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【自治トピックス】No.58

 コロナ禍で昨年、今年と神戸市の追悼のつどいを訪れていない。毎年通い始めて10年くらいだろうか。小雪が舞い、冷凍庫のような寒さの年もあれば、真冬だというのにあたたかい年もある。大雨で灯篭に火をつけるのも大変な年もあった。私自身は阪神・淡路大震災で身内を亡くしたわけではない。大学時代の後輩が震災関連死だったことを除けば、むしろ部外者の側に入るのかもしれない。それでも毎年、あの場で静かに手を合わせるのは、自分が記者になった年に起きた震災だったことで、自分自身の記憶の風化を防ぎたい気持ちが強かったからだ。人間は便利な生き物で、どんな過酷な記憶でも放っておけば勝手に忘れる。意識して記憶を取り返さない限り、どんどん他人事になる。東京にいればなおさら、阪神・淡路大震災など、多くの人にとっては他人事なのだ。あの場所の空気を吸って、においをかいで、息をはくと、27年前に神戸の人たちが被った惨禍がイメージできる。どんなに寒かったのか。真っ暗闇でどんなに不安だったのか。そういう生々しい体感が四半世紀の間、記者として記事を書いていく原動力になっていた。

 来年は果たして、訪れることができるだろうか。

 今週は、阪神・淡路大震災関連のニュースを切り抜いてみよう。

 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日午前5時46分、発生から丸27年を迎えた。神戸・三宮の東遊園地では時報に合わせ、遺族らが故人を思い、じっと手を合わせた。各地で営まれた追悼行事で参加者は、亡くなった人の面影を追い、命の尊さをかみしめながら、それぞれの思いを伝えた。

神戸新聞2022年1月17日配信

 リンク先の神戸新聞の映像を見ると、東遊園地の参加者に子どもも含まれていることに気づくと思う。私も現地で、小学生、中学生、高校生が多いことに驚いた。彼らは震災を経験していない世代だ。時折、親が子どもに当時、何が起きたのかを灯篭を見つめながら語り聞かせている場面もみられる。そういう光景は、20周年を過ぎてから増えてきた。
 東日本大震災も既に10年以上が経過し、記憶の継承が課題となりつつある。途切れそうになる「祈りの朝」をどうつないでいくのか。神戸から学ぶことは多い。

 「市民による追悼行事を考える会」によると、兵庫県内の追悼行事は被災20年となった平成27年時は110件だったが、それ以降は担当者の高齢化や資金難により50~60件に減少。コロナ禍の影響で、昨年時と今回は約40件にまで落ち込んだ。
 17日早朝から東遊園地(神戸市中央区)で行われた「1・17のつどい」でも、コロナによる供給不足のため、昨年から竹灯籠の数が例年の半数に。昨年は来場者数が前年の半数以下に落ち込んだ。
 つどいの運営は来場者の寄付金などでまかなわれるため、運営資金が逼迫(ひっぱく)。実行委は振り込みによる寄付も募ったが、十分な金額は集まっておらず、数年以内に資金が底をつく恐れもあると危機感を募らせる。

産経新聞2022年1月17日配信

 27年前に働き盛りだった世代が高齢化し、追悼行事を支えるキーマンが減っているということではないか。当たり前だが、こうした追悼行事は行政丸抱えではない。神戸の人たちだけではなくて、全国で震災の記憶を継承したい人たちが手を差し伸べて、行事を支えていかなければならないと思う。麗麗としたイベントではないから、厳粛とした追悼行事を大々的にアピールするわけにもいくまい。やはり、マスメディアによる発信が重要だ。

 阪神・淡路大震災を教訓に創設された「兵庫県住宅再建共済制度」(フェニックス共済)の加入率がここ10年、横ばいで低迷している。全国に先駆けた「共助」の仕組みは制度への理解が浸透しておらず、県は今春からデジタル分野での情報発信を強化する。

