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『都知事の虚像~ドヤ顔自治体の孤独なボス』①2度目の東京五輪に抱いた違和感

 2021年9月5日。

 この日、パラリンピック東京大会の閉会式が国立競技場で開催されました。これをもって、2度目の東京五輪は終わりを告げました。

 最初に東京で五輪招致活動が始まったのは2006年のことです。2016年招致に失敗し、東日本大震災(2011年)という未曽有の災害を経験し、それでも東京都は2020年五輪の招致に手を挙げました。招致は成功したものの、コロナ禍で1年延期。翌2021年、平場ではデルタ株の感染拡大により医療がひっ迫し、国内に開催反対の声が高まる中で、無観客という形で開催にこぎつけました。

 その大半の期間、私は『都政新報』という都政の専門紙の記者として東京都を取材しました。あれから15年も過ぎていますから、感慨深くテレビの映像を見ていました。

 閉会式のクライマックスでは、2024年の開催都市・パリへの引き継ぎ式が行われました。パラリンピック賛歌が演奏される中、パラリンピック旗が降納されます。ステージでは、小池百合子東京都知事から国際パラリンピック委員会会長、そしてアンヌ・イダルゴパリ市長へとパラリンピック旗が手渡されました。

 この閉会式のコンセプトは「違いが輝く世界」です。障害の違いや有無にかかわらず、誰もが輝ける東京、多様性と調和が実現する社会を描くセレモニーとなりました。

 私はテレビで閉会式を見ながら、8月8日に開かれたオリンピックの閉会式と同じ違和感を覚えていました。

 東京の代表が「知事」なのに、パリの代表が「市長」なのです。

 この違いに気づいた人が何人いたでしょうか。多くの読者は、東京は「東京都」で、パリは「パリ市」だから当たり前だと思うでしょう。しかし、都政専門の記者として四半世紀も都庁を見続けてきた私には、違和感しかありません。「都」と「市」では行政組織の性格が異なるからです。これは日本とフランスとの行政組織の違いから生じる違和感ではありません。

 仮に2024年の開催都市が北海道札幌市だったとしましょう(実際にはあり得ませんが)。

 小池百合子東京都知事が秋元克広札幌市長にパラリンピック旗を引き継ぐ。こう表現すると、さすがに「おや?」と思う人がいるのではないでしょうか。例えば、小池百合子東京都知事が鈴木直道北海道知事に旗を手渡したらどうでしょうか。こちらの方がしっくりきませんか?でも、あくまで札幌五輪であって、北海道五輪というのはあり得ないのです。

 この連載は、上記のような違和感から始まります。

石原慎太郎は誰の代表なのか?

 2012年4月、石原慎太郎都知事(当時)が米国ワシントンで開かれた全米桜祭りに出席するため、ワシントンDCを訪れました。当時の記録は東京都庁のホームページに海外出張の記録として現在でも残っています。

 石原知事は4月13日に米国国務省において横田基地軍民共用化などについてカート・キャンベル国務次官補と会談を行いました。その後は全米桜祭りのメインイベントであるグランド・ボールディナーに出席し、全米各州を代表する桜プリンセスが一堂に会する中、石原知事が「2012全米桜の女王」を選び、会場を大いに沸かせたといいます。

 翌14日には全米桜祭りのハイライトイベントであるパレードに参加。軍楽隊、学校のマーチングバンド、桜の女王などが行進し、沿道には多くの観客が集まりました。この模様は現地でもテレビで放映されましたが、日本でもニュース映像で流れ、石原知事がご満悦の表情でオープンカーから手を振っていました。日本の食や文化を紹介するジャパン・ストリートフェスティバルでは、大勢の観客が詰めかける中、東京から訪米したヘブンアーティストの公演などを視察しました。

 全米桜祭りは、1912年に日米の友好関係を祝して尾崎行雄東京市長からワシントンDCに約2千本もの桜の木が寄贈されたことを記念して行われるイベントです。2012年はそれから100周年に当たり、主催団体から東京都が招待されたそうです。石原知事は東京都を代表して参加しました。

 盛大に開催された全米桜祭りでしたが、この年は桜の開花が早くて石原知事が訪れた時期には残念ながら桜が散ってしまった後だったそうです。

 さて、ここで再び先ほどの違和感を覚えた人は、さすが都政の玄人です。

 100年前、ワシントンDCに桜を寄贈したのは、尾崎行雄東京市長です。都知事ではありません。東京に都制が創設されたのは1943年のことですから、当時は「東京都」という自治体は存在しません。

 例えば、当時、桜を寄贈したのが東京府知事だったら、100年後に東京都知事が招かれるのは自然ではないでしょうか。東京で都制が始まる前、現在の都道府県に当たる広域自治体は「東京府」だったからです。しかし、東京市は広域自治体ではありません。東京都と東京市はイコールでは結ばれないのです。

◆参考文献・引用

東京都庁HP「知事の海外出張/概要・成果『アメリカ・ワシントンD.C.出張の概要・成果』」 https://www.metro.tokyo.lg.jp/GOVERNOR/ARC/20121031/KAIGAI/SHOUSAI/120412k.htm

東京都は道府県と同じ「広域自治体」

 47の都道府県のうち東京だけが唯一「都」を名乗っています。

 2000年11月に大阪で住民投票が行われ、否決された「大阪都構想」は、大阪にも東京と同様の「特別区」を設ける計画ですが、その法的根拠となっている「大都市地域における特別区の設置に関する法律」では、道府県に「特別区」を設置することができても、道府県を「都」にすることはできません。

