見出し画像

認知バイアスに関する用語メモ ~「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」を読んで~

おーのAです。
「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」を読んだのですが、言葉が色々出てきたのでまとめておきたいなと思いました。

注意:本に出てくる用語を網羅していません。また、用語は認知バイアスのことではありません。

第1章 注意と記憶のバイアス

チェンジ・ブラインドネス

明白な変化(チェンジ)があるにもかかわらず、それに気づかない(ブラインドネスである)ということ。例えば、リンクの動画は非注意によるチェンジブラインドネスの例である。他にもスロー・チェンジによるチェンジ・ブラインドネスや画面切り替え型のチェンジ・ブラインドネスがある。

視空間スケッチパッド

視覚情報を貯蔵する場所。人はこの容量がとても小さい。例えば、目の前に本、マグカップ、マーカー、鍵が置いてあると、それがあったことを覚えておくだけでこの貯蔵庫は満杯になる。

ポップアウト型の視覚探索(特徴探索)・結合探索

ポップアウト型の視覚探索(特徴探索):単純な白黒画像の中から画像の中から仲間外れを探す探索
結合探索:色と向きなど2つの特徴を組み合わせた探索

結合探索においては、ポップアウト型の視覚探索が難しくなる。

エピソード記憶・フォールスアラーム

自分が出会う経験、エピソードを記憶しておく場所
例えば、「通夜、線香、葬式、喪服、霊柩車、香典、お寺」からなる用語リストを覚えるように言われたのち、「お墓」という最初のリストにないものが入っていたか確認すると、前のリストにあったように答えてしまう。
このような現象をフォールス・アラームと呼ぶ。

ソースモニタリングの失敗

記憶のソースがどこにあるのかわからなくなってしまうこと。例えば、「確かにあの人を見たけど、どこでだっけ」というような経験のこと。

第2章 リスク認知に潜むバイアス

利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)

思いつきやすさ、思い出しやすさで発生頻度を判断するクセのこと。認知バイアスの1つ。例えば、テロリストによる死亡者数とバスの追突による死亡者数、どちらが多いかというと、バスの追突である。バスの追突はテロリストによる死亡者の10倍以上になるが、人はテロリストによる死亡者数を多めに見積もる、もしくはバスの追突による死亡者数を少なめに見積もる、というクセがある。人は滅多にないことをよくあるように感じ、よくあることに無関心であまりないと感じるといった認知バイアス。発見したのはエイモス・トヴェルスキーとダニエル・カーネマン。

利用可能性ヒューリスティックは後述のリハーサル効果とメディアの特性により、世界の全体的な動向とは全く逆の信念を植え付けることになる。

リハーサル効果

利用可能性ヒューリスティックの認知バイアスを引き起こす要因となる効果。
記憶への定着は繰り返しに基づいている。この繰り返しによる記憶の定着しやすさのことをリハーサル効果という。人は主観的に思い出しやすいことは頻繁に出会っていることを意味している。大変に印象的なことはリハーサルの数が少なくてもすぐに思い出せるということもある。メディアは滅多に起こらないことを報道する特性があり、これにより滅多に起こらないことであるにもかかわらず、人がよく見かけるという現象が起こる。

第3章 概念に潜むバイアス

事前確率の無視

ある属性に対して、その確率が圧倒的に低いにもかかわらず、特定の属性であると認知してしまうバイアスのこと。
電車で長身で手足が長く、きているものがとてもおしゃれな20代前半らしき女性がいたという話を聞いた時に、「モデル」か「女子大生」か「モデルをしている女子大生」かと問われると「モデル」、もしくは「モデルをしている女子大生」であると答えてしまうが、これは事前の確率、つまり、「モデルの数」が少ないという事実を無視した回答である。
後述の「代表性ヒューリスティック」の一つ。

リンダ問題

カーネマンとトヴェルスキーの実験。
"リンダは独身で31歳の率直で聡明な女性である。彼女は大学で哲学を専攻し、社会正義の問題に関心を持っており、学生時代は反核デモにも参加したことがある。"という文章を読み、片方のグループの人は「リンダが銀行の窓口係である確率」を推定させる。片方のグループは「リンダがフェミニストの銀行の窓口係である確率を推定する。
各々の確率の平均を出すと、「フェミニストの銀行窓口係」の確率のほうが高くなってしまうという問題。