神戸新聞2022年1月16日配信

 21世紀に入って、持ち家志向が薄れてきたことも一つの要因ではないか。例えば、東京23区で持ち家が持てる住民は少ないし、持ち家がある住民は災害で壊れた後のことは考えていないだろう。

 阪神・淡路大震災で被害を受けた中小企業向けに、兵庫県や神戸市などが実施した「災害復旧融資」の保証債務残高が、2021年11月末時点で228件、15億1400万円に減少した。震災直後には約4万7千件、5400億円超に上った。県信用保証協会(神戸市中央区)によると、この1年で減少した大半は、約20年かけてこつこつ返済した「完済」だったという。

神戸新聞2022年1月14日配信

 真面目な日本人らしい。それにしても、震災当時は働き盛りだった人たちが融資を受けて、完済したら既に四半世紀。あまりにも長い。

 ケヤキがあったのは、大丸山公園(同市長田区大丸町2)。南側の入り口近くにシラカシと並んでいた。
 神戸市の情報では、2本の木は、震災による火災の被害が大きかった同区若松町3の新長田公園で焼け残った。震災の体験と復興への希望を記憶する証しとして、大丸山公園に移植。切り倒される前のケヤキには、震災で黒く焼けた樹皮がまだ残っていたという。
 男性によると、ケヤキが新芽を吹かなくなったのは、2020年春ごろ。次第に枯れていく様子を見て、21年9月に市に連絡した。市は倒木の恐れがあるとして、同年10月に伐採し、今は切り株が残る。

神戸新聞2022年1月9日配信

 危ないから切りました。いかにもありがちなお役所仕事だ。震災の記憶の伝承は、市としての仕事の一つと認識できるよう、条例や規則で定めて所管に対応策を考えさせてほしい。住民サイドで寄付を集めて、せめて看板くらいはつくることもできるかもしれない。いずれにせよ、公園を管理する市が淡々と切りまくってしまうのでは話にならない。

芦屋市で家族を失った増田さんは「2人が生きた証しを残してほしい」と、希望者だけでも名前を公開してほしいと市に伝えました。

しかし「震災から年月がたち、遺族などの消息がつかめなくなったケースも多く、一人一人に確認をとるには膨大な時間がかかるので、新しい慰霊碑を作る予定はありません」との答えが返ってきました。

そんな増田さんが行き着いたのが隣の神戸市でした。

毎年、震災が起きた1月17日に灯籠を並べ、追悼のつどいが行われる公園、東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」には、神戸市以外で犠牲になった人たちの名前も掲げることができると聞いたからです。
管理するNPOによると、現在ある5000人を超える人の名前のうち、およそ230人が市外で亡くなった人だということです。

どこで亡くなっても、同じ震災の犠牲者だという考えからです。

先月11日、増田さんは母親と姉、2人の名前を刻んだプレートをこの場所に加えることができました。

NHK2022年1月13日配信

 慰霊碑に名前を残すかどうかは、亡くなった本人には選択しようがない。あくまで遺族の気持ちに寄りそうことになる。そこが歯がゆい。

 賛否が分かれるのは仕方ない。個人的には、「震災」とは人災の側面が大きいのだから、その犠牲になった方々の名前を記すことで、後の世代への戒めにしてほしいと思う。数字では伝わらない無念さや命の尊さを考えるきっかけになるだろう。

 いずれにせよ、数人反対があったから名前は入れませんというお役所対応ではなくて、名前を残す意義について自治体側がしっかり遺族に説明し、納得していただくことが必要だ。その際、災害の当日のみ開示するなどの妥協策もあり得るかもしれない。要するに、遺族と対話することだ。

 1995年の阪神・淡路大震災時、安否などを伝えるために活用された公衆電話が、全国で当時の約6分の1に減った。27年前、固定電話の不通が相次ぎ、順番待ちの列が見られたが、携帯電話の普及に伴い撤去が続く。一方で、災害時に回線が混んでもつながりやすいため、大切な人と連絡を取り合う「最後のとりで」を守ろうと、積極利用を呼び掛ける動きもある。

