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『都知事の虚像~ドヤ顔自治体の孤独なボス』⑩「東京都」を解体する

 衆院選の結果は大勢としては鬱々としたものでしたが、細部を眺めてみれば未来への可能性をほのかに感じました。

 例えば、大阪10区の辻元清美氏(立民)の落選は、古き良き旧社民党のサヨクごっこの流れを断ち切るという意味で、大阪人の良識を感じます。これは岩手3区の小沢一郎氏(立民)の落選も同様で、平成の改革派の筆頭でもあった人物が老害化し、時代に取り残された結果ではないでしょうか(比例で復活しちゃいましたが)。神奈川13区の甘利明氏(自民)の小選挙区での敗北も、比例で復活したとはいえ、「政治とカネ」の問題に対する国民の怒りがそのまま反映したものです。

 確かに維新は躍進しましたが、41議席のうち小選挙区が16議席を占めていて、そのすべてが大阪と兵庫です。比例代表の25議席のうち10議席が近畿ブロック選出です。つまり、41議席のうち26議席が近畿選出ということになります。維新は相変わらず地域政党の域を脱していないことがよく分かります。

 そう考えると、今回の衆院選は結果はともあれ、国民が良心的に前に一歩進もうとしていることをほのかに感じるのです。日本の政治は、とりあえず自公政権を受け入れた上で、野党共闘でも、維新政治でもない、新しい政治を模索するプロセスの上に立っているのではないでしょうか。

 そして、もう一つ、時代の変化を感じた事件があります。

 「石原ファミリー」の没落です。

 東京8区の石原伸晃(自民)氏は、野党共闘の吉田晴美氏(立民)に惨敗し、比例復活も果たせませんでした。東京3区の石原宏高氏(自民)も松原仁氏(立民)に競り負けました。宏高氏は比例復活しましたが、この選挙区では野党共闘が決裂しているだけに、負ける理由がありません。

 振り返れば、2011年の都知事選に石原知事が4選出馬を決意したのは、当時の自民党幹事長であった伸晃氏の存在が大きかったのです。溺愛する息子である伸晃氏が自民党に人質にされていては、出馬要請を断るわけにはいかなかった。しかし、それが都政の混乱をもたらす根源になってきたことは、これまでの連載で述べてきた通りです。

 石原慎太郎、小池百合子……「都知事」という椅子は、稀代のポピュリストのワンマンショーを提供し続けてきました。それをこの連載では「石原的都政」と定義しました。

 そういうポピュリストである「都知事」の虚像と、「東京都」という広域自治体が勝手に背負っている「首都」というプライドは決して無関係ではありません。都知事の虚像とは、ドヤ顔自治体としての東京都の虚像に他なりません。

日本には首都を定義する法律はない

 皆さんは日本の首都がどこかご存知でしょうか。

 そんなの東京に決まってるでしょ。

 誰もがそう言うと思います。しかし、日本の憲法や法律は東京が首都だとはどこにも書いてありません。確かに東京には天皇陛下のお住いがありますが、そのことを持って東京が首都であると定義する法律はありません。

 1999年11月4日、石原慎太郎都知事は国に対して首都の定義を文書で質問しています。

 首都とは何か。首都の定義を示されたい。

衆議院法制局第4部第2課長からの回答
・法律の規定の解釈に関するものではないので、回答する立場にない。
・仮に法律の規定の解釈に関する質問であっても、法律の規定の解釈は第一次的には法律を運用する行政庁が行い、当局は法律を解釈し運用するものではない。

参議院法制局第2部第1課長からの回答
・首都については我が国の法令で定着したものではなく、また、首都をどこに定めるかについても、法令の規定がない以上、これについて当局が職員活動の補佐という職務の範囲を超えて、確定的な見解を対外的に述べる立場にはない。

