。言いたいことは山程あったが、わたしは取り急ぎ絵梨に話の続きを促した。

「なんで、DV男ってセックスが上手いんだろうね。女を求めてる感、女に求められたい感が基本的に強いからかも。だから、上手いのかも。なんか、セックスが切実だもん」

 そんな風に切実に求められることって、そうないからさ。だから、すごくいいのかもね。

 絵梨はそう言って、茄子の肉詰めの串揚げを頼んだ。

 切実、という絵梨の言葉に、わたしは、腑に落ちた気持ちになった。基本的にDV男は、俺を認めて欲しい、俺を許して欲しい、俺を感じて欲しいという気持ちが強いものだ。だから、自分がないがしろにされていると思うと、我慢できずにすぐ女を殴る。けれど、見捨てられたくないから、その後にはものすごく優しくなる。

 そのジェットコースターのような態度の落差と、どうしようもなく自分を求めてくれるという切実さは、きっと、求められることが好きな女にとっては、抗い難い魅力になるのだろう。

 抱かれることと殴られることには共通点がある。それは、ダイレクトに肉体に作用する点だ。そして、抱かれることも殴られることも基本的に一対一で行われる。そして、抱かれることも殴られることも、基本的には何も関係のない人間同士では行われない。何らかの関係性があるから、行われるものだ。

 もしかしたら、抱かれる時も殴られる時も、絵梨は同じことを感じているのかもしれない。

 唇についたパン粉を拭いながら、また男にメールを返している絵梨を眺めて、そう思った。

 地位や、何か代わりの利かない技術や価値を持っている若い女はそうはいない。そして、何も持たない若い女が、その他大勢ではない代わりの利かない存在として扱われるのは、恋愛の場面以外ではないだろう。

 目の前にいる男に、それを求める気持ちは、わたしにもよくわかった。

 けれど、殴られてまでそれが欲しいだろうか。そう考えると、答えに窮した。

「抱かれてる時も、殴られてる時も、あの人が、『俺を認めてくれ』『俺を許してくれ』って言っているような気がして。そう思うと、『いいよ』って言いたくなるんだよ」

 それって、もしかして、自分が言われたいからかもね。

 絵梨は、自嘲するわけでもなく、かといって笑うわけでもなく、静かにそう続けた。

 その他大勢ではない自分だと思いたい。代わりが利く誰かではない自分だと思いたい。そして、誰かに『いいよ』と言って欲しい。

 わたしは、男に殴られたくはなどもちろんない。

 けれど、その気持ちはよくわかった。

 それこそ、本当に、切実なほどに。

「優しくて、女を殴らなくて、そしてわたしだけを求めてくれる男っているのかな」

 帰り道、絵梨はそう呟く。

「今の自分がもしそういう人に会っても、わからなくて気付かなくて、素通りしちゃいそうだよね」

 夜風に乱された髪を押さえながら、言った。

「かもね」

 絵梨は、そう相槌を打ち、また携帯の画面を見た。

 やっぱり、これから彼の所に行く。そう言って絵梨はわたしとは逆方向のホームに向かった。電車がやってくるまで、絵梨は携帯を耳に当て、話していた。向かい側のホームから見ていても、絵梨の表情は明るくほころんでいた。

 わたしには、絵梨の男が今日は怒り出さないことを祈るしか出来ず、それでも、そんな風に好きな男の元に駆けていける絵梨が、どこかで羨ましかった。

 携帯を片手に手を振る絵梨の姿が、入ってきた電車で遮られ、消えた。蛍光灯で眩し過ぎる車内に、目を瞬かせながら乗り込む。車内にいる人々は皆、俯いて携帯をいじっている。きっと、メールやSNSで誰かと話しているのだろう。

 わたしも携帯を開いた。客からのメールが数件入っていた。

『連絡すごく嬉しい! 明日はお店にいるよ。○○さんと飲めたらいいな』

 心にもない、言葉を返した。

 動き出した電車の窓からは、糸を引いて流れていく家々の灯りが見えた。

 あの中にいる人々は、代わりはいず、その他大勢ではなく、切実に、思い思われる相手がいるのだろうか。

 携帯を閉じ、窓ガラスに頭をもたらせかけた。ひやりと冷えたガラスの感触に、目を閉じた。


かつて、ちえりをやっていた2022年の晶子のつぶやき

※注:こちらは、2012年に出版したわたしの自伝的小説『腹黒い11人の女』の出版前に、ノンフィクション風コラムとしてWebマガジンで連載していたものです。執筆当時のわたしは27歳ですが、小説の主人公が23歳で、本に書ききれなかったエピソードを現在進行形で話している、という体で書かれているコラムなので、現在のわたしは23歳ではありません。

小説版『腹黒い11人の女』はこちら!
現在Amazonでは在庫切れですが、どこかにはあるかも。
奄美大島では名瀬の楠田書店さんと奄美空港の楠田書店でも売っています。

さて、この回が男性には評判がよかった。
「なんでDV男と別れられないんだ?」という疑問が氷解した、という声をたくさんいただきました。

 ちなみにこの話のモデルになった子は無事にDV男と別れて、結婚して一児の母。

「え、あいつと別れたの?」

 久しぶりに連絡をとってそう聞いたら、

「別れたよ、決まってんじゃん。あれはあの時やりかたっただけだったわ」
 
と、あっさり言う彼女。

 あれっすね、一言で言えばその時はハードなプレイに嵌まってたって感じですね。

というナイス割り切りぶりでした。彼女が元気で何よりです。

 携帯が二つ折りにされたとかも時代を感じますね。スマホの画面叩き割られた、とかに変えようかとも思いましたが、あえてそのままにしました。

これの再掲載を始めてから懐かしい友達からの連絡が相次いで、面白楽しい今日この頃。

それじゃあ、またね!

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。