諦めるを、前向きに。 #企画メシ
そもそも、
企画メシに参加したきっかけは「自分ではない何かと向き合い、未来に向かうため」だった。だけど振り返ると「過去の自分と向き合い続けた」半年間だった。
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例えば、
第1回目・自分の広告を作る企画では、自分の名前を通して家族のことを思い出した。
母子家庭で一人っ子、じいちゃんもばあちゃんっ子だったが全員が亡くなっている。
身内全滅。なので、普段思い出すことがない家族について久しぶりに思い出した。
映像の企画では、過去の傷や怒りを思い出した。
かさぶたになったところ、また剥がれて血まみれになるほど思い出した。
結局「自分と向き合っていた」
大切なことは、過去の自分の中にあるということだ。
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つまり、
トラウマやコンプレックス。
そんな闇に光を当てると見たくない輪郭がはっきりする。
人生の大事なことは、モヤモヤしたネガティブな闇の中にある。
キラキラした港区のナイトプールの中にはない。
闇の中にあるドロドロとした中にある何かを掬い上げる。
それをどう捉えるか、どう面白がれるか。
そうすることで、泥舟を宝船に変えることができるかもしれない。
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企画のmy定義。
それは“イベントを作ること“や“職業”や“肩書き”では決してない。
企画=生き方、生き様、在り方
その人がどう在りたいのか、何をしていくのか。
全てに対する姿勢や想いを含んだ、前向きな企みのことだと思う。
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最終課題。
「あなたはどんな企画をする人になりますか?」わたしは、こう書きました。
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「諦めるを、前向きに。」
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諦めるの本来の意味は、「物事を良し悪しを明らめ、次に進むこと」。
「諦める」と言う言葉は「終わりから始まりに向けた一歩目」のことだと思います。
人が亡くなってしまうことも、
大切な人と離れ離れになってしまうことも、
夢に敗れ、自分を責め、絶望してしまうことも、
緊張しいなのに、プレゼンの1番最初を選んでしまうことも、
現実は変えられません。
だけど、捉え方ならいつからだって変えることができます。
終わりは、始まり。
「大丈夫」「なんとかなるかも」
そう思える可笑しみを作ることで、
闇の中から光るものを掬い上げることで、
見つけるキッカケを作ることで、
「諦めるを、前向きに」変えていく。
わたしはそんな企画をする人になります。
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〜以上、プレゼンの台本〜
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プレゼンが終わり、打ち上げも終わった。
そして、1人、横浜みなとみらいの街を歩いた。
夜は孤独の輪郭がハッキリするから好きだ。
特に、楽しかった日の夜は解像度がより一層高い気がする。
いつもと違う街、風景に身をやると、いつも以上に輪郭がよく見える。
街を歩きながら、みんなのプレゼンを思い出していた。
1人残らず、全員の眩しい姿を見て絶望していた。
人間らしいまま、のたうち回り、その姿を晒してカッコよかった。
感情が溢れる瞬間を見てグッときた。
絶望だ。
悔しい。
何をやっても、こうだ。
自己肯定感が低いのか、
考えすぎなのか、
成長欲求と理想がクソミソに高いのか。
「自分には何もない」と改めて気付かされた。
ひとしきり落ち込んだ。
でも、それでいいのだ
これが自分だ。
諦めよう。
そして、思い出した。
自分にあるコンプレックスであり永遠の課題。
それは、「孤独」と「家族」だということを。
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企画メシは終わったが、これからもチャレンジはやめないことにした。
noteもコツコツ書かなきゃな、
あの会社のアレやりたいな、
新聞に寄稿とか、コンペに応募とかしてみようかな、
明日から戻る現実に心がトキメクのか心配だな、
不安も希望も入り混じっていた。
あ、
そこでふと気がついた。
半年間、自分の過去ばかり向き合っていたのに、気づくと今は未来のことばかり考えている。
「終わりって、始まり」
なんだなって思いました。
企画メシ2023、無事卒業。
終わって、寂しい。
だけど、
あー、楽しかった。
みんなの物語は、まだまだ続く。
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p.s
みなさんとお話したかったけど、大飲み会が苦手すぎてバテてました。
また別の機会でお話しましょう。
みなさんと一緒に参加できて、本当によかったです。
神戸にお越しの際はご一報アレ!
阿部さん、
河野さん、
半年間ありがとうございました!
卒業証書、感動しました。
プレゼンのベル、一度も鳴りませんでしたね。
もう少し話せば良かったと思ってます。
引き続き、なにかしら、どこかしら、なにとぞ、よろしくお願いします!
みなさんお疲れ様でした。
ほんと、参加してよかった。
これからも、よろしくお願いしまーす。
ばいばーい。
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ご覧いただきありがとうございました!たくさんの方と思いを共有し、文章を通して繋がっていければと思うので、良かったらフォローしてくださいね!大スキ!!!!