恩は返すものじゃなくて、回すもの
私は昔ガールスカウトをしていた。
好きなリーダー(先生のようなもの)がいた。
どこが好き?と聞かれても即答できないが、何か雰囲気が好きだったのだ。
その直感、正解だったんだな、と気づいた。
それが20歳そこいらの話。
そのリーダーは息子の友達を家に泊めて数週間面倒を見た
思春期真っただ中のその友達、家に帰れない事情があったのだろう
友達「おばちゃん、絶対恩返しにくるけ、ありがとう」
リーダー「恩返しになんてこなくていい」
誰かに同じようにしてあげて、それでいい
わが子の友達を引き受ける
詳しい経緯はわかりませんが、息子の友達を何日も家に寝泊まりさせるってすごいですよね。中学生か高校生だったと思うんですけど。
その時点で器の大きさとか、おおらかさを感じます。
私なら「家に帰った方がいいんじゃない?きっとお母さん心配してるよ」ってありきたりなことを言うはずです。
まぁそういうおばちゃんも必要なんでしょうけど。
そして単純にお世話をする人が一人増えることを負担に感じてしまいそうです笑
ありがとう
詳細はわかりませんが、その友達は
「ありがとう、恩返しにくるから」という言葉と共に家に帰ったようです。
きっとその子にとっては大事な時間だったんだと思います。
家に帰れたということは、何か吹っ切れたものもあったかもしれません。
「恩返しにくる」その言葉にすべてが詰まっている感じがしますね^^
恩返しには来なくていい
それを聞いたリーダーは「そんなもんせんでええ」と言ったそうです。
そうか、奉仕の精神か、素晴らしいなと思って聞いていたらちょっと違ったようです。
「自分がしてもらったように誰かにしてあげなさい、それが一番の恩返しになるから」
20歳そこそこの私は衝撃を受けました。
そんな恩返しの仕方があるのか、と。
恩は回すもの、狭い範囲で完結しない
恩のある人にはお返ししたい、感謝してるんだから当然そう思う。
だから、恩を返したいと思うほど、助けられた経験を次に繋く。
それが立派な恩返しになるのだ。
私は高校の先生に感謝を伝えたい。
先生からもらった言葉がいかに大事だったか、最近気づいたのだ。
その言葉を送ってくれた先生に伝えたい。
でももう連絡手段はない、この恩をどう返せばいいのかもわからない。
だからこの言葉を次につなげよう、それでいいんだと思うようになった。
その人に返すことだけが恩返しじゃない、
自分に返してもらうことだけが恩返しじゃない。
自分がやったことで、誰かが前に進んだなら、その姿を見れることが、何よりも自分の糧になる
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
ぽちっと応援、いつもありがとうございます♪
恩返ししたい人、いますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?