見出し画像

チマナコの子。

今年からカラーレンズのメガネをかけている。サングラスではなく、あくまでもカラーレンズだ。理由のひとつは目の色にある。生まれ持った茶色い目。自分の目で、直接自分の目を見たことはないのだが、初めて会った人の7〜8割の人から「目が綺麗ですね!」「カラコン入れてますか?」と聞かれる。「いや〜、これ、自目(「じめ」)なんですよ」「えー、いいですね!」。何も生まれないラリーをこなす。

私にいい年してカラコンなんて入れる勇気はない。そんなのビックモーターの社長くらい。でも「いいですね!」と言われて嫌な気はしない。隣の芝は青いことはよく知ってるし、対岸の火事はスマホで動画に収めるのが令和ってもんよ。

でも1つ問題がある。「とにかく眩しい」のだ。黒目のジャパニーズにはわからないと思うけど「TONIKAKU☆眩しい」のだ。

茶色い目ということは、色素が薄い。色素が薄いと、外に出た時の日光や室内でも蛍光灯の光やパソコンの光が通常の人よりも、より眩しく感じやすくなってしまう。仕事柄、終日パソコンを触っている。空き時間にはキンドルで読書をし、スマホでLINEを触る。ずっと目を酷使している。
そして職場の電気はガチガチの蛍光灯。体内時計が狂うほどに煌々と光る蛍光灯。明るい明るくないではなく、がっつり照らされているうような気分。

「わしゃ見頃のお花見スポットかて」
「わしゃ歴史ある本堂にある仏像かて」
「わしゃスポットライト浴びる新人シャンソン歌手かて」

終日コンビニの夜中みたいに眩しいと思い始めるようになった。そう考えると、目をずっと酷使しているのだと思った。

ここで目の側に立って考えてみよう。例えるならサウナのようだ。あれは10分前後で出て、水風呂に入ってからイスに座るからこそ気持ちいい。でも目の側でいうと、日々の眩しさは終日サウナ状態だ。終日サウナ。終日眼球サウナ。水風呂なし。給水機なし。整いイスなし。整うヒマもなし。この世に絶対なんてないけれど、これ、絶対身体に悪いことしているに違いない。

絶対に。

どうせ買うならまとめて買おうと「グレー」「ブラウン」「ネイビー」の三種類を気分に合わせて変えている。おかげで目の疲れが減ったように感じる。

そしてもう1つの気づきがあった。この世をどこか眺めるような視点を得れるのだ。ロボットを操縦する人みたいな、車窓の向こうにある景色を眺めるような、目の先にある目的地の間にある透明な壁があることで、どこか別の世界を眺めているような。そんな気分になる。

この世はどうやら騒がしい。
いろいろな人がばらばらの意見を持って、それぞれに動いてたまに重なって。みんなそれぞれのペースで走ったり歩いたり止まったり。マイペースがいいとわかっていながらも、なかなかマイペースを保つのは難しい。なんだか焦ったり、背中を押される気分になる。

そしてどうやら眩しすぎる。
同世代見せる活躍が疎ましい。下の世代の変化も見える。多様性とか言ってるけど、多様性なんてどこにもない。言葉だけが眩しい。
捉え方によっては光が苦しかったり、闇が心地よかったりする。それに気がつければ、光に溶けることもなく、闇に飲み込まれることもない。そんなこと、自分の主観の目だけだと忘れそうになってしまう。メガネをかけてほんの少し客観的に見ると、その騒がしい中にいることに気づく。

そう書いている今も、新しい胸騒ぎが聞こえてきた。

というわけで、目のことを考えカラーレンズのメガネを買った。「柄が悪いな」という人もいるけど気にしない。でも目上の人や会議によっては無意識に外しているからそこは意識している。血眼になっている時だけは、カラーレンズのまま参加しようと思う。

それにしても「相手の身に立って考えましょう」と言われて育ったのに、目の側に立つことは初めてだ。目の側ってどこだ。人生で初めて目の側に立った。それはまぶたなのか、角膜なのか。果たして。


書くことは考えること。
自分の人生を生きていくために、言葉と向き合い自分と向き合うエッセイ集。「しらんけど 」くらいの距離感で、徒然なるままに書いていきます。いつか香取慎吾さんの曲を書きたい。そんな夢を抱きながら。
#しらんけど日記

ご覧いただきありがとうございました!たくさんの方と思いを共有し、文章を通して繋がっていければと思うので、良かったらフォローしてくださいね!大スキ!!!!