連言錯誤

連言とは「AかつB」というandで2つの事柄を繋げたことを意味する論理学用語。連言が関わる間違いであるため、連言錯誤と呼ばれる。連言「AかつB」の確率はその元事象である「A」「B」の確率よりも必ず少なくなる。
「女子大生かつモデル」は「女子大生」や「モデル」よりも必ず少ない。
しかし、こうした当たり前の思考ができなくなってしまうことを連言錯誤という。リンダの問題も連言錯誤の例。
連言錯誤も「事前確率の無視」の一つ。

プロトタイプ

プロトタイプは「カテゴリーに属するさまざまな対象の平均的な特徴を束ねたもの」もしくは「カテゴリーに典型的な諸事例そのもののイメージ」とされる。「それらしい」「それっぽい」ものと考えれば良い。

カテゴリー化

カテゴリー化はある対象をカテゴリーのメンバーと認識する心の動きのこと。例えば、目の前に置かれた物体はコップであるとか、向こうからやってくるのはタクシーである、などの心の動き。カテゴリー化はプロトタイプとの比較照合によるものとされる(ただし、批判も多く、新しいアプローチも始まっている、とのこと)

帰納的推論(概念学習)

プロトタイプを作り出す仕組み。帰納とは「個別の事例から、その事例が属するカテゴリーの本質的特徴を抽出する」という心の働き。
プロトタイプの形成には事例との遭遇が不可欠で、人によって、地域によって、文化によって異なることになる。例えば魚といっても、東北の人と沖縄の魚でプロトタイプが異なる。人は自分が出会ったごく少数のサンプルから勝手にプロトタイプのようなものを作り出してしまうことが多い。多くの場合正しいプロトタイプではなく、「代表例」であり、逸脱値を代表例としてサンプリングしてしまう。理由は「目立つから」である。

代表性ヒューリスティック

本来の正しいプロトタイプではなく、逸脱値によってサンプリングされた「代表例」をプロトタイプとして思い込み、それを元にして勝手な推論、予測、断定を行なってしまう思考のクセのこと。説明容易性に頼るという思考の仕組み。「得られた情報 → 代表例との比較 → 類似度判断 → カテゴリー化」という思考の流れがある。
前述の連言錯誤は代表制ヒューリスティックの働きにより生み出されたもの。
カーネマンととヴェルスキーによって名付けられた。

心理学的本質主義

カテゴリーの事例が、プロトタイプの持つ平均的特徴 = 本質を共有していると考えること。例えば、生き物が鳥だとわかったら、「空を飛ぶ・卵を産む」と考える。また、イベントが運動会であると聞けば、「徒競走・綱引き・玉入れ」があると考える。

帰属(心理学)

人がある行動をとる時、私たちはその原因をいつも探ろうとする。つまりある行動が何のせいで起きたのかを考える。このような思考を心理学では帰属と呼ぶ。

対応バイアス

他人の行動の原因をその人の性格、意思、態度などに求めること
例えば、自分が遅刻した時には、「電車が遅れた」「たまたま朝寝坊した」などと理由づけするが、他人が遅刻した時には「あの人はズボラだから」とか「ルーズな性格だから」と考えがちである。

第4章 思考に潜むバイアス

確証バイアス

自分が正しいと考えていることを確証してくれるものに注意を向けがちになってしまうものに注意を向けがちになってしまうこと

2-4-6課題

ピーター・ウェイソンのが考案した課題
"ある規則に従った数列がある。これの最初は2-4-6で、これがどんな数列であるかについての仮説を考えて、それをテストする例を出してみてください”と言われる。実験参加者に対して、実験者はyes/noの答えを出す。

こうした課題を出すと、ほとんどの実験参加者は「8-10-12」とか「20-22-24」とか、そういった例を出し、それにyesという答えが返される。大多数の人は「連続した2の倍数の数列だ」と結論づける。ところが、それを報告すると、「違う」と言われてしまう」実験者がこれは単なる上昇数列、つまり、前の数よりも大きい数字の系列が答えだからである。

このような回答になる理由は確証バイアスによるものである。

予言の自己成就(自己実現)

