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【side A】あのオールドサンファンの夜のように。


戦争が起きることは三年前から知っていた。

なんて言ったら、まるでどこかの偽預言者みたいだね。

だけど、わたしは知っていたんだ。

三年前。わたしは、LINEトラベルとアメリカ観光局の共同キャンペーンに当選して50万円分のアメリカ旅行に無料で行くことになった。

アメリカの二州以上を巡ることと、TwitterやInstagramで指定のハッシュタグをつけて一日に数回、写真を投稿する以外はすべて自由。行き先も、自分で決めてよかった。

行き先は、サンフランシスコとプエルトリコにした。サンフランシスコは友人がいるから、そして、プエルトリコはアメリカ観光局のWebサイトを見ていたら、どうしても行きたくなったから。

サンフランシスコで泊まったHotel North Beach

戦争が起きる、とわかったのは、プエルトリコからの帰り道。ダラスを経由した飛行機が羽田空港に着いたその時だ。

飛行機から降り、空港内を眺めた瞬間、行き交う人々全員が歪んで見えた。

そして、わかった。戦争が起きる、と。

その日、わたしは蒲田に住む友達と約束をしていた。彼女になら、話せると思った。

その日、わたしは東京の父の家に泊まった。父には、話しておこうと思った。

昨年、10月から11月にかけて。いろんなことがあり、人と話したくて、昔の友人とオンラインで飲んだ。

何人かに伝えた。戦争が起きる、と。

彼女達も何かを知っていた。だから、わたしは伝えることができた。すぐさま、彼女達は自分の出来ることを模索し出した。

知っていたから、動じることはなかった。

人間はそれを選んだ。

そう、言うしかなかった。

ねえ、けれど、

わたし達はわたし達の行き先を、

信じる世界を、選び直すこともできる。

最後通牒もあるし、降伏宣言もあるだろう。

わたしは、平伏したい。聖書で言う、神の国に。

時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。
マルコによる福音書

プエルトリコは、神の国と言われている。人口の95%以上がクリスチャンだからだ。

プエルトリコ滞在の最終日。わたしは、レオナルドというプエルトリコ人のガイドと夜通し、話をした。

場所は、ホテルのルーフトップ。レオナルドは宿泊客ではないが、ホテルのフロントと知り合いらしく、話を通したと言っていた。

宿泊したCasaBlanca Hotelのルーフトップ
CasaBlanca Hotelのロビー

スーパーで買った赤ワインを飲みながら、日本語とスペイン語をGoogle翻訳で訳して話す。

話の内容は、神の話だった。

レオナルドがノートに三位一体の概念について図解をする。

彼は少し不安げに、「言っていること、わかるかい?」とわたしに尋ねた。

わたしは、「わたし、幼稚園がキリスト教系だったからわかるよ」と言った。

「お母さんが信者だったの?」

「母は信者じゃないと思うわ。けれど、わたし、繊細な子で。他の幼稚園や保育園では対応できないだろうから、その幼稚園にしたって母は言ってたわ」

すると、レオナルドはひとつ大きく瞬きをして、それから、手を組み祈った。

「主よ、あきこのお母さまがあきこをクリスチャンの幼稚園に入れてくれたことを感謝します」

わたしが幼稚園に行ったこと、そして、わたしを幼稚園に入れた母のことまで、彼は、感謝をしたのだ。

その時、わたしは呆然としていた。

わたしの預かり知らぬところでわたしはキリスト教系の幼稚園に行き、それはもう40年近く前の話だ。レオナルドと話す今の今まで、わたし自身、幼稚園のことなど忘れていた。

けれど、レオナルドはそのことに感謝した。わたしだけではなく、わたしを幼稚園に入れた母のことまで。

彼は、わたしの存在に感謝を捧げたのだ。

正確に言えば、わたしという存在と会い、今話している、天の采配に、感謝を捧げたのだ。

生まれてきてくれてありがとう。生きてきてくれてありがとう。あなたとあなたの母が生まれた天の采配に感謝をする。

そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。

プエルトリコの首都、サンファンの夜。ホテルの屋上からは徐々に開け始めた空と海、朝日に照らされ始めた家々が見える。

泊まっていたホテルがあるオールドサンファンの街並み

サンファンはスペイン語圏で聖ヨハネの意味を持つ。聖ヨハネはイエス・キリストの磔刑時、最期まで側にいた存在であり、復活の際に一番最初に墓に駆けつけた存在だ。

聖ヨハネの守護対象は、神学者、出版業者、作家、忠誠、愛、友情。

「きみは仕事は何をしているの?」

「わたしは作家なの。プエルトリコは日本の旅行会社とアメリカ観光局が行っているキャンペーンに当選して来ているの」

そう言った時、彼が驚いたのを思い出す。

首を垂れて祈る彼の姿に、嘘はひとつもなかった。
眼前には朝日に照らし出されていく美しい島国があった。

キリスト教には原罪という概念がある。わたし達人間は、生まれた時から罪人だ、という概念だ。

その人間すべての罪を背負って、イエス・キリストは磔刑になった。

ただひとり、罪を背負っていない神の子なのに、すべての人間の罪を背負って。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。

彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
イザヤ書

今、わたし達人間は、悔い改めるのはそちらだよ、と戦っている。

愛しているということは、この国のためなら戦えると思えること。

あなたの美しさを汚すものは許さないと誓えること。

わたし達人間の歴史は簒奪と掠奪と陵辱と争いの歴史で、

今まで、

簒奪が起こらなかった国も、
掠奪が起こらなかった国も、
陵辱が起こらなかった国も、
争いが起こらなかった国も、

どこにもなく、

簒奪が起こらなかった時期も、
掠奪が起こらなかった時期も、
陵辱が起こらなかった時期も、
争いが起こらなかった時期も、

本当はなく、

簒奪が起こらなかった世界も、
掠奪が起こらなかった世界も、
陵辱が起こらなかった世界も、
争いが起こらなかった世界も、

ない。

ないからこそ選べる。

あるを選べる。

そして、わたし達は歴史から学ぶこともできる。

インターネットで世界中の人々と語り合うこともできる。

旧約聖書には、バベルの塔の話がある。

「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。

主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた。

「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。

主はそこから全ての地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
創世記

わたし達の言語はばらばらだけれど、今はあのオールドサンファンの夜のように、互いの言語を知らなくても話すことができる。

わたしの晶子という名前は、歌人の与謝野晶子さんがルーツだ。
そして、わたしの祖父は俳人の三谷昭。戦争についての俳句を書いて仲間たちも祖父自身も特高に捕まった、日本最初の言論弾圧事件、京大俳句事件の中心人物だ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。
君死にたまふことなかれ 与謝野晶子

これは昔話なんかじゃない。どこかの遠い国の物語じゃない。これがわたし達のいる現実。これがわたし達の作り上げた現実。

逃げ場所なんてどこにもないから。

わたし達は、悔い改めて福音を信じる。

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。