内閣法制局長官総務室第一課長からの回答
・首都の定義について、各省に見解を示したり、国会で答弁したことはない。

 驚くべきことに、国は首都の定義を持っていません。何をもって首都と呼ぶのか分からないのに、誰もが東京が首都だと思っているのです。

 1950年に東京都民の住民投票により首都建設法という法律が制定されました。この法律は「東京都を新しく我が平和国家の首都として十分にその政治、経済、文化等についての機能を発揮し得るよう計画し、建設する」「東京都が国の首都であることにかんがみて」とあります。ところが、1956年に廃止されてしまいました。ですから、「東京都は首都」という根拠となる法律はやはり存在しないのです。

 その後に制定された首都圏整備法では、「首都圏」を「東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした区域をいう」と定義しています。政令では、「その周辺の地域」は、埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県の区域としています。

 石原都知事は1999年9月27日に「国会等の移転に関する特別委員会」に出席して、意見表明しています。そのとき、首都とは何かについて持論を展開しています。

例えば、この国会を中心に永田町、霞が関、それからすぐ横の丸の内という非常に狭い地域に日本のような大国の三権とそれから経済というものが肩を接してあるということは、これは非常に機能的でありまして、世界に例のない一つの私たちの財産であると思います。

今の日本の首都というものは東京都だけじゃないんです。近県から三百万、四百万の人たちが日中東京に出てきて、昼間人口が増えている。この国家の中枢的な頭脳的な心臓的機能を運行しているんですよ。

 つまり、「首都」というのは実態であって、一つの自治体を示しているわけではないのです。東京も横浜も大宮も幕張も、それぞれ首都という実態を構成しています。だから、神奈川県民も千葉県民も埼玉県民も「首都の住民」だと思っていいのです。もっと言えば、新幹線通勤で都心に出てくる茨城県民や群馬県民、静岡県民も、首都を構成する重要な要素の一つです。もちろん、特急あずさで通勤する山梨県民も同じです。

 首都は自治体ではなく、実態として皇居を中心に関東地域に連坦しています。

「東京市」の残像がポピュリストを呼び込む

 さて、ここで連載の初回でも引用した地方自治法の条文を再び読んでみましょう。

第二百八十一条の二 都は、特別区の存する区域において、特別区を包括する広域の地方公共団体として、第二条第五項において都道府県が処理するものとされている事務及び特別区に関する連絡調整に関する事務のほか、同条第三項において市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務を処理するものとする。

 連載の初回でも書いた通り、東京都とは「特別区を包括する広域の地方公共団体」です。言ってみれば、首都としての実態を持つ区域の一部を構成する広域自治体だと言えます。

 都道府県とは、全て「広域自治体」です。「道」「府」「都」の呼び方の違いは関係ありません。都道府県それぞれの自治体としての機能は全て同じです。ただし、「特別区の存する区域」に限って、例外的に都が処理する事務があるというだけです。それが上下水道や中央卸売市場、都営交通です。

 2000年の都区制度改革で、東京都は「特別区の存する区域」において明確に「広域の地方公共団体」と定義されました。しかし、その定義があいまいであるがゆえ、東京都はこれまで持っていた権限や財源の大半を手放そうとはせず、「東京市」としての残像を引きずりながら21世紀を迎えてしまったのです。

 そして、そこに現れた稀代のポピュリストが石原慎太郎であり、小池百合子なのです。

 彼らは、首都・東京の代表者であるというイメージをフルに活用しました。マスメディアもそれを歓迎しました。石原都知事や小池都知事の一挙手一投足を文字にして、全国に発信しました。その発信力はインターネットの拡散力とも融合して、総理大臣を上回りました。総理の発言より都知事の発言がYahoo!ニュースのトップを飾るほどでした。

 都知事という役職を、首相になりたい人、もしくは首相より目立ちたい人のイデオロギー装置にしないためには、どうしたらいいのか。宇都宮健児氏の主宰する「うつけんスクール」でそんな質問を受けました。とても難しい問題ですが、そのときには「東京都がただの広域自治体になること」とお答えしました。それだけでは分かりにくいので、ここに一つの改革案を示しておきたいと思います。