神戸新聞2022年1月14日配信

 兵庫県尼崎市の特別養護老人ホームに1台の公衆電話がある。施設は電話会社から幾度も廃止を要請されながらも抵抗し、近隣の人々もテレホンカードをかき集めて存続を支える。一人一人の脳裏には、27年前の阪神・淡路大震災が焼き付いている。将来起こりうる巨大地震を見据え、施設運営者は力を込めた。「公衆電話は災害時に優先的にかかる。そのありがたみを伝えていきたい」

神戸新聞2022年1月16日配信

 阪神・淡路大震災では公衆電話が活躍したという記事が2本配信されている。ちなみに、当時は携帯電話も普及が始まったばかりで、被災地でも通じることが話題となった。

 もう四半世紀以上の話のような書きっぷりだが、実は2011年の東日本大震災では、東京の新宿駅の公衆電話に長蛇の列ができた。携帯電話が通じず、自宅や会社に安否確認の電話をする人たちだった。数は減っていたが、当時はまだ公衆電話が残っていた。私が務めていた会社でも1階のエレベーターホール前には公衆電話があった。

 行政は、災害時に活用できる通信手段を充実させることに力を入れていいのではないか。残念ながら、現在は個人の所有するスマホに頼り過ぎている感がある。「自助」という意味ではスマホを活用することは大切だが、それができない人たちをカバーするセーフティーネットとしての通信手段が街のあちらこちらに残っていてほしい。

 ただ、それが公衆電話でいいのかどうか。古き良き昭和の遺産を残そう的な議論には危惧を覚える。

街を一緒に歩いた名古屋大学の福和伸夫教授が口にしたのは「銀座4丁目の交差点付近だけでも10棟くらい耐震性に問題がある」という言葉。さらに「中央通りの両側だけで20棟。中央区全体では130棟ほどの耐震性が劣っているという結果が都や区から公表されています」と続きました。

私たちは神戸市の三宮周辺にあるビルのオーナーを探して聞き取り調査を行いました。
27のビルのオーナーから回答が得られましたが、旧耐震基準のビルで耐震診断や改修を行っていたビルはありませんでした。
その理由としてオーナーたちが挙げたのが、費用の問題です。

現在、耐震改修の補助の対象は、「住宅」や「災害時に避難所となる施設」「多数の人が利用する建築物(3階建てかつ1000平方メートル以上)」などです。

しかし、実際に補助するかどうかは予算を負担する各自治体の判断に委ねられていて、住宅以外のビルなどの建築物に補助を実施している自治体は26%にとどまっています。

NHK2022年1月14日配信

 民間ビルの耐震化が進まない根本的な要因は国も自治体も個人の努力任せだからだ。このNHKのリポートですら、結局オチはビルのオーナーさん、頑張って、になっている。

 耐震化が必要なビルは、たいてい築年数が古い。すると、オーナーも高齢化している。改修すれば補助金出しますよ、では、建て替えのインセンティブにつながらない。いつ来るか分からない地震のために、年老いた高齢者がなけなしの貯金を削ってビルの耐震化に取り組むだろうか。そんなことをしなくても、銀座などの都心の繁華街ならテナントは入る。

 老朽化した雑居ビルは、オーナーが亡くなって相続すれば、税金対策でビルを潰して駐車場になる。そういう空き地が地区のあちらこちらに広がってくると、どこかのディベロッパーが土地を買いあさり、再開発事業に乗り出す。東京の耐震化というのは、そういう息の長い取り組みになってしまっている。首都直下地震の切迫性からは考えられない牛歩のような歩みだ。

 耐震化に必要な経費は、地震による経済被害に比べて圧倒的に少なく、コロナ対策費に比べても低額です。水害はダムや堤防などの公共インフラを整備すれば減じられますが、地震対策では民間の耐震対策が鍵を握ります。建物が壊れれば社会にも迷惑がかかります。全ての既存不適格建物の耐震診断を実施し、結果を開示する仕組みと補助制度を整備すべきです。その上で、耐震改修工事に対する補助のあり方について議論を始めたいと思います。

