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『都知事の虚像~ドヤ顔自治体の孤独なボス』⑦小池都政は〝石原的都政〟の劣化版

 2020年4月に行われた都知事選は、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で行われました。結果は小池知事の圧勝でした。

 この選挙で、小池知事は防災服を着て取材陣の前に立ち、街頭に出ることはついに一度もなかった。選挙期間中なのに有権者に向かって本人が一切政策を話さないというのは珍しいです。もちろん、コロナ禍で人と人との接触を避けなければならず、街頭演説が難しかったことは確かです。

 しかし、各陣営はそれを考慮に入れて、ネット選挙に力を入れる、演説場所を事前に知らせない、会場でマスクの着用や距離の確保などをお願いするなど、様々な工夫を行って選挙を戦ってきました。

 再選を目指す現職は無敵です。よほどの失政がないと負けません。にもかかわらず、現職が政策論戦から逃げ出したら、チャレンジャーである新人候補らはどうすることもできません。

 選挙期間中にもかかわらず、防災服を着て公務をこなし、街頭に立たない。この現職逃亡のパターンは、小池知事がファーストペンギンではありません。東日本大震災直後にあった2011年都知事選で、石原慎太郎東京都知事も同じように、防災服を着て、街頭に出ない作戦で圧勝しました。

 小池知事と石原知事、実は政治手法がとても似ているのです。

震災とコロナ禍、そっくりな知事の立ち振る舞い

 2011年3月、東京電力福島第一原発の事故で首都圏の電力が不足したときに石原知事が「灯火管制」という言葉を使って、パチンコ屋の照明や自動販売機の電力を目の敵にしていました。普通に考えれば分かることですが、当時、パチンコ屋を全店休業し、自動販売機を全機止めたとしても、首都圏の電力は賄えなかったでしょう。

 原発事故で電力が不足したのは、千葉県の房総半島にあった老朽火力発電所の再稼働に時間がかかったからです。2021年10月現在、首都圏は原発に頼らなくても電力不足には陥っていません。パチンコ屋は営業し、自動販売機も稼働したままです。石原知事はバリバリの原発推進論者です。当時、計画停電による東京電力への都民の不満をかわすため、いかにもありがちな〝敵〟を設定しました。

 コロナ禍で小池知事が繁華街のネオンを消灯するよう要請しましたが、石原知事の「灯火管制」の発想に似ています。そんなことで人流が抑制されるなど、なんのエビデンスもありません。酒類を提供する飲食店を狙い撃ちしたのは、第2波のとき新宿・歌舞伎町での感染の抑え込みで味を占めたからでしょう。酒場は目に見えて分かりやすい感染源でしたから、世論を味方につけやすかったのです。これも、パチンコ屋や自販機を狙い撃ちした石原知事にそっくりです。

 歌舞伎町での感染の抑え込みは、深夜に酒場などで働く人たちに集中的にPCR検査を実施し、感染者を徹底的に洗い出したことが功を奏しました。感染の抑え込みには戦略的な検査の集中が必要ですが、小池都政はその後、シンプルに飲食店に営業の自粛を求めるだけで、戦略ぬきの兵量攻めしかしなかったのです。その方が都は金を使わずに済み、やってる感だけは出すことができました。酒場は絶好のスケープゴートだったのです。

 石原都政と小池都政は、まるで同じ人物が知事を務めたかのように瓜二つです。

 連載の5回目で、私は〝石原的都政〟の特徴を①パフォーマンス優先の劇場型政治②トップダウンと恐怖政治③歴史修正主義のわなにハマる④「東京から日本を変える」という欺瞞――という四つに分けて分析しました。その一つひとつについて検証していきましょう。

(1)劇場型政治~豊洲市場開場に至る混乱

 「11月7日に予定されております築地市場の豊洲新市場への移転については、延期といたします。また、11月2日に予定されております築地場内市場の閉鎖及びその後の解体工事も延期とさせていただきます」

 2016年8月31日、小池知事は記者会見を開いて、築地市場の豊洲移転の延期を表明しました。理由は①安全性への懸念②巨額かつ不透明な費用の増大③情報公開の不足――の三つを挙げました。

 笑ってしまったのは、豊洲市場にモニタリング用の地下空間が〝隠されていた〟ことです。豊洲市場の予定地は東京ガスの工場跡地で、場所によっては環境基準をはるかに超えるベンゼンが検出されていました。石原都政下で設置された専門家会議は、土壌を浄化した上で盛り土を行い、地下水を管理する提言をまとめました。石原知事は土壌汚染の懸念に対して、「日本の技術を信じろ」と豪語していました。それが、小池都政でふたを開けてみたら盛り土はなくて地下空間があったというから、喜劇でしかありません。

