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Ice Age Generation(1)〜疲れ果てた中年世代〜


氷河期世代とは何か?

バブル崩壊後の1990年代~2000年代に社会に出て就職難に直面した世代を指す。広義には1970年~1987年頃に生まれた人が含まれ、中でも「どん底」を経験したのが1975年~1983年頃の生まれの人たちと言われる。

その世代について興味はあった。ただ、世代性だけを取り上げて何かを語るということを私はどちらかと言えば避けてきた。私自身が当事者世代である限り、起きている事象を俯瞰して客観的に発言することが難しかったからである。グチっぽくなるのも、被害者ヅラを晒すのも、決して気分の良いものではない。一方で私には、その世代の人間でありながら実は当事者ではないという捻れた自覚もあった。そもそも私は一斉就活をしていない。同世代が直面した「100社以上から不採用通知を受け取って心底心が折れてしまった」というような経験を一切していないのである。

私は就活をしなかった。真っ当な就職も目指さなかった。フリーターとフリーランサーを行き来しながらなんとか食いつないで生きてきた。ただそれだけである。だから一般的な就職難とは無関係であり、その点について私に語れることは何もない。しかし「氷河期世代」というものが、全くの無関係だったかと言えばそうではない。氷河期世代が経験したこと、その世代の在り方、苦しみ、怒り、悲嘆、絶望、自虐、諦め、虚無、その時々の時代の空気を私も吸って生きてきた。私のメンタリティは、氷河期どん底世代のそれ、である。

私は暗い。根本的に明るい夢を抱かない。

長い間、私は自分に巣食う独特の暗さを、おそらくは成育環境によるものだろうと考えていた。そしてその考えは、今でもあまり変わっていないが、世代的な暗さとシンクロしながら固定化されてきたことも間違いないと思うようになった。

私は1979年に生まれた。1つ上の姉は1978年。4つ上の姉は1975年生まれで、厳しい就活と不安的な雇用、その後のブラック労働で心と体を壊した。かつての学友にせよ、バイト仲間にせよ、私は就職氷河期の中の「どん底」で地獄を見た人たちに囲まれて、共に歳をとってきた。

団塊の世代、バブル世代、ゆとり世代にZ世代。社会に出て、異なる世代の人たちと交わり、関わり合い、その違いを肌で感じつつ40代を生きている今、私は自分自身を逃れようのない「氷河期世代」の人間であると感じる。
例えば私は、同じ氷河期世代の人たちが起こした事件や犯罪に心がざわつく。それも被害に遭った人たちに同情するということ以上に、加害者たちが置かれてきた境遇と犯行に至った彼らの心理に強く惹きつけられてしまうのである。

*秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月)
加藤智大元死刑囚1982年生まれ(3つ下)

彼が7人を殺害し、10人に重軽傷を負わせた同じ頃、私は派遣労働をしていた。労働者派遣法の改正が繰り返され、対象業務が急拡大し、大量の「使い捨て人材」を生み出した1999年から2003年(小渕、森、小泉政権)は、氷河期どん底世代が社会に出た時期と重なる。

*京都アニメーション放火殺人事件(2019年7月)
青葉真司被告1978年生まれ(1つ上)

彼が36人を殺害し、33人に重傷を負わせたニュースを、私は当時住み込みで働いていたバイト先の宿舎で知った。私を含む氷河期世代の4人のバイト(30代後半〜40代)は、田舎の古家で共同生活を送りつつ3ヶ月間の肉体労働に従事していた。家賃は一人月2万円。水道光熱費4000円。時給は1200円だった。

*安倍元首相銃撃事件(2022年7月)
山上徹也被告1980年生まれ(1つ下)

彼が安倍元総理を射殺する数時間前に、旧統一教会の現役信者から一本の電話を受けた。井上よしゆきという自民党の候補者への投票を依頼する電話だった。事件二日後の参議院議員選挙で、私は井上よしゆきにも、自民党にも投票しなかったが、井上よしゆきは当選し、自民党は改選前より議席を伸ばした。