 したがって、現状では法律を改正しない限り、東京以外に「都」は置けないことになっています。

 では、「都」とはなんでしょうか。おそらく、「日本の首都」と答える人がいると思います。でも、日本には首都の場所を規定した法律はありません。たまたま都心に首都機能が集中しているだけです。地方自治法にも「都」がどのような自治体なのか明確に規定した条文がありません。他の道府県と同様、広域自治体の一つとして扱われています。しかし、「特別区」との関係を論ずる項目を読むと、「都」の位置づけが見えてきます。

(特別区)
第二百八十一条 都の区は、これを特別区という。
 2 特別区は、法律又はこれに基づく政令により都が処理することとされているものを除き、地域における事務並びにその他の事務で法律又はこれに基づく政令により市が処理することとされるもの及び法律又はこれに基づく政令により特別区が処理することとされるものを処理する。
(都と特別区との役割分担の原則)
第二百八十一条の二 都は、特別区の存する区域において、特別区を包括する広域の地方公共団体として、第二条第五項において都道府県が処理するものとされている事務及び特別区に関する連絡調整に関する事務のほか、同条第三項において市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務を処理するものとする
 2 特別区は、基礎的な地方公共団体として、前項において特別区の存する区域を通じて都が一体的に処理するものとされているものを除き、一般的に、第二条第三項において市町村が処理するものとされている事務を処理するものとする。
 3 都及び特別区は、その事務を処理するに当たつては、相互に競合しないようにしなければならない。

 つまり、東京都とは他の道府県と同じ「広域の地方公共団体」なのです。ただし、他の道府県と異なっているのは、「市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務」を処理する点です。

 この「都が一体的に処理することが必要であると認められる事務」の典型的な事例が水道、下水道、中央卸売市場、地下鉄などです。ただ、この定義には都と特別区との間で認識の違いがあり、具体的にどの事務が対象となるのかは明確な規定がなく、都と区の協議で決まっています。

 都と特別区との役割分担を示したこの条文は、2000年の都区制度改革で定められたものです。このとき地方自治法で特別区が「基礎的な地方公共団体」と定められました。

 日本の地方自治体は「都道府県(広域の地方公共団体)」と「区市町村(基礎的な地方公共団体)」の2層制で構成されています。仕事の役割分担も、広域自治体と基礎的自治体とで分かれています(政令市や中核市等では基礎的自治体も広域自治体の仕事の一部を担っています)。「特別区の存する区域」では都が基礎的自治体の仕事の一部を行っています。それが前述した地方自治法の規定です。

 ここで勘違いしてはならないのは、地方自治法の規定では、あくまで都は「広域自治体」に過ぎず、東京23区(特別区)が「基礎的自治体」であるという点です。都が行うべき基礎的自治体の事務は限定的なもので、そのことをもって都が基礎的自治体であるかのような振る舞いをすべきではありません。都が抱える権限や財源は、法律の趣旨に沿って特別区に移譲し、都が身軽になるべきなのです。

 しかし、実態としては今も都があたかも基礎的自治体であるかのような顔をして、「特別区の存する区域」を闊歩しています。

 五輪招致は、その典型的なケースであると言えるでしょう。

誰が東京五輪を招致したのか

 東京は過去3度の夏季オリンピックを招致し、2度開催しています。最初は1940年五輪ですが、戦局の悪化により中止となりました。「幻の五輪」と呼ばれています。2度目はアジア初のオリンピックとなった1964年五輪です。昭和生まれの世代にとっては、東京オリンピックとはこのことです。3度目は2020年五輪です。コロナ禍で1年延期され、2021年夏に開催されました。

 1940年五輪を招致したのは、当時の東京市です。IOCに立候補した1932年当時の東京市長は、永田秀次郎でした。当時の市長は公選ではなく、市会の互選によって決まっていました。市会議員は公選だったので、市会の方がより民意を反映していたとも言えるかもしれません。

 1964年五輪を招致したのは、当時の東京都です。戦時中の1943年7月1日に「都制」が施行され、「東京市」の仕事は「東京都」に引き継がれました。戦後、1945年に地方自治法が制定され、特別区は「基礎的な地方公共団体」となり、原則として「市」と同一の機能で発足しています。

 当時の特別区は公選制で、現在と同様に選挙で区長を選んでいました。課税権や条例制定権も与えられていましたが、事務機能や財政権、人事権などを巡って、都区間の紛争が激化します。1952年の自治法改正では、特別区の性格を大都市の内部組織に変更し、都を「基礎的な地方公共団体」としました。区長公選制は廃止され、区長は区議会による専任・都知事同意となり、自治権が後退してしまいました。

 1964年東京五輪は、東龍太郎都知事が招致しました。当時の東京都は1952年に特別区から地位を奪い取った「基礎的な地方公共団体」です。特別区は公選の区議会を持ちながらも、東京都の内部団体でした。ですから、特別区が招致に名乗りを上げるわけにはいきません。東京都が五輪を招致するのは自然な流れだったのです。

 では、2020年東京五輪はどうでしょうか。

 1998年に地方自治法が改正され、2000年4月1日から東京都は「広域の地方公共団体」、特別区は「基礎的な地方公共団体」と位置づけが変わりました。いわゆる「2000年都区制度改革」です。1999年に石原慎太郎都知事が就任しました。石原知事が最初に五輪招致に手を挙げたのは、2006年です。2期目の後半に入っていました。

 広域自治体である東京都が五輪を招致する。それがおかしいなと思わなかったのは、1964年五輪の記憶が残っていたからではないでしょうか。

 しかし、すでに東京23区の区域では「東京都」は住民に身近な基礎的自治体ではなかったのです。本来なら基礎的自治体である東京23区こそが五輪招致に名乗りを上げるべきだったのではないでしょうか。

 なぜ東京都はあたかも「東京市」であるかのように振る舞うのでしょうか。それは、戦後に廃止された法律の残骸が今も残っているからです。

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