 小池知事はそれを見逃さなかったのです。共産党がリークする前に記者会見を開いて、事態の収拾に乗り出しました。

 ところが、小池知事はそういう問題を解決するという姿勢ではなく、築地市場移転に関わった都庁官僚や市場関係者、都議会幹部などを都政の〝膿〟として世間に晒し、悪者をやっつける勧善懲悪ドラマのヒロインを演じたのです。

 都知事選の熱気そのままに小池知事はマスメディアの注目を浴び、とりわけワイドショーが喜んで報じました。猪瀬都政、舛添都政から続く〝ワイドショー都政〟の延長戦です。

 確かに豊洲市場の「地下空間」については、都庁官僚が専門家会議の提言の趣旨を理解できずに、安易に「地下空間」を設けて、それを専門家会議はもちろん、都議会や都民にも詳らかにしていなかったのですから、一定の責任はあってしかるべきです。しかし、豊洲市場の移転を延期してまでマスメディアによる大衆監視の下でつるし上げを行うことになにか意味があったのでしょうか。

 都議会は百条委員会まで設置して、石原元知事や濱渦元副知事、都庁OBなどを相次ぎ証人喚問しましたが、〝豊洲の闇〟と言える証言は得られなかったのです。さらに、都議会は濱渦元副知事らを偽証で告発しましたが、東京地検は不起訴処分としています。伝家の宝刀は空振り、都議会の権威は地に落ちました。

 小池人気にあやかり、ワイドショー都政を盛り上げた都議会の各党やマスメディアの責任は計り知れません。

 小池知事は翌年6月20日、都議選に間に合わせるように築地市場の豊洲移転を表明しました。「地下空間」には専門家会議が示した安全対策を講じることとし、移転延期前と大きな変更はありません。

 こうしたマスメディアを巻き込んだ都政活劇は、オリンピック・パラリンピックの競技会場の見直しでも展開されました。これもまた、マスメディアが騒いだだけで、見直しは最小限にとどまりました。

 大山鳴動して鼠一匹。これこそ小池劇場の実態でした。

 豊洲市場も五輪競技場も、小池知事にとっては自分がマスメディアの主役になるために仕込まれたネタの一つに過ぎなかったのです。

 横田基地の軍民共用化や尖閣諸島の購入などで、石原知事がマスメディアの注目の的になったけれど、結果としては大きな花火を打ち上げただけで、都政としては成果はありません。知事が都政本来の仕事から逃避し、庶民に分かりやすい政治活劇の主役となって戦い、なんだか改革したような気がする。肝心の都民の暮らしや生活などは置き去りにされています。

(2)トップダウンと恐怖政治

 豊洲市場を巡る小池劇場は〝悪人〟をつるし上げ、大衆に見せしめる必要があります。時代劇なら〝市中引き回し〟というやつです。

 小池知事は2016年11月25日、豊洲市場の盛り土問題で、決定や整備に「中央卸売市場」幹部として関わった中西充副知事ら計18人を、減給の懲戒処分・減給処分相当としました。

 石原都政下で「移転反対」を掲げた民主党との政治的な妥協として、土壌汚染の「環境基準以下」という使命を背負わされた都庁マンたちは、それをどうにか形にしようと試行錯誤してきたはずです。そういう中で、豊洲市場が開場した後、万が一環境基準を超える地下水が出た場合に備え、地下に作業用のモニタリング空間を設けたのです。

 もちろん、専門家会議の提言の前提となる盛り土がなくなるのであれば、専門家会議や都議会、何より都民への説明が必要です。専門家会議の提言は、単に専門家の意見をまとめたのではなく、市場関係者らとのリスクコミュニケーションの結果として成り立っていたからです。

 しかし、そういう手続き論は「懲戒処分」に値するものでしょうか。

 歴代の市場幹部が地下空間の存在を確認しながらも、その重大性を認識できないまま放置してきたことは、いかにも縦割り行政、官僚主義の弊害だと思います。ならば、本来は職員を処分することよりも、都庁の組織改革や職員の意識改革こそ必要でしょう。

 小池知事の狙いはそこではなかったのです。トップとして豊洲市場の「地下空間」を利用して、都庁幹部を〝粛清〟したかっただけです。

 就任して1年も経っていないトップがいきなりOBも含めて18人を断罪したのです。当然、都庁マンは震え上がります。これが彼女流の人心掌握術なのです。

 新型コロナウイルスの感染が国内で広がり始めたばかりの頃、コロナ対策を所管する福祉保健局長が交通局長に異動となりました。同じ「局長」ですが、本庁の条例局長が公営企業の局長に異動するのは異例です。都庁内の慣例からして普通は〝降格〟と見られます。「恥をかきたくなければ辞表を出せ」と言っているのと同じです。

