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【第5話】死ぬ前にやりたかったこと

こんにちは、堀北晃生です。

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挫折と敗北の中、私はある一つの言葉を思い出しました。

それは、
「10人の恩人に会いに行きお礼を言いなさい」
でした。

投資で騙され、お金も信用もなくなった自分には、何もやることがありません。

社会の一員として存在して意味があるのか、疑問に思うような日々でした。

そこで10人の恩人にお礼を言って、ダメだったらしょうがないと思いました。

「これをやってダメならどうにでもなれ。」

どんな人にお礼を言うのか?

その時にはイメージが付きませんでした。

もちろん、一番お世話になったのは親。

しかし、疎遠状態で喧嘩別れした親に、お礼を言うなどはとてもできない。

父親に反発していた自分のプライドがどうしても許せずそれだけは選択肢に入れられなかった。

そんなある日、偶然かつてお世話になった先輩に道でばったり会うことになりました。

その先輩は、過去に外資系の保険会社に勤めていて、有名なトップセールスマンでした。

その方から、セールスのやり方を教えてもらったのがきっかけで、年賀状を出す程度のお付き合いは続けていたのです。

久しぶりに会ったことで、お礼を言い、昔話に花が咲いたところ、時間があったため喫茶店で話すことになりました。

その先輩は今も外資系の保険会社でセールスしていると思いきや、なんと現在はプライベートバンクの仕事をしているということでした。

プライベートバンクとは、資産1億〜2億円以上持っている人を対象とした富裕層向けの銀行。

ヨーロッパ系の銀行のため、日本では販売できないようなファンドがずらりと揃っていました。

「10人の人に感謝の言葉を伝える」

この事を実践するためにも、この先輩にもお世話になったお礼を懇切丁寧に行いました。

その先輩にそんな私がどう映ったのか?