 それは、他の道府県同様、実態としても広域自治体に専念するということです。

 これを一言で言えば、特別区が「東京市」としてのアイデンティティーを取り戻すということです。

東京都から「首都」の虚像を奪う

 特別区長会が検討を依頼した第2次特別区制度調査会(会長=大森彌東京大学名誉教授)は2007年12月に「『都の区』の制度廃止と『基礎自治体連合』の構想」と題した提言をまとめています。同調査会は大森会長も含めて9人の専門家で構成し、「都区制度の転換」をうたった第1次報告(2005年)をさらに発展させて、新しい自治の仕組みを検討してきました。タイトルの通り、この提言は「都の区」の廃止を求めています。

 都の区は、これを特別区という。
 (地方自治法第281条)

 このたった1行の条文が諸悪の根源なのです。

 調査会報告は「戦時体制として作られ帝都体制の骨格を引きずってきた都区制度は、もはや時代遅れというほかはない」と指摘し、こう述べています。

 特別区が名実共に住民に最も身近な政府として自らを確立していくためには、「大都市の残像」を内包する「都の区」の制度から離脱することが必要である。そのためには、東京大都市における広域自治体と基礎自治体の役割をさらに明確に区分し、都が法的に留保している市の事務と現在都が課している市の税等のすべてを特別区が引き継ぎ、都区間で行っている財政調整の制度を廃止する必要がある。

 「都の区」から離脱するためには、大都市地域における「行政の一体性」という思い込みから疑う必要があります。ここが前提となっている限り、都が市町村事務の一部を区に代わって一体的に処理するという集権体制から抜け出せません。都は、23区の区域における「行政の一体性」を確保している限りにおいては、仮に地方自治法が基礎的自治体だと認めていなくても、あたかも「東京市」であるかのように振る舞い、我こそは「首都」という虚像をまとって、ドヤ顔を続けるのです。

 ポピュリストはその虚像を借りて、日本の空気を弄ぶでしょう。

 第2次調査会報告は、「都の区」の制度廃止後の特別区を「東京○○市」として実現し、東京都からの分離・独立を求めています。また、政令指定都市における行政区や基礎自治体の内部団体である地域自治区などと区別するために「区」という名称から決別すべきと提言しました。

 では、23の「東京○○市」はまったくバラバラの自治体になるのかと言ったら、そうではありません。住民投票によって承認された憲章の下に「基礎自治体連合」を設立し、自治体間の対等・平等の関係を構築します。

 「基礎自治体連合」には、意思決定機関として議会を置き、「東京○○市」の首長が兼ねます。「基礎自治体連合」の長は「基礎自治体連合」の議会の中から選任します。

 現在、都が行っている財政調整機能は、「基礎自治体連合」が担います。

 この提言は、東京都から「東京市」の残像を取り払い、「首都」という虚像を奪うことにつながります。東京都は名実ともに他の道府県同様、「広域自治体」となるのです。東京都は必死に抵抗するでしょう。

 おそらく、これを成し遂げるには巨大な政治力を必要とします。大都市地域の自治制度や地方分権を最重要課題とする政権と、政権与党が推した都知事、そして何より23の特別区の区長が一枚岩で戦えることが必要不可欠です。既得権益を守ることしか考えていない労働組合は猛反発するでしょう。23区の世論の盛り上がりが必要です。

 この提言は特別区長会が検討を依頼したものなので、「基礎自治体連合」は東京23区を想定したイメージですが、それにとどまる必要はありません。特別区に接する武蔵野市や三鷹市、狛江市などを含めても成り立つ概念ですし、もっと広い視野で東京の都市部全体、場合によっては川崎市や市川市、三郷市など、実質的に首都圏を構成している自治体まで巻き込むことも想定できます。そのときには東京都という広域自治体は意味がなくなり、もっと広い地域を包括する「道州制」のような新たな統治機構が採用されるのかもしれません。