確証バイアスの別称。
例えば、会社の上司が部下のAさんに「だらしなくて、根気がない」というようなネガティブな評価をした時、上司はAさんのネガティブな部分に注意を向けるようになる。上司はさらに辛く当たるようになり、辛くあたられたAさんは徐々に仕事をやる気がなくなる。するとさらに上司の評価は下がる。結果、やっぱり自分の思った通りだと上司は考えてしまう。

第5章 自己決定というバイアス

見かけの因果

無意識的行動を研究してきた、社会心理学者のダニエル・ウェグナーの説。

人の行動は脳の物理的過程によって生み出されている、つまり外部からの情報の入力により、脳内に一定の変化が生じる。その変化のいくつかが運動司令を出す。すると体が動くという具合である。
人間には、なぜかこの運動指令が出た後に、私たちが「意図」と呼ぶような何ものかが副産物として生み出される。この副産物は私たちが意識可能という性質を持っている。そもそも副産物であるので実際の運動とは無関係なのだが、運動の直前に現れるため、そして、それを意識できるため、これを原因と勘違いしてしまう。こうしたことで意図が運動を生み出す原因という錯覚が生じる。これを見かけの因果と呼ぶ

物理的因果性(ダニエル・デネット3つの因果タイプ)

物理法則に支配された因果関係。なぜ坂道でものが転がるのかといえば、それは重力、抗力が存在しているからだ。

設計的因果性(ダニエル・デネット3つの因果タイプ)

人が設計したものの動きに関わる因果関係。なぜ赤信号後に青信号になるのかと言えば、人がそうなるように設計したからだ。

意図的因果性(ダニエル・デネット3つの因果タイプ)

人を含めた生き物の行動に関わる因果関係。なぜ彼は食事をしているのかといえば、そうしたいと思ったからだ。

第6章 言語がもたらすバイアス

洞察問題解決(心理学)

発想の転換を伴う課題で、人間の創造性を検討する研究者たちがよく用いてきた課題。なかなか解けないのだが、ある時に突然解が閃くというものが多い課題。このタイプの問題に言語化はネガティブな影響を与える。10コイン問題など。例として睡蓮問題を挙げておく

"ある池に睡蓮が一つだけ咲いています。この睡蓮は毎日2倍ずつに増えていき、60日目には池全てを覆い尽くしました。さて水練がこの池のちょうど半分を覆ったのは何日目でしょうか。"

状況モデルの構築(認知科学)

文を聞いたり読んだりする中で、私たちはコトバを理解するだけでなく、コトバが語っている状況を理解している。状況モデルが話者の記述しようとしていた状況と合致した時にその分が理解できたということになる。つまり、文、文章、発話を理解するとは、その中のコトバを理解するのではなく、コトバによって語られた状況、世界を理解することなのである。

第7章 創造(について)のバイアス

制約(心理学)

人間の自然な傾向性を制約と呼ぶ。例えば、Tパズルにおいて、各ピースは安定した形に置きがちだったり、接続については接続後の形が綺麗な、デコボコのない形になるように置く(各々対象制約、関係制約)。

制約はふつうは認知を効率的に行うことに寄与するが、洞察問題ではこの制約が障害となり、解決が妨げられる。

分散推論

ケヴィン・ダンパーという認知科学者の知見。
研究室は多くのグループメンバーからなり、定期的にミーティングを行って、実験データの解釈、仮説生成のためのディスカッションを繰り返す。これによって一人で行うのは難しい様々な認知的なタスク(仮説の限定、拡張、置換、棄却)がグループのメンバーに分散されることになる。こうしたことは多様性を増すための方策と考えることができる。

意識的なシステム・無意識的システム

私たちの中には、無意識的に働く認知システムと、意識的に働く認知システムの二つが存在している。無意識システムは試行を重ねながら、徐々に適切な方向に私たちを向かわせてくれている。一方、意識的なシステムの方は無意識システムの行ったことの結果のみに注意を向けそれを大雑把にしか評価しない。

第8章 共同に関わるバイアス

8章の説明:人の集団には個人にはない独特のバイアスが存在し、一人で考えればわかるようなことが集団では分からなくなることもあれば、個人ならば絶対にやらないような反社会的行動に人を駆り立てることもある。

