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VS 父親


最近、父が足に大怪我をした。ケースによっては死者も出るらしい。入院して、手術をしていると母から聞いて、私は心の底から「手術が失敗しますように」と祈った。

手術は14時間ぐらいやって、成功したらしかった。長友佑都選手の右足ならともかく、あんな男の右足のために14時間も貴重な時間と医療の技術が使われたのかと思うと、呆然としてしまった。ヒポクラテスの誓いの弊害か。意外と知られていない事実だが、世の中には救わなくたっていい命が時たまあるのだ。

今は一人暮らしだが、実家は比較的近くにある。飼い猫の容態が悪くなったと聞いて、久しぶりに帰省したら父親が急にべらべらと話しかけてきた。
私は父を無視する、父は私に話しかけない。私が家にいるときは、父は自室にこもって出てこない。その代わり、父がリビングで食事をしているときは私が部屋にこもる。そうやって、距離を保ってお互いに無視するのがここ数年の暗黙のルールだった。
なのに、父は生々しい手術痕が残る足を見せて「こんな手術をしたんだ」と自慢話をしてきた。大変だったろうが、あんたは麻酔をして台の上に寝てるだけでよかっただろう。大変だったのは先生方だ。それに、リスクの高い手術だったというが、現にあんたはこうして今生きてるじゃないか。いけしゃあしゃあと。なんの報いも受けずに。
ニュースで、子供が殺されたり、事故に巻き込まれて死ぬ人が出たり、それこそコロナウイルスで亡くなった方々や、台風・地震の震災で死者数が発表されるたびに思う。世の中ではたくさんの尊い命が惜しまれながら亡くなっているというのに、何故うちの家にいる、この男の命はまったく奪われる気配がないのか。何故、こいつが生きていて、他のたくさんの大切な命は失われていくのか。

母のことを可哀想に思っていた。あんなのと結婚して子供まで産んで。でも、母も大概あの男の影響で毒されているのだ。
母は自分の結婚生活を守った、私の安全よりも。
小学生のときだったと思う。母が買い物で出かけていない時に、父が家の中で暴れていた。私は電話の子機を持って自分の部屋にこもって、母の携帯に電話をかけ続けた。どれぐらいかけ続けていただろう。10分だったのか、30分だったのか、1時間だったのか。結局、電話が繋がるより前に母が帰ってきた。ということは、大した時間じゃなかったのかもしれない。でも10歳かそこらの私には、永遠にこの怖い時間が終わらないのだと思った。
暗くて、無口で、父や母のように他人と自分を比較して否定し続けて、友達はいなくなった。仕事だって楽しくない。
それもすべて本当は、自分のせいなのだろう。両親より弱かったから、負け続けてきたのだろう。
だって、世の中にはもっと大変な境遇で育って素晴らしい人物に育っている人がたくさんいる。私の親を毒親コンテストに出場させたら予選敗退は間違いない。少なくとも連中は私を大学に行かせてくれた。まあ、家から追い出したかっただけかもしれないけど。

足の傷を見せながら、父は「正式に謝らせてほしい」と言ってきた。弱い私は、言い返せなかった。「謝るのは勝手だが、許すことはない」と言ったが、それ以上なにも言えなかった。
思い返すだけで虫唾が走る。あのクソ野郎。よくものうのうと生きていられるな。よくも私に話しかける権利があると思えたな。あのクソ野郎。
本当はこう言いたかった。
「あなたのことは、もう家族だとは思っていません。たまたま、同じ家に住んでいた時期がある他人だと思っています。子供の頃は私を大事にしたと言うけど、私が覚えているのは、あなたが夜中に酔っ払って大声で騒いで、TVの音量を最大まであげて、机や壁を叩いて壊したところしか覚えていません。家具だけじゃなくて私のバイオリンも投げて壊した。大事なペットの猫を怖がらせた。私が3歳のときからずっとそうで、あんな小さな子供にとってあなたがお酒を飲んで暴れている夜がどれほど怖かったかわかりますか。もう赤の他人なのだから、謝るも許すもありません。二度と関わらないでほしい。あなたは死に損ないのクソ野郎だ。」

私は大人になって、自分で働いて、家賃も税金も自分で払えるようになった。健康だし、毎日クレームみたいな電話ばかり受けているから多少の暴言にはびくともしない。
それなのに、怪我をした老人に歯向かうことすらできない。一体、いつになったら私は親に勝てるのだろう。一体、いつになったらあいつは世の中からいなくなってくれるのだろう。早く自由になりたいのに。

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