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彼女は私である !

「コロナ禍もあって昨今、様々な事情や偶然の出来事に遭遇して、孤独や貧因に直面する人たちが増加しているといわれている。


最近の新聞記事に、昨年11月、東京渋谷区笹塚の片隅のバス停で路上生活者とみられる女性が、男に頭を殴られて亡くなった事件についての報道があった。

この女性は、昨年の春ごろから、終バス後の午前2時ごろにバス停に現れて、ベンチに腰掛けて眠り、明け方になるとどこかへ立ち去る生活を続けていたという。

整った身なりでキャリーバッグを抱え、一人静かに眠る女性を、近隣住民らが気にかける中、その悲劇は起きたという。

私は、この報道にある種の衝撃を受け、亡くなられた女性に関するいくつかの報道にネットで目を通してみると、1970年代に撮影されたという1枚の写真に出会った。

カメラに向かって可愛い笑顔で微笑みかけるご本人の写真。

この女性は、広島県出身、かっては、劇団に所属し、舞台に立って希望に満ちた日々を過ごしていたという。

それから40数年の時間が経過し、深夜ひとり、都会のバス停で亡くなってしまった。

女性の所持金は、わずか8円で、携帯電話の契約は、既に切れていたとのこと。

女性は昨年2月まで首都圏のスーパーで試食販売員として働いていたが、コロナ禍による影響だろうか、仕事と住む場所を失い、4月ごろから路線バス停のベンチで夜を明かしていたという。

ベンチといっても真ん中に仕切りがあるため、体を横たえることはできない。

半時間ほど座るだけで腰が痛くなるような狭く冷たいベンチが女性の唯一の居場所だったのであろう。

人の迷惑にならないよう、終電のバスが出た2時ごろに来て、始発が来る5時にはその場を離れる。

心配して声をかけた人にも「大丈夫」と答えていたという女性。

これらの報道に、私は大変強いショックを受けた。

衝撃を受けるとともに、何とも言えない寂しさに襲われたのである。

バス停にたどり着くまでの彼女の人生に一体、何があったのか?

彼女の死が我々に問いかけるものは何だろうか?

殺害されたホームレス女性を追悼する集会とデモが、昨年、12月に開かれ、170人が参加したという。

「彼女は私である」と刻まれたプラカードを持った参加者達。

参加者の1人、30代の女性は今回の殺害事件がまったく他人事とは思えず、参加したのだという。

また、主催者の1人は、
「事件を聞いて同世代の女性として胸が締めつけられた。彼女は助けを求めず、”自助”で頑張り続けた末、殺された。これが”自助”を追い求める社会の成れの果てです。誰もが困った時に助けてと言える”やさしい”社会を作らなければ。」と訴えている。

私も、本当に心からそう思うし、この国は、そうあって欲しいと願うばかりの言葉である。

そして、中国の故事が思い出される。

「人生の禍福は最後まで予測できない。」

人生というのは、何が起こるかわからない。

自分が予想もしていないことが、起こることがたくさんある。

この世界に生きているのは自分だけではないし、自然現象だってある。

そして偶然に起こるような失敗や突発的な事故だってあるわけで。

この世の中を全てを知っているのであれば、次に何が起こるのかを予測することは出来るかもしれないが、我々人間には、ほとんどのことはわからない。

突然襲ってくる理不尽な不幸、愛する人との死別、誰も手を差し伸べられない孤独‥.

自分の未来が、どうなっていくのか、そして自分の人生の先行きに何が起こるか分からない中で、集会のプラカードに刻まれたタイトル「彼女の死は私」のように、他人の事例から、それを自分に置き換えてそこから我々は、何を学ぶべきなのか。

今もなお、殺害現場となった、このバス停には、花が手向けられているというが、私も近いうちに訪れてご冥福を祈らせて頂きたいと思っている。

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