誰かの記憶。

僕は脳科学の卒業論文に追われているしがない大学生だ。

1週間ほど前に遡る。

繁華街外れのどこにでもあるチェーン店の居酒屋でアルバイトを終え疲れ果てた僕は、普段行きもしない近くのバーに入ることにした。

どこか懐かしい匂いがする雰囲気だった。

歴史を感じる大木をそのまま横倒しにしたようなエレガントなテーブルに、とても日本人用とは思えない高さの荒削りの椅子に客は僕1人。とてもシンプルで心地のいい場所だ。

店に入るとバーテンダーが驚いた顔で僕を見た。僕は知った顔か?と思ったがどう頑張っても思い出せない。女手一つで育ててくれた僕の母と同じくらいの年齢の男で、その男の顔を見ると私は何故か疲れが少しとれたような気がした。

数秒ほど嫌な間が経ち、ハッとしたバーテンダーが「ご注文は?」と聞くので腰を掛けながら「おすすめのウイスキーと何かつまめるものをお願いします。」とリラックスしている裏腹どこか辿々しくも受け答えをした。

その店のバーテンダーは慣れた手つきでそっと飲み物と、ナッツのような色をした乾燥した何かを私のテーブルに置いた。

「これは無料で構いませんよ」

不思議に思いながらも私は一粒口に運んだ。それは僕の唾液を吸い、ねっとりとした旨みと共に私の口に絡みつく。それを少し値を張るであろうウイスキーで洗う。

とても贅沢な時間であった。

僕は無我夢中でその時間を楽しんだ。ウイスキーを何度も何度もおかわりをしていたようだ。

空いたグラスが目の前に並んでいる。もちろんおつまみも何度もおかわりをしていたようだった。

気がつけば僕は一瞬の暗闇に囲まれ、その暗闇が晴れるや否や全く違う風景に囲まれている。夢を見ているのか、一人で酒に飲まれるとは情け無い。と夢と自覚しながらもそれを楽しむことにした。

二人の夫婦をガラス越しに見ている。ガラス箱の中で赤子のように高い似た声が二つ聞こえる。若い夫婦?はどうやら喧嘩をしているようだ。

「お前の旦那の子供だと言えばいいじゃ無いか」

「そんなの無理よ、もう私たちの関係はバレているわ。慰謝料はいらない。僕の前から消えてくれって」

「だとしても2人とも俺が育てるだなんて無理だ。自営業と言ったって繁華街でもないんだしなかなか儲かる仕事でも無い。」

「なら1人ずつ」

「そうしよう」

そして辺りは真っ暗になり、その暗闇が晴れると共にまたもや違う風景が見える。ここはどこだ?見たことも無い住宅マンションの部屋の隅で何故か目の前の男が僕に暴力を振るう姿を怯えながら組んだ腕越しに見ている。そうした時間が怯えた声と共に何度も何度も繰り返される。胸糞の悪い時間だ。何度も何度も繰り返される内に、またもや暗闇に襲われる。そして暗闇がまた晴れると思いきや、目を凝らせば見えるような真っ暗な部屋に少しずつ移って行った。

薄暗い部屋に1人。

目の前に大きな鏡がある。

鏡に映ったものを見て目が覚めた。

そこには長いヒモを天井から吊るし、首にかけようとする大学生ほどの僕と瓜二つの男がいた。


「おはようございます。」と声をかけられ、私はハッとした。そして私はあることに気がつき急いで会計を済ませ店を出ることにした。


夢の中で女と口論をし、僕に暴力を振るっていた男が店のバーテンダーによく似ていた。


何を食べたのかにおおよそ見当が付くと、帰路で食べたものを全て嫌というほど吐いた。

何故食べたものに見当がついたかと言うと、僕が脳科学の卒業論文に追われるしがない大学生だからだ。


実はある時、脳科学の研究の傍ら図書館である文献にこんな都市伝説が載ってあった。血縁の近い人間の脳を食べるとその人間の記憶を夢として体験することがあるらしい。

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