 石原都政時代、衛生局長から中央卸売市場長に異動を内々示され、辞表を出した幹部もいました。

 こういう信賞必罰の人事は、石原都政で当たり前のように起きていました。せっかく重要な部署に抜擢されても、使えなければ即刻出先に飛ばされます。側近に嫌われたがゆえに、将来有望な都の幹部が冷や飯を食わされ、そのまま退職に追い込まれたことは数知れず。人材の使い捨てが行われていました。小池都政でも同じことが起きているのです。

 実は、小池氏による就任早々の〝粛清〟はこれが初めてではありません。防衛大臣時代にも、「防衛省の天皇」と呼ばれた守屋武昌事務次官を退任させたことで話題を呼びました。防衛ジャーナリストの半田滋氏は「事務次官職に4年という異例の長期にわたって居すわり、絶大な権力を握るに至った守屋氏の存在が邪魔だったからだ」と推測しています。

 小池氏の防衛相在任期間はたった55日です。守屋氏との対立で立場が悪くなったと感じたのか、小池氏は大臣を辞任しました。

 都知事の任期は4年もあります。都庁マンは真面目で寛容なのでしょう。そして、歴代知事のいずれにもヒラメのように出世を企み、時々の知事の懐に入り込むズルい官僚がいるのです。イエスマンあかりに囲まれて、よほど居心地が良いのか、希望の党結成でも自らは国政に転身することなく、知事の椅子に座り続けています。

(3)歴史修正主義のわなにハマる

 1923年の関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れる」「朝鮮人が暴動を起こす」といったデマが広がり、多数の朝鮮人や共産主義者が官憲や自警団により虐殺にあいました。歴代の都知事は毎年、9月1日に墨田区で開催される追悼式典に追悼文を送っていました。これは石原知事の時代も行われていたことです。

 ところが、小池知事は就任してすぐ、追悼文を送ることをやめました。

 「関東大震災という大きな災害で犠牲になられた方々、それに続いて様々な事情で犠牲になられた方々、これら全ての方々に対して慰霊する気持ちに変わりはない」

 小池知事は記者会見でこう語りました。

 小池知事の発言は、大地震という天災で亡くなった人と、日本人による虐殺で亡くなった人を同列に並べる態度です。前者は避けたくても避けられない出来事でしたが、後者は違います。両者を同列に並べることは、結果として虐殺はなかったことにしたい人たちを勇気づけることにつながります。

 都議会では、追悼式典の主催者が主張する朝鮮人虐殺の犠牲者数に疑問を投げかける質問が出ていました。小池知事の追悼文見送りは、都議会での保守派議員に配慮したものだと言われています。

 確かに犠牲者の数は正確には分かりません。当時の政府はほんの一部の自警団を処罰しただけで、事件の全容を把握しなかったのです。そういう限界の中で様々な証言をもとに積み上げた数字に対して、正解を知らない人たちがケチをつけることには違和感しかありません。

 かつて石原元知事は「三国人」発言で批判を浴びましたが、都知事の発言は街の空気を変えました。都政の重要課題に「治安」が加わり、都庁には「青少年・治安対策本部」が設置されました。石原知事が辞任し、「青少年・治安対策本部」もなくなってしまいました。

 「改革」を標榜する政治家たちが一様に歴史修正主義のわなにハマるのはなぜでしょうか。日本維新の会で言えば、橋下徹氏の「慰安婦」発言があります。河村たかし名古屋市長であれば、南京大虐殺否定論です。小池知事も例外ではなかったということです。

 歴史に残る虐殺の否定は、果たして街にどんな空気を漂わせるのでしょうか。東京は戦後、長らく大きな地震に見舞われていません。首都直下地震は近いと言われています。小池都政下で起きても不思議ではありません。考えると、ゾッとしませんか。

(4)「東京から日本を変える」という欺瞞

 小池知事にはたびたびマスメディアから「首相待望論」が出ます。石原知事も1期目はそんな論調の記事が新聞や雑誌を飾りました。

 小池知事は、2017年の都議選で都民ファーストの会が都議会で第1党となった後、「希望の党」を設立し、国政進出をもくろみます。しかし、都民からは二足の草鞋に対して批判が噴出し、会見中に思わず発した「排除」という言葉をきっかけに新党は勢いを失い、衆院選で惨敗しました。