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受益と負担の関係はこうやって解決する

 「基礎自治体連合」の課題は、財政調整にかかわる受益と負担の関係です。特別区の場合、法人住民税、固定資産税、特別土地保有税の三つは都が課税し、都の配分額を除いた上で23区に対して需要に照らし合わせて配分されています。これを都区財政調整(都区財調)と言います。仮に都が財政調整機能を持たなくなると、これらの税は「東京○○市」が課税することになるでしょう。その場合、課税主体である自治体とその税の恩恵を受ける住民の自治体が異なることが考えられます。

 例えば、新宿区が課税した個人住民税は新宿区の住民サービスに利用されます。これは受益と負担の関係に矛盾はありません。しかし、新宿区が仮に固定資産税を課税して、その税収が財調財源として他の区の需要に充てられるとしたら、これは受益と負担の関係に矛盾が生じます。都区財政調整制度で、都が課税し、23区に配分する仕組みには一定の法的道理があるのです。

 「基礎自治体連合」は、そうした都のへその緒を断ち切ることを前提としているため、「東京新宿市」が課税したお金が連合に参加する市全体の財調財源に回ってしまうことになるのです。

 こうした課題は、現在国が行っている地方法人課税の偏在是正措置を参考にして、財調財源の全額を大都市地域共有税として「東京○○市」に配分する制度を設ければいいのです。

 これは地方税である法人事業税が大都市地域に集中する傾向を利用して、その一部を国が召し上げて、税収の少ない地方に回す仕組みです。親が自分の懐には手を付けず、子どもの財布に手を突っ込んで、その一部を他の子どもに回すという品の悪い制度です。東京都など一部の財政的に豊かな「不交付団体」を除くと、ほとんどの地方自治体は地方交付税を頼って住民サービスを行っています。しかし、地方交付税を増やそうとすると国が自分の財源からお金を回さなければなりません。そこで、財政的に豊かな自治体から財源を奪って、地方の財源不足を埋めようとしたのです。

 大切なことなので、ここは強調します。

 偏在是正措置を最初に受け入れたのは、石原慎太郎都知事です。

 石原知事の選挙公約は「NOと言える東京」でした。2008年度税制改正で、石原知事は自民党のゴリ押しをはねのけることができず、あっさりと受け入れたのです。

 この仕組みを悪用しましょう。

 財調財源の一部を「大都市共有税」として国税化します。徴収した全額を国は「基礎自治体連合」が承認した配分方式に従って「東京○○市」に配分するのです。これなら現在でも国が全国レベルで行っている偏在是正措置とやっていることは同じです。大都市における「偏在是正」を「大都市共有税」で賄うのです。

首都は東京だが、東京都は首都ではない

 では、「基礎自治体連合」が統括する東京において、首都とはどこのことでしょうか。少なくとも東京都ではありません。東京都とは他の道府県と同様の広域自治体でしかない。「都」という名称もまぎらわしいので、「府」に戻した方がいいのかもしれません。

 「基礎自治体連合」は皇居を中心とした東京の大都市地域を統括していますが、それを「首都」と呼ぶのかどうか、疑問が残ります。というのも、「基礎自治体連合」は広域連合や一部事務組合に近く、首都というアイデンティティーを支えるには建付けが弱すぎるのです。

 ならば、特別区を引き継ぐ基礎自治体たる「東京○○市」なのでしょうか。

 現行の23の自治体が群雄割拠している状況では、ここが首都ですとは言いにくいかもしれません。皇居を有する自治体は現千代田区ですが、首都は「東京千代田市」と定義できるでしょうか。私は、国民的なアイデンティティーとしては弱さを感じます。