創発

集団のメンバー(構成する要素)がそれ自体としては全体のパターンについて何のプランもなしに、ある秩序が生み出されること。ポイントは相当な数のメンバー同士が一定以上の期間にわたって相互作用するということにある。相互作用とは、自分がある他のメンバーの状態に影響を与える一方、他のメンバーからの影響で自分お状態を変化させることである。

例えば、渋谷のスクランブル交差点では2つのシンプルなルールだけでトラブルが発生していない。「前の人について歩く」、「衝突回避:人にぶつからないように少し体を横にずらす」というルール。

責任の分散(社会心理学)

個人であると行動するような人助けでも、集団であることにより、「誰かが助けるだろう」と、人助けをしなくなる、といった心理。

反共感論

認知心理学者のポール・ブルームが提唱した共感がもたらす災い。
共感には2種類あり、「情動的共感」「認知的共感」がある。2つの共感は発動するメカニズム、時間も異なるし、関連する脳部位が異なることも明らかにされている。ポール・ブルームは「道徳的観点からすれば、共感はないに越したことはない」と主張する。
認知的共感は人がある時点でどのようなことを感じ、考えているかを推測するような場合の心の働き。情動的共感は後述

情動的共感

苦難に遭っている人を見て、自分も同じような苦しみ、悲しみを感じるような場合の心の働き。
認知心理学者のポール・ブルームは問題視している。なぜなら、情動的共感が近視眼的であることに由来する。自分の従兄弟が貧困ゆえに餓死した場合と、まったく知らない人が同様の理由で亡くなった場合では、明らかに共感の度合いが異なる。つまり身内びいきのようなことが付きまとう。また、特定の個人に対しては強く働くが、集団に対しては働きにくい、あるいは働かない。

第9章 「認知バイアス」というバイアス

二重課程理論

人間には2つのシステムがあり、その各々は全くっ違った働きをするというもの。
システム1は直感的で、素早く作動し、認知的な負荷をかけないが、論理に基づくものではなく、非合理的な決定を生み出すこともあるとされる。
システム2は熟慮的であり、動作は遅く、認知的な負荷を相当にかけるものであるが、論理を駆使し、熟慮に基づく決定に導くシステムであるとされる。
(なお、筆者はこれらは相互作用により起こるものであるから、システム1であるかシステム2であるかは瑣末なことであると説いている)

再認ヒューリスティック

「聞いたことがある」という直感に頼るような認知のこと。この認知はシステム1に頼る方が合理的であるという例。例えば、以下のような実験がある。
「デトロイトとミルウォーキーではどちらの人口が多いか」と質問した時、ドイツ人はほぼ全員正解したのに対してアメリカ人の正答率が6割程度になったという実験がある。ドイツ人が直感的にデトロイトは聞いたことがあるがミルウォーキーは知らない、というのに対し、アメリカ人はミルウォーキーについてもよく知っているから誤りやすい。

最良選択ヒューリスティック

直感に頼らずに判断するために、自分が大事だと思う属性を一つ取り出し、そこで判断する認知のこと。例えば、上述のデトロイトとミルウォーキーの例では、「デトロイトは車」といった基準で判断する。その次は野球チームといった属性を取り出す。
「最良」というのは、単に自分が判別のために最良と「思う」という意味であり、客観的な裁量を意味するわけではない。

認知の文脈依存性

論理的vs非論理的、合理的vs非合理的という二分法で人を特徴づける考え方が不適当である。つまり、人は賢い時もあれば、愚かな時もあり、それは問題の文脈により変化するということ。
ある文脈で賢いからといって、それと論理的、構造的に同じ文脈ならいつでも賢いかどうかは分からない。

ある課題を用いて、できないから人は愚かだとか、逆に別の課題を用いて成功したので、人はか賢い、という結論を出すこと自体が大きな間違いであることがわかる。

限定合理性

1978年にノーベル経済学賞を受賞したハーバード・サイモンたちが提案した考え方。
人間は限られた時間の中で、とても短い時間の中で決定をしなければならない。このような時間や記憶が制限された中で発揮されるのが限定合理性である。
例えば、クマらしきものを見つけたときに、じっくり観察して、クマである可能性を排除するよりも、即座に逃げた方が良い。このような認知の仕方。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?