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ALSだった祖父の存在。


自分の祖父は

ALS(筋萎縮性側索硬化症)

だった。

元々 自分の家は祖父が酒屋をやっていた。
毎日 配達をして 活発な祖父。
一緒に遊んでくれたし
色んなものを作ってくれた。
とっても元気なおじいちゃんだった。

けれどある日 手の動きが悪い事に気付く。

最初は
頚椎の方とか色々思ったけど
大きな病院で言われた。

ALSです。どんどん動かなくなります。

そこから進行は早く 足も体のみんなが動かなくなった。あんなに活発な元気な祖父が??
どんどん進行していくなか


人工呼吸器をつけるかどうかの選択が来た

当時のことを祖父は

担当医に
『つけるかつけないかは あなた自身が決めることです』と病室から見える花火を見ながら言われた。


と書いていました。
呼吸器をつけるとはどういう事か それは

もう声を出せない事

それでも いいのか。寝たきりで自分で死ぬことさえ出来ない。何も出来ないからだになる。

それでも祖父は

自分たち家族と生きることを選んでくれた。

生きることを選んでくれてありがとう。

手術直前 祖父は祖母に

『ありがとう』

と言ったらしい。

その日から 祖父の声は二度と聞けなくなった。


年月が過ぎ 寝たきりになってから数間年 ずっと家にいて 知人にも会わなかった。
会いたくなかった。病気の自分を見られたくなかった。そう思っていたんだと思う。
あんなにフレンドリーなモードメーカの祖父が人と会いたくない。それほど 病気と言うものは 本人にとっても苦しい。

けれどある日 病院の帰りの車で 桜をみた。
そしたら 祖父は

『桜がみたいな』

っと書いてくれた。(寝たきりのため瞬きで入力する方法)

そこから 毎週日曜日にお出かけをした。

水族館
美術館
博物館
イルミネーション
夜桜

色んな所へいった。
祖父は後日 熱を出してしまうこともあった。
それでも回復したら またお出かけした。

そんな毎日。
なんてことない幸せな 家族との時間。
沢山過ごした。

だけど 死は突然だった。

祖父が亡くなる前 病院に行って検査もしたりした。
けれど その日からあまり経たない日 祖父はこの世を去った。
急だった。急に様子がおかしいことに気づいて 救急車に運ばれた。
祖父は病気のこともあり 救急車に運ばれて 入院して 回復して帰ってくることも多かった。

けれど その日は 違った。

また 入院かなって留守番しながら話した。
でも 帰ってきたのは 息を引き取った 祖父だった。
自分は 電話で 家族様は来た方がいいと言われたが 病気のこともあって 行けず。家で待っていた。
泣きながら 祖母が自分に

『ダメだった』

そういった。自分はただただ 祖母を抱きしめた。
自分が祖父の死を実感するのは 葬式の日だった。


祖父は幸せだっただろうか。
家族と生きることを選んでくれた。
それだけで 家族は幸せだった。

祖母は生まれ変わっても 祖父と結婚したいって。
祖父も祖母が大好きだった。
今も 2人とも 想いあってる。

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