 首都は「東京」でいいのかもしれません。

 一つの具体的な自治体が首都を担う必要はないのです。前述した通り、日本における首都とは首都の実態に他なりません。首都が一つの統治機構で収まっている必要性も感じません。首都は国民的アイデンティティーです。だから、首都を構成する自治体は「東京○○市」や、その西に広がる大都市地域全体をさしているのです。横浜市やさいたま市、千葉市も、その一部かもしれません。

 少なくとも東京都に関しては、道府県と同様の広域自治体である限りにおいて、首都ではありません。それどころか、道州制が導入された日本においては都道府県という単位自体が自治の歴史におけるレガシーでしかなくなるかもしれないのです。

エピローグ~ドヤ顔自治体の孤独なボス

 この連載の初回を思い出してください。

 2012年4月、石原知事は米国ワシントンD.C.を訪れ、全米桜祭りに参加しました。石原知事が米国に渡った本当の理由は、桜祭りのパレードに参加することではありません。

 石原知事は4月16日、ヘリテージ財団の招待を受けて、同財団主催の「日米同盟とアジアにおける日本の果たす役割(原題:The US-Japan Alliance and the Debate over Japan's Role in Asia)」というテーマのシンポジウムに参加しました。基調講演で石原知事は、東京都が尖閣諸島を取得する考えを表明しました。

 都庁の官僚はほとんど誰も知らない。もちろん、都議会にもいっさい報告はありませんでした。

 ヘリテージ財団はなぜ石原知事を招待したのでしょうか。地方自治体の一首長に領土問題を解決する術などありません。それが分かっていて、わざわざ米国まで招待したのは、日本の「首都」の首長だからにほかなりません。日本の右翼政治家たる石原知事が始めた火遊びは、ヘリテージ財団にとって興味の的以外の意味はなかったことでしょう。

 この海外出張には2200万円にも及ぶ税金が使われました。

 それが右翼政治家のイデオロギー発信の場でしかなかったことは、その後の都政を見れば分かります。

 都が集めた寄付は今も塩漬けになり、歴代知事の誰も手を付けることができません。尖閣諸島周辺の海域には相変わらず中国の公船が侵入し、日本の漁が妨害されています。石原知事は、領土紛争を解決したいのではなく、もちろん日本固有の領土である尖閣諸島を守りたいのではなく、〝なんちゃって領土紛争〟で政治的な求心力を高めたかっただけです。

 そういうパフォーマンスを受け流す都庁官僚や都議会の責任も非常に重大です。

 稀代のポピュリストたる石原慎太郎氏を真似て、「首都のリーダー」という虚像を思う存分利用しているのが小池百合子氏です。

 豊洲市場の土壌汚染問題をめぐる政治活劇は、問題を解決するどころか傷口を広げて、豊洲ブランドの失墜を招いています。

 都知事が〝石原的都政〟から決別することなくして、都政の正常化はあり得ません。

 非常に深刻なのは、こういう〝石原的都政〟と対峙すべきはずの市民団体ですら、都知事選を前にしては「首都のリーダー」という魔術を悪用しようとするのです。それが浅野史郎であり、細川護熙であり、山本太郎だったのです。そのいずれもが惨敗を喫したことは、これまで10回の連載で明らかにしてきた通りです。

 仮に彼らが当選したとしても、中身は〝石原的都政〟の域を出ないのではないでしょうか。

 2期目の後半以降、石原知事は側近の濱渦副知事を更迭し、孤独な宰相であり続けました。おそらく小池知事も、自らにとって都合の悪い情報が入ってこない孤独な宰相なのではないでしょうか。

 都庁官僚は〝ドヤ顔自治体〟としての威厳を守るために、小池百合子という稀代のポピュリストの威厳を活用しているのだと思います。

 この都政を正常化するためには、東京都という広域自治体から「首都」としての機能を奪うしかありません。「首都」というドヤ顔自治体であった東京都は、そのとき初めて広域自治体として他の道府県と同じ道を歩み始めるのです。

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