 私は、東京の財源を守り、都心へのソフト・ハード両面での投資を強化したいのであれば、都市型政党の設立は不可欠だと思っています。大阪で「都構想」を旗印に「大阪維新の会」が勢力を広げたのと同様、東京をはじめとした大都市には、都市の権益を守る政党があってしかるべきです。

 自民党は基本的に田舎に道路や鉄道を持っていくことを仕事だと考える政治家が大半を占めています。そして、大都市選出の国会議員はそういう地方選出議員に首根っこを押さえられているのです。

 大都市には大都市独自の需要があります。そういう声を反映する政党は意外にありません。

 しかし、この連載で何度も繰り返しているように、都知事は広域自治体の首長でしかありません。国政に物申すことは必要ですが、国政に首を突っ込む必要はないのです。

 国政をやりたいのであれば、都知事を辞めるべきです。

 石原知事は最初の都知事選から「東京から日本を変える」と訴えていました。在任中、繰り返し国政に対する不満をぶちまけ、マスメディアは喜んでそれを報じました。その一方で、石原知事は時が経つとともに都政に対する関心を失い、都庁には来なくなり、代わりに側近が歪なヒエラルキーを構築して、都庁を恐怖政治に陥れたのです。

 2021年10月19日、衆院選が公示されます(この記事を書いているのは10月14日)。

 都民ファーストの会は国政新党「ファーストの会」を結成し、国政進出を目指しているのだそうです。「希望の党」の失敗からか、小池知事は衆院選には立候補しない意向です。

 年齢的にも小池知事は、首相になる最後のチャンスを逃したと言えます。首相の芽が絶えた都知事がどんな末路をたどるのか。石原知事を思い出してください。「たちあがれ日本」の結成に携わったり、尖閣諸島を購入すると言い出したり、都政とは無関係なことに執心し、任期途中で知事の椅子を投げ出しました。

 小池都政は、どこへ向かおうとしているのでしょうか。

小池都政の「東京大改革」はなぜ失敗したのか

 1期目の豊洲市場移転問題と東京五輪競技場見直し問題の二つは、マスメディアを巻き込んだ大政治活劇が繰り広げられましたが、ド派手な花火を打ち上げた割には成果は小さなものでした。

 なぜか。

 私はその原因を、〝橋下維新の成功体験〟と考えています。

 なぜ突然、橋下徹氏の名前が出てくるのか。

 小池都政では1期目に外部人材が登用されました。特別顧問だった上山信一氏は、大阪府市でも特別顧問を務めており、大阪維新のブレーンです。

 〝改革派〟を標榜する人たちには、橋下氏の大阪維新としての功績は、輝かしい〝成功体験〟です。当時のカタルシスを忘れられないから、そこに延々とこだわり続けます。だから、都構想では二度目の住民投票を行い、否決されました。小池都政においても大阪の改革を東京に持ち込んだのではないでしょうか。しかし、都庁の官僚組織や東京の政治構造はそんなに単純ではなかったのです。

 都議選ではポピュリズムの力を借りて、都民ファーストの会の大勝をもたらしましたが、肝心の都政内部での力関係は公明党主導のままで、小池都政は現実路線を歩むしかなかったのです。

 大阪維新は、小選挙区での対立候補擁立で公明党を脅し、政策面での妥協を引き出しました。都民ファーストにはそんな政治力がなかったのです。

 都庁と都議会との関係で言えば、長い間、自公主導で政策が決まる動きが当たり前になっていて、自民党が下野した後も公明党が政策決定のプロセスで大きな影響力を持ち続けました。

 小池知事就任直後に登用した外部顧問13人は、2018年3月31日に全員が退任。小池都政は、看板としては「東京大改革」を掲げながらも、派手な政治活劇が鳴りを潜めて、現実路線を歩み始めたのです。

 石原都政において都庁記者クラブでの記者会見にフリーランスの記者の参加を認めたことは、大きな功績でした。私も記者クラブには所属しておらず、業界紙記者の一人として会見には出席していましたが、あくまでオブザーバー参加で質問することはできなかったのです。今はご存知の通り、フリーランスでも質問する権利があります。

 一方、小池知事はそういう記者クラブの仕組みは変えなかったですが、意図的に自分の敵になるような記者には質問させず、実質的に〝シカト〟することで彼らを排除しています。石原都政でせっかく開かれた記者会見を、小池知事が閉じてしまったのです。

 小池都政を評価するとすれば、〝石原的都政の劣化版〟とでも言えるでしょう。石原都政と同様、ジャンヌダルクが悪人をやっつける政治活劇に大衆は喝采を浴びせますが、そういうヒロインの姿が虚像だと知ったとき、既に小池氏は都庁を去っているのでしょう。

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