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たくさん思い込もう

高校三年生、三月。
志望校からの不合格通知が届いた。
浪人が決まった。これはもう仕方ない。

それまでも割と真剣に受験勉強に向き合った。
そこからはかなり真剣に受験勉強に向き合った。
そして浪人の三月。
志望校からの合格通知が届いた。

私がそこを志望校に選んだのは、英語教育学のコースがあったからだ。
つまり、私の将来の夢は、高三時点で英語教師になることだった。
当時の私にとって、英語学習のゴールは受験突破であり、良い教師の条件は受験に必要な指導ができることだった。

大学一年四月の授業。完全に出鼻を挫かれた。
模擬試験では全国上位にも掲載される偏差値だったのに、英語の授業に全くついていけない。
いや、正しくは、英語の授業を履修している他の学生についていけないのだ。

なぜ彼らはこんなに英語ができるのだろう。
なぜ私はこんなに英語ができないのだろう。

その答えが英語教育学概論で明かされた。
どうやら私の学習方法は大分偏ったものだったらしい。
間違っていた、とは言わない。
過不足があったのだ。

受験勉強を通して身につく知識や技術もある。
(当時の)受験勉強では身につきにくい知識や技術もある。
英語教育学概論で初めて英語教育(学習)には多角的な視点があることを知った。
理想の英語教師とは、受験だけではなく、幅広く、バランスよく、高いレベルの指導ができる者ではなかろうか。

いや、しかし、どうやらこれも違うようだ。
大学院で自律した学習者という概念に出会った。
自分の学習を自分でコントロールする人だ。
ここでは難しい英文や内容を説明することよりも彼らの学びを支援できる教師が望ましい

おや、現場に出るとそうでもない。
そもそも学習に意欲的な生徒ばかりではない。
まずは彼らのやる気阻害要因を排除したり最適な学習環境を整えることが教師の力量のようだ。

どれが正解なのだろうか。

視点を変えてみよう。
巷では英文法がとかく悪者扱いされる。日本人が英語を話せないのは英文法学習のせいらしい。
一方で予備校や進学校など受験界隈では英文法は正義の味方である。

あるいは、【受験英語】なる言葉が如実に表現するように、受験とそれ以外の英語が明確に区別されている節もある。
しかしよく見れば、大学入試の問題は新聞や雑誌などから引用された文章が多く、その他の英語との差異は言われるほど大きくはない。

これら全てが間違っているわけではないが、過不足があるのだ。

そう。わたしの受験勉強と同じ。
一つしか思い込みがないことが怖いのだ。
いずれの主張も一理ある。その実例も示せる。
しかし、一例であり、全てではない。
きっと全て余すことなく網羅することは不可能だろう。
だからこそ、多数の思い込みを持つべきなのではないだろうか。

多様性の重要性が訴えられる時代に、思い込みや偏見は咎められる対象になりつつある。
私はその傾向に概ね賛同するものの、一抹の憂慮を抱いている。

思い込みの定義として【深く信じ込むこと】、【固く心に決めること】とある。
信念は人生の原動力になりうる。
決心することを他人に咎められる謂れはない。

いま、私の理想の教師像はわたしの様々な思い込みにより、実に彩り豊かに複雑な様相を呈している。
そしてそれらの思い込みが悪いことだとは露ほども思っていない。
なぜなら、複数の思い込みによって形成されているからだ。

これまた英語教育の分野には教師の信念(teachers’ belief)という分野がある。
指導法にしろなんにしろ、教師ひとりひとりが各自の信念に基づいて良し悪しを判断している。

ここにも思い込みは存在する。
だけどすべての指導法に正解も間違いもない。良し悪しもない。
その指導法に心酔し精通した教師の授業は目を見張るものだし、生徒も信頼してくれる。
しかしその指導法だけで万事解決、すべての学習者の英語力はうなぎ上り、なんてことはありえない。
もしそうなら、日本どころか世界中でその指導法がもてはやされている。

あるのは過不足だけだ。
だから我々はまず、自分の拠り所にできるような信念をもった思い込みの場を持っていいのだ。
そしてそこから対岸を眺めるのではなく、勇気を出して、めんどくさがらずに一歩踏み出してみるのだ。

対岸が気に入れば新たな拠り所にしてもいい。引っ越ししても故郷が存在するように、最初の拠り所はでーんと構えてくれている。
対岸が気に入らなくても、そこが好きで住んでいる人もいる。だから荒らすことはよくない。

もしかしたら対岸から自分の拠り所を見ることで、これまで見えなかった美しさや醜さも見えるかもしれない。
対岸のさらに反対側にはまったく別の景色があって、そこは第二の故郷になるかもしれない。

見知らぬ土地の旅行にわくわくするように、
初めてのお店の料理にわくわくするように、
読書の続きにわくわくするように、
新しい出会いにわくわくするように、
新たな思い込みをわくわくして迎え入れたい。

ハッシュタグが示すように、思い込みは変わる。
私たちは、新たな信念・決意を手に入れることができる。
偏見だって、一つしかないから偏るのだ。
たくさんの偏見を持ち、あちこちに偏れば案外バランスのいい見方になるかもしれない。

1つのことをたくさん思い込むことも強さになる。
たくさんの思い込みの存在を知ることも強さになる。
思い込みが変わる、というよりは思い込む視点や方向を変えて人生が豊かになった気がする。

今日で11年勤務した公立高校から退職する。たくさんの思い込みを手に入れた。
明日から心機一転。私立で働く。また新しい素敵な思い込みを手に入れたい。

#思い込みが変わったこと

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