Yahoo!2022年1月14日配信

 記者はぜひ東京都や23区の耐震化補助金の実績を調べてみてほしい。莫大な予算を組んでも、実績は寂しい限りなのではないか。要するに、補助金制度にうまみがないのだ。改修経費の一部を助成するという従来型の制度設計では、いつまで経っても耐震化は進まない。大転換が必要だが、果たしてそんな妙案があるのか。

 これこそ、小池知事の仕事だ。

 政府の地震調査委員会は13日、国内で可能性のある地震の最新の発生確率(1月1日現在)を公表し、南海トラフで今後40年以内にマグニチュード8~9級の地震が発生する確率を、前年の「80~90%」から「90%程度」に引き上げた。
 周期的に発生する地震の場合、地震が起きていない期間が長くなるほど発生確率が上がる。一方で10年以内では「30%程度」、30年以内では「70~80%」の発生確率とし、各評価を前年のまま据え置いた。

読売新聞2022年1月13日配信

 要するに、該当する地震が起きると言い始めてから時間が経ったから、機械的に確立を上げただけだ。具体的に南海トラフ沿いで巨大地震が起きる兆候があったわけではない。ここを勘違いすると、とんでもないオカルト記事になってしまう。

武蔵野学院大学特任教授の島村英紀氏(地震学)が言う。

「政府の地震調査委員会の長期評価の確率値は、該当する地震が発生しないかぎり、評価は上がり続けます。そのため、80%だから、90%だからどうというほど数字が大きな意味を持つことはありません。ただし、南海トラフ巨大地震については直近の1944年東南海地震からは80年近く経過しています。実際、フィリピン海プレートは毎年4.5センチ動いていますから、その分、起こる確率は上がっています」

日刊ゲンダイ2022年1月15日配信

 島村先生のおっしゃる通り。歴史を振り返れば、南海トラフ沿いではM8クラスの地震が繰り返されているのだから、時間が経てば発生確率が上がるのは当たり前なのだ。

 問題は、マスメディアに携わる記者がそういう前提の数字だということを理解しているのかどうか。

北海道から岩手県にかけての沖合にある「千島海溝」と「日本海溝」で、巨大地震と津波が発生した場合の国の新たな被害の想定がまとまりました。

最悪の場合、死者は10万人から19万9000人に達し、津波から逃れても低体温症となり死亡する危険性もあると想定されています。

一方、迅速な避難や施設の整備などを進めれば、被害を大幅に減らすことができるとしています。

NHK2021年12月21日配信

 東日本大震災では想定を超える被害が出たことから、南海トラフにせよ、この千島海溝・日本海溝にせよ、考えられ得る最大の規模で被害を試算している。間違えてはならないのは、では次の来る地震がそういう最大規模になるかどうかは分からないということだ。おそらく、もっと規模の小さい地震である可能性が高いと思う。「規模が小さい」と言うと、これまた誤解する人がいるかもしれないが、M7~8クラスでも十分に大きな被害が出る。千島海溝の場合、17世紀に大きな津波が襲った痕跡があることから、300~400年周期と考えれば、次がその最大規模の巨大地震になることも考えておいて損はないということだ。

 だから、「そんな巨大な津波なんて逃げられないから、逃げても無駄」という判断は間違っている。

 災害時に自分の命を守るために精一杯のことをやりきる。これこそが災害から助かる唯一の方法だ。

 ただ、私が最近思うのは、どこもかしこも、「巨大地震」の安売りが行われていて、だんだん国民がそういう振り子が振り切れた単語に慣れてしまっているということだ。これは一部のゴシップメディアの煽り方にも問題があるが、何でもかんでも最大の想定で国民を脅していこうという御用学者たちの節操のなさも要因の一つにある。


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