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【side C】許すことも、許されることも、私たちに最初から与えられたものなんだろう

死ぬまで墓場に持っていく話を、これ以上、もう持てないというところまで持ったら、本当に死ぬしかない。

私が親に言ったのはそういうことだった。

加計呂麻島に住んで四年目になる。ちょくちょく、東京に行く。この数年間、毎回、東京に行く度に気が重かった。

虫の知らせとはよく言ったもので、この時期に東京に行かなければ行けない気がする、と思い、チケットを取ったはいいが、自分でチケットを取りながらもどうしても行きたくないと思っていたら案の定、また、家で事件が勃発する。そんなことを何度も繰り返してきた。

ねぇ、私、ゆっくり暮らしたいの。もういやなの。家のごたごたに巻き込まれるの、もういやなのよ。

振り返って気づく。

「もう家のごたごたがいやなの」と言うことすら私は親にしてこなかった。

子どもが持つ親への期待については、私がnoteを始めるきっかけの一葉でもあった寉見祐空くんのこのブログに詳しいが、子どもは自分が持つ苦しみについて、「親なんだから、これぐらいわかってるよね?」と思っているところがある。少なくとも私はそうだった。

「ねえ、どうしてわからないの? もう、本当にいやなの」

そう初めて言った時に、そういえば「いやだ」ということすらしていなかったことに気づいた。

客観的な状態として、普通にいやなことをされてきたとは思う。いや、普通わかるでしょ、と思っていた自分もいる。

ただ、本当に、どんな人間関係でも変わらない。話してみなきゃ、わからない。

今まで「察してほしい」という言葉が、一番嫌いだった。

「俺の気持ちを察してくれよ」という人には「話す気がないんだな」と思っていた。

だが、実は、誰よりも私が親に「察してほしい」と思っていた。

数年の親とのごたごたの片がつき、先日、妹と二人で飲んだ。

今まで、妹にも話せなかった家族の話をした。

「あきちゃんの中では、私はずっと小さいままかもしれないけど、もう私、成人してるよ。一人で抱え込まないでちゃんと話してよ」

10年近く前に、妹にそう言われた。それでも、話せなかったことを、今、ようやく話した。

「私は18歳の時から、あの人達は親じゃなくて男と女でしかなかった人間、ダメ人間だと思ってるよ」

「でも、お父さんは私達が思ってる以上に、私達のことを考えてるよ」

「あの人達は、全然わかってないから毎回釘を刺すしかないよ!」

妹の言葉でよく覚えているのはその三つで、私はその言葉に、妹は私よりも全然大人だったと思った。

ダメ人間だと思ってる。でも、子ども達のことを考えてるのもわかってる。そして、あの人たちは全然わかってないからこっちが毎回釘を刺すしかない。

それは、親という役割をできなかった人間たちだけれど、考えていることはわかっていて、そして、これからも、関わろうと思っている、ということだと思う。

妹は、ずっと前から、親を許していた。

それは120%の許しで、もし私達が生まれてくることを許されていたなら、許すことも、そして、許されることも、私達に最初から与えられたものなんだろう。

妹の育ての母の現在のパートナーと妹が会った時、妹が「あの人たちは全員ダメ人間だと思う」と言ったら、そのパートナーの方は「彼女は、家では子ども達のことばかり話している」と言ったという。

泣いた。思わず。「人間って馬鹿だね」とつぶやいた。妹も泣いていた。

自分でぶっ壊しておいて今更何言ってるんだよ、と思った、もちろん。

だけど、妹の涙を見て、私は、生きていてよかった、と思った。

「あきちゃん、またなんかごたごた起こったら、Tくん(私から見たら弟、妹から見れば兄の長男)に私が言うから。私が言ったらTくん断れないから!」

妹はそう言った。

妹は、ずっと昔から、「一緒にいる」ということを選択しているのだと思った。

人間の夢は現時点で全て叶っていると私は思っている。私達はごたごたの中でしか繋がることはできないという夢に嵌まっていたのだろう。

しかし、それでも、もう一度、一緒にいるという選択をしたならば、今度は今までとは違う一緒にいるやり方を私は選ぶ。

今しかないということが腑に落ちる時、過去のストーリーは消滅する。

「もう二度と、本当にごたごたするのに巻き込むのやめてよ」

「でも、やっぱり愛してる」

私が親に言った言葉は結局そのふたつで、ごたごた以外の関わりがあると私は信じる。もう理由なく。

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。