久しぶりに会った私が丁寧にお礼を言うのは、気持ち悪いと思ったのか、何かを感じ取ったのかわかりません。

そんな気の優しい先輩と話が盛り上がるうちに、こんなことを口にしました。

「うちの仕事、ちょっと手伝ってみない?」

ということで異例中の異例で、このプライベートバンクで仕事をお手伝いすることになりました。

そして当時は人生でどん底状態でしたので、そのことも伝えると、その先輩は一冊の本をプレゼントしてくれました。

その本に書かれている大切な言葉で当時の自分は勇気づけられました。

それは、

====================
「信頼残高という名の財産」/7つの習慣
====================

お金を積み上げることよりも、人からの信頼を貯め込むことが人生で大切なことである。

ということを、この先輩から教えて頂きました。

それからは、なんとしてでも「結果を出して恩返しをしたい」

その思いでいっぱいになりました。

最初は雑用のようなものから始まりました。

もともと雑巾屋で汚い仕事をメインとしていたため、雑用などはカンタンに思えました。

・市場調査
・インタビューのアポイントメント
・接待先の予約
・レポートの印刷
・原稿の修正、変換ミスチェック

今までやったことがない仕事ができるようになるとなぜか、楽しくなってきました。

しかも、この仕事を通じて調査をする中、さまざまな業界の人間と交流を深めることができました。

その道の専門家との人脈も増えてきました。

そして、この業界についても徹底的に勉強し、顧客へポートフォリオを作成して、アドバイスするまでになりました。

お客様からは喜ばれ、それに応じて報酬も上がってきました。

一時は「死のう」と思ったほど、苦しんだ数年後。

気がつけば、経済的にも余裕ができ、信頼される日々が続きました。

「ああ、やっぱり人生って楽しい」

それからというものの、
日本の投資顧問会社にコンサルティングとして入ったり、上場企業向けのファイナンスのアレンジなども行うようになりました。

投資のセミナー講師として呼ばれるようになり、投資を通じて人が豊かになっていく事が、明確にわかるようになりました。

まわりには新しい友だちに囲まれて、毎月のように「一緒にビジネスをしないか?」と言われるまでになりました。

さまざまな事業を一緒に行う機会があり、それが面白いように成功したのです。

当時は仕事も投資も順調で進み、持っている資産も面白いように増えてきました。

そして夢だったものを一つずつ叶えられるようになったのです。

■1,ドイツ製の車に乗ってみたい

田舎育ちの私にとって、ドイツ製の車は憧れの一つでした。

左ハンドルで、黒塗りのセダン。

この車を買えた時は嬉しさでいっぱいでした。

■2,東京タワーが見えるタワーマンションに住みたい

マンションから東京タワーを見渡せるマンションに住むことができました。

真っ暗な田舎には想像もできないほど、夜景がキレイでたまりませんでした。

眩しすぎるほどの夜景と東京タワーが見えるマンションの部屋からは、自分はなにかに勝利したかのような錯覚を得ました。

■3,毎月ビジネスクラスで旅行にいきたい

飛行機に乗ることすらなかった人生の中で、ビジネスクラスに乗ってみたいという願望は特に強かったです。

飛行機の中では、まるでVIP待遇されているかのような扱いをされて有頂天になりました。

「こんな自分でも丁寧に扱ってくれる人がいる」

こんなことが夢のような生活が続きました。

毎晩夜には、パーティーのように高額なシャンパンを空けて、遊び狂っていました。

ビジネスも投資も両方うまくいくと、お金を使っても使っても使い切れない状態になりました。

欲しいものは値段を見ずに買い、周りがドン引きするようなお金の使い方をしていました。

自分のキャパシティを遥かに超えたお金が、どんどん入ってくる。

敗北の連続だった人生が明るくなり、未来に対して希望を持てるようになりました。

「こんな幸せな人生ってあっていいんだ」

「このままずっと幸せでいられる」

「オレはビジネスの天才か?」

「投資家として名を残してみる」

そう思うようになりました。

一時は、死のうと思った時から考えれば、自身に満ち溢れた日々を過ごしていました。

起業した会社も順調でした。

さまざまなプロジェクトを立ち上げ、複数の会社を経営し、仲間にも恵まれ、経済的に豊かになってきました。

お金にも仲間にも恵まれ、不安からは開放された人生を送っていました。

「あと一つ、何か足りない。」

「そうだ、結婚しよう!」

ということで、結婚し家庭を持つことになりました。

当時付き合っていた女性と10ヶ月で入籍。

そのまま結婚することにしました。

不自由のない生活、そして新婚生活。

・お金も自分で稼げるようになった
・家族をもって養うようになれた

ここまでくれば、両親も認めてくれるはず。

そう思っていました。

これから結婚式をどこであげようか、さまざまなパンフレットを見て探していました。

「どこで結婚式する?」

「どんなドレスが着たい?」

「誰を結婚式に呼ぼうか?」

妻も私も幸せいっぱい。

今まで感じたことのないような幸せいっぱいの日々を過ごしていました。

仕事にも恵まれ、お金も自由に使え、大切な人と結婚をした。

ボロ雑巾のように苦しかったあの日をやっと笑えるような日になりました。

毎日が楽しみでたまらない。

そんな人生に感謝するようになりました。

そんなある日・・・、

また、目の前には七夕の短冊がありました。

「そういえば、昔なんか書いたな」

そんな思いで、また短冊にメッセージを書きました。

「ありがとう」

当時苦しかったあの生活から、短冊に願いを書いてその夢が叶った。

本当かどうかわからないが、とにかくあの時の気持は嬉しいとともに「ありがとう」という言葉が出てきたので、そのまま書いて七夕のツリーにかざした。

ここまで辛かった人生。

これからハッピーなライフスタイルを妻とともにずっと続けられると信じていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・

今までの苦労と挫折、少しばかりの達成。

しかし、それはこれから始まる悲劇の「前奏」でしかなかったこと。

当時の自分には想像すらしていなかった。

ある電話が鳴るまでは・・・。

続く・・・。

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次回予告
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今までの悲劇がかすり傷のようなくらい、
地獄の日々がスタートします。

「神様、もういじめないでください」

そう願った悲劇とは・・・?

次の更新をお楽しみに。

追伸:

七夕の短冊を見るたびに、当時の自分を思い出します。

次はどんなメッセージをかけるようになるのか、自分でも楽しみです。


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投資コンサルタント堀北晃生(ほりきたあきお)。群集心理学と金融工学を組み合わせた独自の投資メソッド「堀北式株価デトックス理論」の考案者。作家、コミュニティ、通信講座を通じて次世代の投資家を増やして社会貢献を目指す活動を行っています。