*黒子のバスケ脅迫事件(2012〜2013年)
渡邊博史1977年生まれ(2つ上)

彼が書いた『生ける屍の結末』という手記を私は興味深く読んだ。彼が定義する「生きる屍」とは、

・自分の存在感が希薄なので、自分の感情や意思や希望を持てず、自分の人生に関心が持てない。
・対価のない義務感に追われ疲れ果てている。
・親の保護を経ての自立ができない。代わりに生まれた時から孤立している。
・常に虚しさを抱え、心から喜んだし楽しんだりできない。
・根拠のない自責の念や自罰感情を強く持っている。

『生きる屍の結末』

上記のような心性は、彼のように成育過程において虐待を受けた人に多いと書かれているが、氷河期どん底世代にも該当するところがあるのではないかと感じた。たとえば、”親の保護を経ての自立ができない”の”親の保護”を、”社会の後押し”や”経済的安定”、”時代の前向きな空気”に置き換えて読むことができる。

ゆとり教育が始まる前、社会が「こんな教育では人間性が育たない」と痛感し、新たな教育方針が検討・準備されていた頃に、「こんな教育」を受けていたのがまさに氷河期世代である。努力と根性による詰め込み型の学びが推奨されていた時代に、厳しい受験戦争に晒され、徹底したフィルターにかけられた世代。そして努力の末に進学した高校、大学を卒業すると同時に、多くは奈落の底へと突き落とされた。以来これまで一度も浮上することなく、そのきっかけさえも掴めないまま中年期を迎えている。

氷河期世代について書かれた文献はいろいろあるが、『生きる屍の結末』以上に遠慮なくこの世代の絶望感に踏み込んだ書物を私は知らない。

宮台教授襲撃事件
倉光実1981年生まれ(?)(2つ下)

この事件が起きた時、私は驚かなかった。いや、正確には「驚くべき事件ではないのだろう」と直感的に予想した。もしも犯人が「社会からも性愛からも排除された氷河期世代の男性」であるなら、特に驚くことではない、と。その直感は、残念ながら的中した。

宮台教授が劣化したこの社会を「クソ社会」と断じるくだりは、聞いていて確かに面白い。豊富な知識と鋭い視点で滔々と社会を斬って落とす様は、自分が直接的な批判対象に含まれない限り、ある種の爽快感さえもたらす。しかし問題は、社会をクソにした要因に、教授が「クズ」と断じる人間が含まれていることにある。

社会からも性愛からも排除された無気力な(そのように見える)人間を、教授は「クズ」という強い言葉で罵り挑発し続けてきた。それが教授の言論スタイルであり、その真意はおそらくクズ人間たちの奮起によるクソ社会の変革だったのだろうが、断じられた当事者には、もはや発言の真意を吟味する余力も、スタイルを面白がる余裕も残っていなかった。当事者たちは再起不能な段階にまで徹底的に追い詰められている。

教授の「クズ人間」発言に触れる度に、私は何度かこう思った。もしも自分が男だったら、きっと死にたくなるだろうと。なぜなら教授の批判は、ことさら男性に対して辛辣であり、また私たちの世代には、本人の意思に反して社会からも性愛からも排除された男性たちが数多く含まれていたからである。

教授には自由に言論活動を展開する権利があり、そして私たちには、自分を追い詰める言論から身を遠ざけておく自由がある。見なければいいし、聞かなければいいだけのことである。他人の発言にいちいち目くじらを立てていてはやっていられないし、暴力を振るうなど論外だ。私はそのように考える。そして同時にこう考える。このような正論を語ったところで、何の意味があるのか、と。正論が追い詰められた人たちの境遇を1ミリも改善できないように、正論で暴力は抑止できない。死ぬか生きるかの選択を迫られているような人たちにとって、正論など何の意味もないのである。

今から12年前に、私は若手政治家たちへのインタビューをまとめた『Beフラット』(2011年刊)という本を書いた。その編集過程で担当者から2点の指摘があったことを今でもよく覚えている。一つ目は、当時はまだ若年者だった氷河期世代の未来を悲観するくだりでの指摘だった。

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